今回は、『リールの小宇宙』と題して2回目の投稿です。 リールの日本における爆発的な普及は、 戦後からだと云う事や、リールの普及そのものが、 戦後の経済発展に貢献した―。と、云う事も、 お話させて戴きました。
一方で、日本の『釣り』そのものが、 多様であるが故に、リールもまた、進化し続けました。 富士リールの爆発的な普及で成功したF社は、 続いて、リールを活かす為の、 ロッドビルド(竿造り)へと、次第にシフトします。 そして、リールを装着する『リールシート』。 更には、リールの糸を導く役目を担う『ガイド』の、 作製も手掛ける様になりました。
そしてF社は、この分野で多くの特許を得た事から、 ロッドビルドと、それに使われるパーツに特化した、 一大メーカーへと発展を遂げていくのでした。
ロッドの性能が高まるほど、 より使い易く、投げ易く、軽く・・・etc と云う性能を兼ね備えたリールが必要とされ、 草創期に流行った『クローズドフェイスリール』から、 欧米で広く使われていた『スピニングリール』に、 注目が集まるようになりました。
当初は、アメリカのダイアモンド社のリールや、 ドイツのABU社のカーディナルモデルに人気が集まりました。
この当時は、カーディナル33に見られる様な、 インスプールタイプのスピニングリールに、 フォルム的にも人気が集まっていた様です。 このABU社のリール等の輸入を手掛けていたのが、 後に名人として様々なメディアに登場する事になった、 H氏が釣り具の提供を受けていたO社でした。
そこで、日本のメーカーが着目したのは、 見た目も去る事ながら、より使い易くする為の、 精密さや、完成度の高さであり、 それを具現化したのが、歯車やバネと云った 部品メーカーであったS社でした。 S社と云えば、部品の緻密さと完成度の高さから、 自転車やマウンテンバイクのメーカーとしても有名です。
一方で、レジャーとしての釣りの普及に、 大きく貢献したのが、後に深夜番組で、 様々な釣りを紹介した前記のH氏と、新鋭のD社でした。
やがて、この二つのメーカーによって、 釣り具の普及は、爆発的に進んで行きます。 そこにo社も加わって、釣りブームは定着します。 中でも、このスピニングリールの商品開発は、 S社とD社が互いに競い合って、 素晴らしい機種が続々と発表される事になります。
釣り人の間では、デザインとフォルム重視のD社と、 機械としての性能重視のS社のリールの競争が、 現在の業界の繁栄を築いて来たと言えるでしょう。
そういう意味で、『スピニングリール』の登場こそ、 日本の新しい釣り文化の礎となったと言っても、 決して過言ではないと思います。 |