新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/11/04 19:46:37|グルメ
美味し! 笹漬茶漬
5か月も入院した結果、数々の後遺症があってショッキングだった。今でもその名残は少なくない。
この間、ほとんど寝たきりだったから、筋肉が萎えてしまって歩けなく、いや、自分の足で立てなくなったこともびっくりした。

口の中の唾液が出なくなったのにも驚いた。
1か月は点滴、続く2か月は流動食、つづいて病院食だが、殆ど1割ものどを通らないという有様だった。
結果として、20キロ近く痩せ、口の中の何箇所かにある唾液腺がストップしてしまった。
口腔外科の医師によれが、
「完全復旧は無理かも知れんね」
とう。
けれども、食いしん坊の本性にたがわず、退院してみたら、猛然と私の食欲がわいてきた。
ただし、味覚が変わったようでもあり、かつてうまいと感じたB級の食物の殆どがくどかったり、出汁が効いていなかったり、粉っぽかったりして、どうにも食べられなくなった。
「目」は食べたがるのだが、食べてみるとたいていがっかりする。
私はいくつかの「名店」と思っていて店をリストから抹消した。

それに、だ液不足のせいだろう、固形物を食べるのに、水分がむやみにいる。つまり、味を見た後で、のどの奥へ、流し込まねばならないという訳だ。体重を増やしてはいけない腎臓病患者にとってジレンマである。とは言え、「体力回復のため、食うことは差し支えないし、食うべきだ」などと、医師は矛盾したことを言う。

そんな今の私にとって、美味い茶漬けなど大歓迎である。
そこで全国各地の漬物だとか、保存食だとかを取り寄せては、「お茶漬けさらさら」とやって悦に入っている。むくつけき男の茶漬けだから「お茶漬けZ−クザク」かもしれない。

ここに紹介するのは若狭小浜の笹漬を用いた茶漬け。
小鯛、キス、アジの甘酢漬の三種を飯にのっけて、海苔をもんでかけていい醤油をひとたらし。それに緑茶をかけてザクザク。
塩辛からず、すっぱからず、生臭からず、笹漬からシトシトとお出汁が出て、食べたことのないうまさ。

こういう楽しみも発見したが、ま、本当は、肉の塊でも、揚げものでも、おむすびでもむしゃぶりつけることがさらに願わしいのである。







2011/11/01 16:04:52|樋口一葉
一葉の季節

今年も樋口一葉の季節がやってきた。
研究会(学会)と台東区の追悼行事。
山梨の碑前祭はこの月の23日に住んでいるはずだ。
残念ながら、今年は、いずれの催しも欠席させていただこう。

一葉の日記の全解釈が「文芸思潮」紙上で完結している。
この本文も再三再四確認して、書物にしておかねばならぬ。
各地の催しを休む代わりにこれだけはやっておこう。







バンコクの川
バンコク(タイ)の市街を西へ行くと必ず大河とその船着場にぶつかる。
チャオプラヤー川だ。
フェリーや観光船の泊る立派な桟橋もあるが、たいていは水中まで張り出した食品や土産物の素朴な店(屋台)で船着場はできている。
チャオプラヤーの水はいつも岸すれすれに満々と満ちていて、そこを大小の船が盛んに行き来する。
一番多いのが、喫水の浅い高瀬舟のような、素朴極まりない細長く大きな舟だ。
これにトラックのかと思われるようなエンジンを載せて、船外機を後ろに突き出しては、船着場や川面をうねって歩く。
波を蹴立てて、ぶつかるかと思うほどの近くを船たちはすれ違ってゆく。

これよりはもっと大きなものだが、シープラヤ船着場からフェリーに乗って上流のアユタヤの遺跡群を見に行ったことがあった。
バスで行く手もあるのだが、川面からバンコク市街を眺めながら、途中でランチビュッフェなどもしながら行くのも至極よかろうという思いのちょっとした船旅だった。
この思いつきはとても気にいった。
川面から見ると、チョプラヤーの水はバンコク市街とほとんど同じレベルにみなぎっていることが分かる。

大河の河口にあることの多いアジアの都会には、こういう印象を与える街が多い。
ハノイ(ベトナム)は確か川の中州の意だったし、クアラルンプール(マレーシア)も近い意味があったように思う。
大河なかんずくその満々たる水は常にアジアの都市民の暮らしと共にあった。
いや、ちょっと郊外に出れば、そこも水の中に暮らし、何百年来水と共に生きてきたのだということが痛感された。
たまには家や人を含めた暮らしを呑みこむことがあっても、水は彼らの憎悪の対象などではなく、我がままで荒くれた神様みたいなものであろう。

首都バンコクにまで迫る水に対して、タイの人々が案外のんびりしていることに違和感を訴える報道なども目立つ。
我々がすでにアジアの民が水と共に暮らしてきたことを忘れているからである。
さもなくばコンビナートや石油の備蓄場所とか原発とか、水辺を迷惑施設の設置場所ととらえてきたこの国の人々だからだろう。







半年が過ぎて
このブログで体調不良を訴え、入院し、心臓の手術を受け、幸か不幸か生還をして加療に当たって半年。
様々な不義理をし、御迷惑をかけた。
まことに申し訳のないことである。
献身的なお世話になった方々も多い。
我がまま放題の自分にはまことにもったいないことである。

そうこうしているうちに、庭のジャスミンも名残の季節になった。
我が家のジャスミンは香気も薄く、揚葉蝶か熊ん蜂のよすがにしかならぬが、毎年、この咲くのを見て思い出すのは、いつかセビージャ(スペイン)の修道院のパティオで見た見事なそれだ。
あんまり見事で、まさか我が家のと同じだなどと思っても見ず、たまたま傍らを通りかかった修道士に、
「これは何?」
と訊いてしまったほどだった。
彼は、
詰まらぬことを訊くものだという気難しげな面持ちで、
「ハスミンに決まっているだろ」
と言った。
「ハスミン、ハスミン」
と口中に繰り返すうちに、はっと気付いた。
「ja」が「ha」と聞こえるのはスペイン語の常。
ザビエールはハビエールになったりする。
「ジャスミンかー」
と感嘆しつつも、自分の余りの迂闊さに呆れた。

遠い約束や責任のある約束は、もうすまい、と名残のジャスミンを眺めながら考えた。
様々な責任を降り捨て、逃れてしまった自分だが、いくつかの責任は、いまだに免れないでいる。
雑誌「猫町文庫」第3集の編集は、その最たるものだ。
原稿のお願いを、お詫びと共に、各方面にせねばならぬ。

粘り強く、持続できる心身を次第に取り戻さねばならぬ。
熊ん蜂も揚葉も姿を消したジャスミンを眺めつつ、私も力のない力瘤をそっと入れたところである。







2011/04/12 15:13:57|文学
ロシアの猫町
 雑誌「猫町文庫」の仲間からこんな便りをもらった。

 地震・原発騒動を逃れるように3月20日からサンクトで暮らしています。
午前中は語学研修、午後はプーシキン・ドムと国立図書館、土日はエルミタージュ・ロシア美術館の見学で過ごしています。
 雑誌は(「猫町文庫第二集」)はコースチンが喜んでくれて、日本センターとマヤコフスキイ市立図書館にも届けておきました。3月26日 在サンクトペテルプルグ

 国内外、各方面に「猫」の足跡が残ること、まことにうれしい。