新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/12/04 10:45:13|マリリン・モンロー
マリリンin「イヴの総て」(1950)
イヴの総て(1950)
ALL ABOUT EVE


 「役者バカ」。
『イヴの総て』を見ていて、そんな言葉を思い出した。
元来、これは芸への執着と外への無頓着をいうほめ言葉なのだろう。
僕が思い出したのは、その意味ではない。

 芸で客をつかみ人気を得ていると役者は思う。
けれども本当は、脚本家・演出家、さらには興行主・ジャーナリズムといった「寄生虫」によって「役者」となっていくのかも知れない。
あるいは、美貌と若い肉体によって。資金・コネ・PR・セックス。

 マーゴ(ベティ・デービス)は、40を越えてそれを痛感する。
「時分の花」が衰え始めて、はじめて気がついたのである。
彼女をいっそういらつかせるのは、自分を崇拝し「教科書」にしたいと公言するイヴ(アン・バクスター)である。
イヴは若く美しく、謙虚で細々と気がつく、模範的な「内弟子」であるかのようだ。

 彼女は芸だけでなく、マーゴをスターにしてきた脚本家・演出家・興行主・ジャーナリスト、愛人さえ盗もうとする。
彼女のこわいところは、彼らの役まわりを知っていて、利用しようしている点だ。

 演劇学校出の役者の卵カズウェル(マリリン・モンロー)は、まだ、それに気づいていない。
彼女は劇評家アディソン(ジョージ・サンダース)の愛人として引き立てられている。
彼女は自分の美貌と受けてきた役者修業に自信をもち、この業界に雄飛できると思っているから「寄生虫」どもへのイロニカルな態度を崩さない。
本当は彼らがそれを許容しているのだということを、彼女は知らない。
細面のマリリンは、横目で口許に笑みを浮かべてしゃべる。
僅かな出番だが、生意気でちょっと意地悪そうで無知な新米役者を、マリリンはうまく演じている。

 彼女はイヴと競り負け「寄生虫」どもに見放されTV界におもむく。
「英仏海峡を泳いで渡ったみたいだわ」
という名台詞を残して。
「TVではオーディションがあるのかしら」
と問う彼女に、アディソンは「TVはそれだけだ」と言う。
TVの安直ぶりは、50年代に夙に見抜かれていたのかと興味深い。

 イヴも、また、「寄生虫」どもの食い物にされ、「役者」を演じさせられる運命である。
我らが女優マリリン・モンロー自身も?(「マリリンに会いたい」・3 1992・11)







Oh! Sunny Day!!

雨上がり。
枯草の河原の向こうの、
人家の向こうの、
黄葉終わりの湯村山の向こうに、
今日もすっきり甲斐駒ケ岳、
そして、その左に鳳凰三山。
この河原も、この山も、
四季折々、一日中、眺めていて、飽きることがない。
60年佇んでいても……。
いや、60年佇んでいるからこそかも知れない。
Oh! Sunny Day!!

季節外れだが、飯田蛇笏の句。
 夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな
農業はやっていないけど、村上鬼城の句。
 生きかはり死にかはりして打つ田かな

庭にはサザンカも咲きだした。







2010/12/03 15:54:30|マリリン・モンロー
マリリンin「彼女は二挺拳銃」(1950)

彼女は二挺拳銃(1950)  
A TICKET TO TOMAHAWK


 開通したばかりのトマホーク行鉄道。
ただし、途中のレールがはずされるという妨害を受けたため、第1号の車両は馬で牽いて運ばなければならない。
これに乗り込むドサまわりの芸人一座。
マリリンは4人のコーラス・ガールのひとりクララに扮する。

 マリリンの出番は少ない。
出発の際の馬車から、にこにこ、手の平ひらひら。
野営地での即席ショー。
インディアンとの戦闘シーン。
タイトルをにらんでいても、おや、マリリンの名前がない、と思っていたら、読めないような小さな字でやっと登場。
物好きが数えたら22番目だったという。
ほんの端役だ。

 けれども、デビューの時からの特徴で、マリリンはどんな端役でも、ひとり目立ってしまう。
その明るさ、きびきびした、しかし、多少不器用な動き、体全体から発散する華やかさ。
どこにいても光っている。
同じ新米女優のなかで疎外されやしないかと心配なくらいだ。
彼女の色気を、気だるい、スロー・テンポなところにある、と思っているのはかんちがいだ。

 汗くさい男たちの、多分にエッチな興味で、野営地の即席のショーが始まる。
4人のコーラス・ガールが赤・青・黄・緑のコスチュームで、ふりをつけながら歌う。
黄色がマリリンだ。
「ジョーってずうずうしいのよ。あたしといっしょだと、いつでもキスしようとするの」
てな歌だ。
男たちは大喜び。

 歌はともかく、手をあてて腰をふり、肩をゆらし、両腕をウェーブさせて、野球拳よろしく踊る。
けっしてうまいとはいえない。
スクール・メイツを(古すぎるか?)四人でやっているのを、もっと単純、素朴にしたようで、チイタカ、チイタカ。とても振付師がいたとは思われない。
まあ、幼稚園児のお遊戯といったところだ。

 マリリンは、その単純、単調きわまりないふりを、心底楽しそうに、ふりふり、ゆらゆら、踊る。
女の子がひとりずつ、ジョニー(ダン・デイリー)と組んで歌い踊る時、バックで右手左足、左手右足と交互に、オイチニ、オイチニとつき出すふりなど、思わず「よしよし」と言いたくなる。
ノーテンキでのりやすいマリリンの一面がよく出ている。
ダン・デイリーと組んでの歌・踊りも、マリリンのが一番明るい。
けっして、ひいき目ではない。

 野営のシーンには、もうひとつ、とっておきのおまけがつく。
祖父の代理で機関車護送の保安官を努める若い女キット(アン・バクスター)が、芸人たちのテントをのぞくシーンだ。
向こうむきになったマリリンが、まだ、肩甲骨の下まである長いブロンドの髪をほどいて、裸の背中を見せている。
それも一瞬で、すぐに腕ごと服の中にしまいこまれる。
が、その白い肩、背中の線、しなやかな腕は、こっちの目にやきついてしまう。

 座長格の女が、キットに、髪、肌、目くばせなど、「女の武器」の手入れの大事さと絶大な効果について講義する。
それらは男たちの「銃」とおんなじだと言う。
色気、コケトリーなんてものと無縁に育ってきたキットは、目をぱちくり。
彼女の顔についての、座長の評が笑える。
「まるで、お墓ね」。

 やりとりを聞いているマリリンと仲間のコーラス・ガール。
マリリンのほどいた長い髪。
細い顔。
のちのふっくらしたマリリンばかり見ていると、またちがう品のよさみたいなものがある。
この時のマリリンの表情は、なんとも複雑だ。
キットのあまりのネンネぶりに呆れ、「知らないのお」と馬鹿にする気持ち。
「知らないで、しあわせね」という、嫉妬し、うらやむ気持ち。
愛くるしく、無邪気なクララも、ほかのコーラス・ガール同様、やはり泥水をかぶってきているんだな、これからもかぶるんだな、と観ている者に、いっぺんにわからせてしまうようなカットである。
映画『バス停留所』のチェリーのかけだしの頃、と思って観ることもできる。

 この映画の中では、思わず「芝居」を忘れてしまうマリリンにも気がつく。
主役級が芝居をしている。
その後ろや脇にマリリンがいる。
彼女は主役たちの芝居に見とれ、勉強する練習生の顔だ。
つったって、手や足をもてあましている。
おいおい、芝居しろよ。
ミーハーのファンみたいな目で観ていちゃだめだ。
遠慮か? 
あこがれか? 
お前は映画の中にいるんだぞ。
つったっていたって、一番目立ってしまうんだぞ。
そう思わず声をかけたくなってしまう。(「マリリンに会いたい」no.2 1992,oct)

画像は同題のフォックスビデオCFT1923(1992)より。







2010/12/03 14:26:03|本・読書・図書館
高室陽二郎著『山と人』
高室陽二郎氏から、近著『山と人』(山梨日日新聞社,2010)をいただく。
傘寿を過ぎて、年季の入った「山男」の山ばなしの集大成である。
いつか某喫茶店でお会いしたら、
「最近パソコンをいじっているんだ」
と言われていたのは、こういうまとめをしていたのだろう。

一読、この本は、高室さん個人の回想としてだけではなく、山梨県の登山史の貴重な証言だろうと感じた。
山梨の懐かしい山男たちの噂が(追悼文も含めて)散見する。

興の赴くまま、あちらこちらと拾い読みをする。

新聞記者を辞めて、北海道で教員になり、山岳部を創った件。
4年の在職期間だったのに、高室さんと増毛の人々との交流はその後も長く続いてきたようだ。

いつぞや、山梨で山岳部門のインターハイがあった。
北海道からは、高室さんや清水磋太夫先生のかかわった高校の、はるかに後輩の教え子たちが代表として参加してきた。
高室、清水両氏は、自分たちの直接の教え子であるかのように、彼らに宿舎を提供し、歓待し、激励していた。

チームは、私が班長を務める北岳隊に属して、登攀行動を行った。
北岳頂上直下300メートルのところで、彼らは動けなくなってしまって、頂上を目指すことを断念せざるを得なくなった。
頭の上では、自衛隊のヘリコプターが旋回し、「救援をするか?」と尋ねてくる。
生徒たちは、
「南アルプスの、日本第二の高峰北岳に来れただけでも、自分たちは幸せです」
と目を潤ませた。

読みながら、30年以上も前に会った、礼儀正しくも質朴な高校生たちのことを思い出した。

ISBN978-4-89710-619-0 2,000円







2010/12/02 10:36:57|文学
歌誌「オルフェ」をいただく
 横浜の浦上和子さんから、発行のたびにお送りいただいている浦上和子・街より子二人誌「オルフェ」31号をいただく。
4ページだが、いつもながらページ数に似ぬ重みを感じる内容と瀟洒な体裁に感心する。

空蟬●浦上和子

あなたなる子らのこゑ花降るこゑ傳へわが肩へ揺るる人のまどろみ

伽羅匂ふエレヴェータに昇りゆき訪ひし家族よあをき空蟬

天の蟬地の蟬のまを歸りきていまなき盤をまはすかそけさ

ぶだう實れる涼しき闇を思ふなり暑熱のひとひ塵労のひとひ

舊りし日の訣れの刻を聽きしとも聽かざりしとも 午後の邯鄲

ぽろぽろのからつぽの函と怯えつつめうに澄みつつ明かす短夜

遠い山すそへ昃れる車窓過渡のほかあらざる者をありあり映す

その水晶のこゑもて鏤められし鳥ふと秋天へ見ゆるマボロシ

さらにふかく匿されてゆく一ファイル夕べのつゆと名のみ殘して

山峽の驛舎のひぐれ見てをれば秋はふと蕁麻の蜜


 七首目を読むと、日ぐれて「過渡のほかあらざる」己を想起せざるをえない。

 ほかに、街さんの「巡」十首、招待作品として松村由利子さんの短エッセイ「味わい尽くす」が掲載されている。