新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
フォルダとファイル
パソコンを始めて最初の頃、「フォルダ」と「ファイル」という考え方が出てくる。
「あのフォルダと、ファイルね」
と馬鹿にして、パソコン歴ばかりが積み重なると段々困ってくる。
「フォルダ」と「ファイル」をなめていたからである。
「『あのフォルダとファイル』とはモノが違うんだ!」

そうして、パソコンとは情報=ファイルを、並べ、整序、不要なものは迷いなく廃棄すべき、たったそれだけのシステムだからである。
パソコンは舐めても、このシステムを馬鹿にしてはしっぺ返しを食らうのである。

まわりくどいことを言っているが、必要な「ファイル」が我がパソコンからなかなか見つからないことが、しばしば起きてくるのを嘆いているのだ。
3台のパソコン、外付けディスク、数々のメモリーを同時並行でつかっていると、こういうことが起こりやすい。
特に画像ファイル、PDFファイルなどが甚だしい。
「その画像はありますよ」と返事してから、汗かいて探し回ることも少なくない。

駄目な図書館、個人文庫のようなものである。
データが「組織化」されていないのだ。
「フォルダ」と「ファイル」をしっかり管理しておかなかった罰である。

今もパワーポイントメディアをこしらえた素材の画像の群を探し回っている。
印刷素材に提供するのに、困ったものだ。

写真:韮崎市さくらリゾート







2013/09/15 11:15:25|本・読書・図書館
古典文学を拾い読みする
本は常に並行して4,5冊を読んでいる。
流し読みする本、調べるために関連のところだけ見るついでに寄り道してしまった本、待ち時間に読む本、机の前でノートを取りながら読む本等々、読む「場」やスピードだけ考えても雑多に及んで、いちいち紹介すれば、支離滅裂、マニアックと言われかねないような内容かもしれぬ。
 
その中に古典文学が含まれることもある。
そこで、改めて「面白いなー」と再発見することも少なくない。
今だったら、生徒にもっと楽しく教えられるのではないかあなどと思う。
いまさらどこで教鞭をふるうつもりもないが。
現代語訳や文法、入試問題への頻出度、現代と異なるモラルなど気にせずに、もっと言えば、学習指導要領も関係なく、生徒と古典文学を読めたのではないかと思うのだ。
 
岡崎 真紀子・千本 英史・前田 雅之・土方 洋一らの編著で、古事記や源氏、平家や太平記、芭蕉、西鶴の有名どころから、教科書に載らないちょっと変なもの、また近代の透谷や小波、子規、朔太郎まで、36の古典作品を原文で読んでみる。
とはいえ、立派なアンソロジーだ。
知っていたものも知らなかったものもあるが、たいてい面白かった。
平凡社ライブラリー
 
文化はことばでこそ継承されるのだということがよくわかる。
だから、古典作品に着目し楽しんでおかなきゃもったいないということだ。
「過去を想像する」という。
想像というより記憶の中にある美や風情を、実際に眼に映るものより「上」に置くことなのだ。
これは本居宣長が吉田兼好を「つくり風流(みやび)」と嘲ったのは、そこを理解していない。
 
最近、古典のこぼれ話集とか、くだけ過ぎた解釈(往往にしてイラスト付き)や、相も変らぬトリビアリズムの虎の巻も出ている。
古典読書意欲を喚起するものではない。
宇津保物語を初めて読んだ時の茫漠とした海の広がり、更級日記の足柄山に遊女が消えて行った闇の深さ、伊勢物語の「ある男」の業と煩悩の辛さなど、自分が衝撃を受け、わくわくドキドキして読んだ経験を、生徒に伝えられたのだろうか、と心もとなく振り返る。
自分が味わったおいしいところを伝えず、城内のサンマのごとく味もそっけもない古典を教えていたのでは申し訳ないことである。







2013/08/22 8:45:56|雑誌「猫町文庫」
猫町文庫交流会
「猫町文庫」の交流・4集まとめの会を開いた。
東京から3人、地元山梨から9人の執筆者・維持会員からの参加者だ。
現在のこういう会にありがちなシニアばっかりというのでもなく多様な顔ぶれだった。

3集あるいは4集掲載の作品について、また、この文庫の運営についても話してもらいたかったのだが、席周辺での雑談に終わったようだ。
運営の力量もあり、参加sh内色々な思惑もあるようだ。
まあ、洋食食べて、たまにはただ交流するのも悪くはなかろう。

だいたいにおいて、人に批評されうことを好まぬ、「やっちゃったことは仕方がない」主義の濃い土地柄でもある。
批評すれば「アヤをつけた、イなことを言う」と私怨を持たれる場合が多い。
さもなきゃ、まったくのめくらめっぽう斬りまくる。
これじゃ「文芸の進展」も地域の文化度の向上も望めない。

「猫町」は応募すればだれでも載せるという雑誌ではない。
会員は義務的に書かねばならぬこともない。
それぞれがテーマとするもの、試みたいものに真っ向から取り組んで、「手弁当」で文字にする。
望ましいのは、各人の中心とするテーマだ。
暇つぶしの言や、自ら頭を使っていない「手抜き」仕事はいらない。
当人が恥じるべきだ。

こういう点についてやり取りができれば本物だが、課題だ。
ふと思った。
他人の書いたものを読んでいるのだろうか、と。
虚心坦懐に読めているのだろうか、と。
「他」への関心のありやナシや、が気になる。

個人的には、40年以上前に文芸の話ばかりして、ついには共に同人誌を作っていたSさんとそのパートナーが東京から来てくれたのはうれしかった。
近々から撮影の写真を皆さんにお送りするつもりだ。
彼は西脇順三郎系の詩人だったが、子どもの読み物の専門家として今日まで来た。
同じく心臓病のキャリアだ。
解散後、彼らが泊するKホテルのロビーで一献傾けた。

話は尽きなかったが、いつまでこの生が持つか分からぬなか、自分のやりたいところをシコシコやろうという決意を、互いに静かに確認したところである。
昔の友は、やはりいい。







山がつのおとがいとづる葎かな(芭蕉)
話題が地元のことや知り合いの人に触れると、とたんに陰に陽に、驚くほどの抵抗・反発というか、反撃のようなものが帰ってくる。

知人は順番で地元の自治会の世話をしなければならなくなった。
もと公務員である。
年度初めから、月例……やることはどこの自治会もそう変わらない。

その町には、すでに報道もされている、住民の積み立ての不正流用、私腹化の問題があった。
知人がこの件に手をつけようとすると、地つきの「元小地主」のような人たちがやってきたという。
「この問題に首を突っ込むのを止めろ」というサインである。
やがてやってきた「元中地主」は明白にそう言ったという。
最後に登用した「元大地主」で「親分」と言われた人だろうか、「どこの来たりモンだか知らんけんど、えらいチョビチョビするじゃねえか」と、脅すような口ぶりだった。
身に危険さえ感じるような具合だった。
いわゆる「あちらの世界」の方々ではない、普通の年よりである。
地域も町に隣り合った、昔ながらの住民と古くからの住民が混在するような土地だ。

若い世代や新住民家族などは、問題にさして関心はないようだ。
友人は孤立無援で、見て見ぬふりに徹しようかとも思う。

何百年の泥のような、おりのようなものが、不意に舞い立つことがある。
知人も生れた村ではそれなりの地主の倅だし、管理職もやった者だが、違う町(元の村)に来てしまえば、「どこの馬の骨」である。
定年になった同級生の何人かが、実家を直して住むとか、移住するとかワクワクしているが、元気を失わなければいいが。

こういう現象が「ネット村」でも時々いやしばしば起きることがある。
顔の見えない、匿名の世界だからやりとりはさらにえげつなくサディスティックになる。
ある文学者を「おらが村の文学者」「我こそ文学者の一族」などと思っている人たちが、一番面倒臭い。
事実調査の妨げになっているのは、実はこういう事態である。
あんまり感情的だったり、事実無根、悪意のある書き込みなどは無視することにしている。
自分が開いているSNS(ネットによるメディア)ならば、それくらいのことは認められていよう。
でもしつこい人は、発信先のパソコンのIPアドレスが分かるのに、時々、偏見と誤りに満ちた呪詛のような書き込みを投げつけてくる。

現実世界のここも、ネット社会の「ここ」も、大変な田舎いやジャングルなのだ。







2013/08/03 11:05:41|山梨
金子文子忌に
7月28日は甲州市牧丘町で、恒例の金子文子忌だった。
各月の読書会には失礼しているし、年一回の忌くらいには伺わねばと思う。

ブドウ畑に囲まれた丘の上の母親の生家の文子碑のもとに来ると、いつも不思議に思う。
この長閑さの中で、文子のような激情がどうして生まれたのか、と。
それも朝鮮人差別や植民地支配の不条理についての。
巨峰の生産など現代とは異なる土地の貧しさの反映なのかとも。
植民地での見聞と朴烈への愛情からだろうか。

「何か私をかうさせたか」を読んで痛感するのは、彼女の不器用さと生真面目さだ。
民団の会長まで勤めた朴烈の現世的な実務能力は、文子には求めようもなかった。

続いて小松隆二氏の講演を聞く。
末尾で、全集編纂などに結びつく文子資料の収集整備の必要性について触れた。
わたしはがっかりした。
60年代から70年代にかけて文子の最初のブームがあったように思う。
小松氏が研究を始めたのもそのころからだ。
「何が私を」の復刻版も、黒色戦線社のリーフレットも出た。
クロポトキン、バクーニンなどの翻訳、大杉栄全集、平出修全集やがては幸徳秋水全集等の刊行等、アナキズムの意義をふりかえろうというムードもあった。

あれから40年以上、文子の資料整備はほとんど進んでいないようなのだ。

もうひとつ驚いたことがある。
小松氏が、資(史)料整備を始める機関車は「山梨金子文子研究会」がふさわしいと言ったことである。
研究者にしてこの言。
金子文子資(史)料整備の重要さは理解する。
しかし、研究会の、この高世代の人たちに、もはや何ほどのことができようか。

何についても、年寄りの「けしかけ」は困った話である。
年寄りが年寄りにけしかけるのは、もっと残酷だし、無責任だ。