新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
共感を得るとは
以前から書きためていた旅やアウトドアに目覚めた過程を読み直した、気付いた。
記録、事後の感懐というのは、書いている人の思い出のためになされるんだな、ということである。
何時いただいても、失礼ながら、あまり面白いものがない。

或る先輩が公費による短期の海外研修に行ってきた。
報告ともなく、上司への話題にしている。
上司が、
「それで、何を見てきたんだ」
と言った。答えると、
「その程度か」
と言った。
からかっているような、本気そのもののような言い方だが、周囲に居た当事者ではない私たちまでヒヤリとさせられた。

エッセイの選などにあたってきて、次第に痛感し始めたのはおなじことである。
書けば書くほど、応募すればするほど、面白くなくなって行く。
「見てきた」ものが客観性をもって相手を納得させされなければ、他人はその反映の表現に引き付けられない。
個人の「井戸」堀切って、他者とつながる地底湖にまで至らねばならないのだろう。

写真:マレーシア







行きあたりばったりのようだが
ひどい腰痛持ちとなった今ではさほどでもないが、私は自動車の長距離〈長時間)運転が割合好きだ。
外界が次次と後ろへ流れて行きながら、周囲の景色は少しずつ変わってゆく。
そうして、いつしか一つの統一した雰囲気のある街(猫町)に入ってゆく。
商店街の売り物も、人々の顔つきも、日差しも、緑も、少しばかり違っているような気がする。

車を停めて、町を一巡り。
ここぞという大衆食堂や小料理屋に眼を止める。
価格ももちろん味も、たいていは「当たり」である。
何でもない街でも、一巡り、二巡りすれば、たいてい鼻は効く。

ある時同伴した若いI君が、
「どこでもいいから早く入りましょう。腹が減りました」
としきりに言う。
ただ酒を呑んで、たらふく食って腹が膨れればいいわけではないから、私は無視して二巡り、三巡り歩いた。
見つかった割烹料理は、まさに地元色(食)満点の当たり店だった。
「もう一軒行きましょう」
とI君は、食いもののはしごを提案した。
今の彼は俳句結社のリーダーである。

同じ街を訪ねることは、そう多くないから、再訪することはあまりない。
奈良、大阪を除けば。

若いころから、長距離運転できる、知らない街に行ける(ような気がしていた)大型トラックの運転手になればよかったと半ば本気で考えていた。
荷物の積み下ろしさえなければ、さらに誘惑は強かっただろう。







2013/10/06 8:29:56|本・読書・図書館
100歳の物書き
貴重な著書をいただく。
荻原留則氏の「続観山居雑録」だ。
編集は娘さんの山村保子氏。
表紙は父君の荻原霞江。

荻原氏は百歳を迎えた樋口一葉及び地域学の研究者である。
一葉研究では「足で調べる」調査法でずいぶんと成果をあげられた。
それもこれも大学事務官を退官されたてからのお仕事だ。
氏はこの研究成果を「神様からの賜り物」と言っておられる。

今回の冊子は、書名の示す通り、私的な回想、感懐等が多い。
いずれもありがちな自己顕示はみじんもなく、回顧してセンチメンタルにならず、まことに滋味感じさせる書きぶりである。
これは長年書き慣れてきたこともあるし、間違いなく氏の人柄でもあると思う。
娘さんの添書きに、寝込んでいることが多いけれど、「ものを書く」執念、エネルギーはまだまだ十分にある、と。
一葉資料の寄託について私が無念さと懸念を表したところ、氏は早速これにかかわる随筆をものされてお送りくださった。

なんらかのかたちで皆さまに読める形にしたいと思っている。
こういうものがいくつか集まれば、年1回刊行の本誌の合間に、小冊子で「猫町文庫・号外」みたいなものを出しても言い。

楽しみながら一遍ずつ味わいたい。

一葉記念館などに関しての約束を守らねばならない。







2013/10/01 8:35:47|甲府
強行遠足、無事実施されてこそ!!
小諸まで車を走らせてきた。
しばらくこちらには足を向けなかった。
来たくなかった。
けれど、ここ2年、この時季になると、祈るような、弔うような、止むにやまれぬ思いでこの道をたどっている。

母校であり、かつての勤務校でもあった甲府一高の強行遠足(男子105キロ)が今週末に実施される。
奇しくも、かつて小諸105キロコースになったのは昭和40年、私が高2の時だ。
行事は大正13年からだから、今回で89年になるだろうか。

今回の強行遠足が、生徒、協力する保護者、OBにつつがなきように。
ただそれだけである。
松原湖検印所を出て間もない、畑中の路傍。
たむけてある水や花には、胸のつぶれるような思いがした。
よろめき歩む生徒たちが、夜中の真っ暗な国道で、爆走する大型トラックに巻き込まれはしないか。
これが一番怖かった。
13年前のあの痛ましい事故は、午前中の、見通しの悪くない道で、暴走する若者の車によって引き起こされた。
私が甲府一高を転出した年で、報を聞いてショックなどというレベルではなく、言葉にならなかった。
絶対起こしてはならないことが起きてしまったという無念さしかなかった。

去年、久しぶりに訪れて衝撃を受けたのだが、コースに当たる路肩の老朽ぶり。
舗道に生い茂る雑草の群。
路肩の崩れであれ、アシナガバチであれ、かすり傷であれ、何事もない年はあり得ない。
大事にならず、綱渡りのように実施してきた。
事故を起こしてはならない。
これはヒロイズムではなく、修行だからだ。
ロートルのがOBたちがなんといおうと、その覚悟がなければ、これは実施してはいけない。

ほんとうは、こちらに思いを込めて車を走らせるのなら、立ち寄って、かつてのご厚意への謝辞を言わなければならないお宅もあるのだ。検印所を手伝ってくれた歴代の卒業生たちと語りあいたいこともたくさんあるのだ。

とにかく、無事、好天の下の実施を。
あほうな行事のように見えながら、限界となった肉体の中に、精神は研ぎ澄まされる。
自分が歩いただけは自信になる。

書いているうち、甲府帯那の脚気石神社にお参りするのも、職員の習わしだったが、こちらにもお願いしておきたくなった。

写真:右側の道路わきが検印所の泉屋さんの旧宅。右ゆけば踏切、そして小海へ向かう。







2013/09/27 7:28:06|MY FAVORITE THINGS
手帖
デパートの手帖売場なんかが賑やかで、気をひかれる。
手帖が好きななのだが、うまく使えたためしがない。

一日に仕事が何軒もかさなっていたり、それも誰かとお会いする予定だったりし、それが週に3日も4日も重なると、さすがに全てを頭の中に並べておくことはできない。

それ以前の職は、考え方や感じ方、取り組み方はそうでなくとも、日々の仕事、したがって月々の仕事の型は殆ど同じことの繰り返しだった、
繰り返しに意味があったと言っていい。
だから、予定や約束を調整する手帳というものはさほど重要ではない。
月例の行事予定表でこと足れるからだ。

学校を離れ、内外の連絡調整を図って、日々仕事の企画もし、人の動きも調整する屋加わりになってみると、手帳はなくてならないものになった。
如何なる電子黒板・電子手帳があって、手元の端末に同じ内容は参照できても、手帖を持ち歩かなければ、人さまに何度か失礼をしただろという事態はたびたび起きた。

聖書かと見まがうような、あるいはサイドバックかと見えるようなシステム手帳とそのリフィルに凝ったこともある。出張の多い職の時は、そこの地下鉄の乗り換え路線図から切符、予備金、カード、名刺、不戦、ゼムクリップ等を集約させ、すべてこれで間に合わせることに憂き身をやつしていた。

「そういう手帳は収入○千万以上の人が使うもんだ」
とからかわれたが、給与はともかくとして、実際それくらいの仕事量だけはあったのである。

再び内勤の仕事が増えてくると、分厚いシステム手帳は荷厄介になってくる。
また、小型冊子タイプの手帖に戻る。

仕事のできる人ほど、手帳の使いかが壮絶であることが多い。
地方大学の工学部から日本を代表する鉄鋼会社の部長まで昇りつめたおとこと、披露宴で隣り合わせたことがある。
開演から閉宴のその時まで、彼はメモをとりづめだった。
誰が何を言ったはもちろんのこと、吸い物の中身まで買いとめてある。
「悪しき習性でしてね」
という男は、完全退職して何年もたっていた。

もうすぐ高校の校長を退職するだろうSさんは1冊に能率手帳のようなかわりばえしないものを愛用していた。
細かい蟻のような文字が、色とりどりに隙間がないほどびっしり書き込んである。
予定ばかりではないらしく、名言の引用から、相当辛辣な所感等まで赤く。
だから、6月くらいになると手帖はぶくぶく太り出す。

ある俳人は共済組合などでくれる小型の月予定名だけの手帖を、縦にまくって、これだけは高級品の万年室の字画の太さを気にして書き込んでいた。
「手帖はこれで十分さ」とつぶやきつつ。

ある作家はB4のノートに見開きで、月ごとカレンダーを書いてそれを利用していた。

これといった外の職のなくなった今の自分の手帳は、この俳人に近い。
相変わらずシステム手帳などに色目を使うが、こちらは家据え付けの控えとして機能させるだけのことに割り切っている。
持ちあるくのは薄っぺらい行事予定表だけである。
こまったことにこの手帳が、何処かへもぐってしまうこともある。
だから小さな手帳は数冊使っている。
控えのシステム手帖から、予定を復元しようとするが無理だったりする。
記述が完璧な物はどれもない。
そうこうしているうちにひっこり出てくることもある。

店頭にズラリ並ぶ手帖に、ふと足を止めてみたくなるのは、半ばは無意味に忙しかった、自分からで無理やり忙しくきていた頃を情なくも、無意味にも思い出すのだろう。