思い出の中の一番の桜は、私にとって、武田神社参道の桜並木だ。 幅員も今の半分ほどもなく、未舗装の埃っぽい路だったが、4月初めの、太宰治が、武田信玄の命月というのもできすぎていると書いている(当選の日)頃の、ふさふさとした桜のトンネルと花影の薄暗がりは、今、思い出しても夢幻のごとくであった。
中学の頃には、季節にはこのトンネルを毎日くぐって自転車で通ったのだから、贅沢なものだった。 中学の途中から、道幅を広げるために、桜並木は惜しげもなく切り倒されていった。 今も昔も、行政や都市計画の名の下に、何の先見もなく、とんでもない愚挙を犯すものである。 桜の切り倒された路は、舗装工事の済む間、ただのほこりっぽい田舎路だった。
中学を卒業してからは、自宅からさほど遠くもないのだが、武田通りはしばらく無縁になった。 大学へ入る頃までは。
大学へ入ってみたら、参道は広くなり、舗装されていて、ただの郊外の路だった。 誰が、どう気が引けたのか、ある頃から、4月の初めには安っぽいビニールの桜の枝が電柱にくくりつけられるようになった。 かえって無惨で、目にしたくなかった。
通りのところどころに「○○守屋敷跡」といった立て札が立つ頃、人の背丈にも足りないほどの桜の若木が植えられて、今に至る。 やはり、寂しいことに変わりはない。
信玄公祭りも中止だという。 イベント会社任せの祭りもいかがな物かとは思うが、余り苦悩した様子もなく、自粛のため中止というのも、いかにも情けない。 「おみゆきさん」のような盆地を巻き込んだ大きな祭りが衰退してしまった今、観光的でも、商業的でも、祭りは維持しておく方がいい。 この自粛、「節する」「歌舞音曲の停止」「中止・廃止」のいやな連鎖は、昭和天皇の「御不例」の時以来の感がある。 スキさえあれば、ものごとを縮小して行きたいという心根は情けない。
写真は昭和初期の武田神社
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