新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/11/30 20:16:39|山梨
南アルプスの眺め!!

周囲をきれいな山並みに囲まれている割に、甲府盆地から山々がくっきり見える日というのは、1年のうちでもそれほど多くない。
山梨に通っているカメラマンもめったに幸運に出会えないというし、ヘリコプターなどを雇って空撮をする場合には、さらにギャンブル的な要素が加わるという。
盆地の底に積み重なった空気のレンズ効果か、湿気か、何のせいなのか分からない。
一見、きれいに見えているようでも、写真に撮ってみると、霞の彼方のような写りになってしまう。
このところのように、季節外れの黄砂の噂もあればなおさらである。
だから、雨上がりとか、晴れた朝の一瞬とか、たまたま、甲斐駒が岳や鳳凰三山、白根三山などを見はるかすことができる時は、かなり嬉しい。
見晴らしのいいところで深呼吸をしたくなる。
寒くなってくると山がきれいに見える率が高いように思うし、夕焼けのシルエットも美しいことが多い。

写真:駿台甲府高校西から(11月23日)
夕景は美咲町から(10月29日)







2010/11/30 14:03:03|本・読書・図書館
ブックトーク集編集中
講義をしている、大学の司書教諭資格取得講座「学習指導と学校図書館」の中間課題として、恒例の「ブックトークー小中高生に向けて」を回収している。
できれば、ファイルで提出してもらって、冬休み中に、私が編集して、休み明けに彼らに帰して、大げさにいえば「学習の共有化」を図りたい。
仕上がれば、今回で第4弾。

たまに「この選書はいかがなものか」という本にも出くわすが、たいていは、思いのこもった本について、心をこめて書いてくる。
出来上がったのを互いに読んだ後も、いつも好評で、改めて、学生たち自身の読書刺激になっているようではある。

表紙を描く希望者も頼んでおいたら、今日、講義終わりに持ってきてくれた。
初等教育3年のNさんである。
微笑ましい出来栄えである。
サンプルのサブタイトルが「小中高生に向かって」とあるのを「向けて」ではいけないかと聞くから、言わればそうだなと「小中高生に向けて」としてもらった。

あと願うのは、できれば全員に単位を取ってほしいから、いいブックトークを、期限までに、もれなく提出することである。
ある大学で、学生が先生に「単位出ますか?」と尋ねると聞いた。
単位は「取る」もので、努力の結果、「単位をくれますか?」というのが筋だろう。







2010/11/29 13:54:36|出版「猫町文庫」
また猫町界隈
毎年、毎年、猫のラブ・チャイルドは生まれ続ける。
今のところに、私は60年住んでいるから、何代の猫に出合い、見送ったか分からない。
次々に生まれてきても、よほど生命力の強い個体でないと生き延びられない。
生き延びても、相川の向こうの緑が丘から、強い黒猫がやってきて、こちらの猫を蹂躙してしまう。

餌をやったり、避妊手術を進めたりしている熱心な個人もいるのだが、子猫の誕生には追いつかない。

ある時、我らが仲間の作家・水木亮が、N県議を捕まえて、
「行政の方でも、野良猫のことを考えてほしい。世話している人を補助するとか、避妊手術を順次行うとか……。わしゃ、彼らがかわいそうでかわいそうでたまらん」
とかき口説いていた。
水木さんも愛猫家の一人なのだ。

ある時、目ヤニだらけの子猫を連れた母猫が戸口で、「この子を、なんとかしてください。お願いですから」的な上目遣いで見上げていた。
弱い子猫だと、母猫も決して放置はしない。
こちらがやったミルクを、自分が飲んで、母乳を子猫に飲ませてやっていた。
この子猫は近所の篤志家に拾われて、今ではとてもきれいな家猫に育っている。
先ずは、幸せな部類だろう。







2010/11/29 13:49:02|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(6) 萩の舎と一葉
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、
と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 人々もはや来給ひてこなたへとの給はするに、目とどめて見てけれぱ、げにや善尽し美つくしたるきぬのもやうおびの色かがやく計(ばかり)に引つくろひ給ふ……いとどはずかしとはおもひ侍(はべ)れど、此人々のあやにしきき給ひしよりは、わがふる衣こそ中々にたらちねの親の恵とそぞろうれしかりき「身のふる衣まきのいち」明治二十年二月二十一日

写真:明治20年2月萩の舎発会(年度初めの始業式)
一葉は最後列左から3人目。







2010/11/28 18:00:32|その他
第二の人生
二週間ほど前、甲州市笹子の笹一酒造の前庭で開かれた骨董市で、知っている顔を見出した。
客ではない。
店を張っている側として、だ。
自分の記憶が確かなら、彼は、教員だったはずだ。
K市内の小学校の校長をやっていたはずである。
あれは本当に彼か?

半信半疑でいたところ、今日、甲府護国神社の骨董市で見かけた。
何度、見直しても、やはり彼なので、
「Hさん、いつから骨董屋やってるの?」
と聞くと、
「去年の春からですよ。定年まで公務員してましたから、勤めている間はできませんでしたよ」
「そうなんだ。前から集めていたの?」
「ええ、買う側だったのが、売る側になったという訳です」
見れば、版画も何点か出している。
「版画もあるんだね」
「自分がやってましたからね。油絵とかじゃ無理だけれど、版画じゃ買えましたからね」
そういえば、彼の出身はM美術大のはずだ。
案内カードも拵えていて、甲府の東の住所も書いてある。
「店も持っているんだ」
「電話してもらえれば」
素朴ななます皿があったので、1枚買わせてもらう。

見てはいけないものを見たような気がしていた自分が変だった。

趣味がこうじて今は売る側。
どちらかと言えば、商売というのではないかもしれない。
同趣味の仲間に交じって、時と場を過ごす楽しみなのだろう。
これもありだな、と思いながら、自分のささやかな出版事業や雑誌の編集もおんなじだな、と気づいた。
もうける気もないし、もうかる訳もない。
楽しいからやっている。
「遊び」「道楽」と言われれば、そうかもしれない。
でも、第二の生き方として、これも許してもらおう。

女性には、最近、20代から40代くらいまで、起業する元気のいい人が多いような気がする。
みんながみんな好調とは言えないかもしれないけれど。
彼女らの就職難や就労不安はいまに始まったことじゃないしな。

引き換え、男性には「寄らば大樹」的な思考法が、まだまだ強いような気がする。
だから、「第二」、確かに生計や社会的責任のこと考えているのか、「第二」の人生になって、男性は好きなことやれるんだろうな。

もちろん、それもできず、うずくまっている人も多いだろう。
余生がさぞ退屈だろう。