大学の講座も前期の中間に差し掛かってきて、高齢のブックトークを書かせる時季だ。 小学校低学年・中学年・高学年、中学生、高校生と対象を決め、紙上でトークしてもらう。 学んだことには「共有化」が大事だと考えているからやっているのだ。 提出したものは、なるべく互いに聴いたり読んだりさせたい。 これでこそ、個々人に差をつける「学び」とは異なる学びの成果、「おまけ」が出てくるだろうから。 整理・編集、刊行、配布までは大変だが、楽しみにしている学生もいるようでがんばりたい。
教員をやっていたときにも、私は、なるべく提出物をハンコだけで返さず、プリントにして互いに読めるようにすることを心掛けてきた。 発表等の言語活動も、聞く者がどう聞くかを重点的に見てきた。 コミュニケーションとは,「話す」「聞く」が交互に交代するのではなく、両者が同時的に存在するのがありようだと思ったからだ。 両者の「間」に、何事かが生まれる、これこそが望ましいコミュニケーションだと思うからだ。 一方から一方への「伝えあい」ではない。 コミュニケーション不足とは、この伝えあいができない人が多いことだ。 さんざん議論しても新しいものは生まれない。 最後は「賛成でいいや」とか投げやりな気持ちで議論を終える。 これが実情だ。
学校現場でもこの趣旨に賛同してくれて、「聞く力」を育てる研究が一時は大分流行った。 今は低調だと思う。 唱えるに易く、気長に実践し続けることが難い考え方だから。
第二次教育再生会議がどんな方向に行くか。 あんまり「実用」「国際化」「紙上学力」「経済」ばかりを重視すると、子どもの育ちにまたまた問題が起こって来はしないか。
写真は季節違いの都留。 |