新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/03/27 20:51:07|その他
仕事のスパン
 このところ、これまであちらこちらへ書いてきたものをテーマ別に整理しておきたい、というような志向が働く。
これから先の生の時間を考えた時に、そういう志向が強くなるのだろう。

 「何年がかり」というような仕事とか、約束とかは、したくないし、できない。
これはひとえに体調への不安があるから、ご迷惑を増やし、自分もストレスを抱えたくないからだ。

 一方、頼まれた原稿や講演なんかもある。
これも誰かさんのように漫談で済ましたり、何時でも同じというのではいやだから、たとえ数ヶ月でも、できる限り勉強して、考えて、整理して、聴衆の必要性も意識して準備しようとしている。

 冒頭に書いた「書いてきたもの」のまとめは、従って、常に、じわじわと増量していくのだが、それをいつまでも待っているような遠大な計画はもてない。

 それでなおかつ、目下現今、終末が来たてしまったらどうなるか、などと時々思う。
自分は昔の剣豪のように、一瞬一瞬に覚悟を決めて生きていないから、かなりの思いと他人任せの片づけを残すことになるのだろうと思う。
少しでも減らしておきたいのだが、未練が多くてなかなか片付かない。







2011/03/26 19:45:37|その他
祖父ごころ
 10日ほど我が家に仮宿していたアビシニアンのルー君が、家族と共に、お父さんの新任地奈良へ向けて出発していった。
毎日隣あわせに過ごし、特に昼間などは一匹と一人で無聊を慰めたり、昼寝したりしていたから、すっかり馴れ馴れしくなった。
赤ちゃん時代よりもなついたような感じがした。
ルー君はニューハーフだから、顎も鋭角的に細く、少年ぽい面立ちを残している。

 一方、数日後に、もう一人孫が生まれることになっていて、とても順調だという。
その矢先、水道水の放射性物質汚染騒ぎが持ち上がった。
「呑んだって平気ですよ」と言われて、生まれてくる子を平気で実験台にするわけにはいかない。
ミネラル・ウオーターは数本しか用意できず、今日あたりは近所のスーパーでも棚から消えたという。

 先日私は、単一乾電池を求めて終日歩き、果ては関西から来る人やら、日本海側から来る人に頼んでみたが、とにかくこの国から市販できる単一乾電池は姿を消したことを知った。
結局、数本のローソクと、小さな懐中電灯に頼ることになった。
「計画停電」の今後も不透明だし、結局、ケロシン・ランタンをアメリカから取り寄せることにした。

 ミネラル・ウオーターもあっという間に消えたらしい。
年輩の方が、かつて「水を買うようになっちゃおしまいだね」と言っていたが、その時が近づいているようだ。
お得意の通販ネットにあたると、まだ、買える様子である。
横文字のPだかBだかの硬水は、赤子用には如何かと思うので、国産の軟水500ミリリットルを少しまとめて頼んだ。
これは親ごころ、いや、祖父ごころなのだから「買い占め」となじらないでもらいたい。
それにしても、いくら買ったって、水は消費して消える。
水の安全が保障されないことには、我らの生存権も危ういのだということに違いはない。

 福島第一原発について、「石棺」という言葉が出始めた。
先ずは、止めて、廃止して、廃炉は他の原発にに及んでもらいたい。







2011/03/25 16:42:01|その他
欠陥スパイラル
 秋葉原無差別殺傷事件のKに死刑判決。
ケータイ・カンニングの少年は家裁送致の上、保護監察処分。
3号機の作業員(孫請け会社の)3名が被爆。

 これらは無縁のものではない。
現代日本社会の「人食い」欠陥スパイラルの現れ。








2011/03/25 16:17:55|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(22) 荒物屋を開く
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 かつや文学は糊口(ここう)の為になすべき物ならず。おもひの馳(は)するまま、こころの趣(おもむ)くままにこそ筆は取らめ。いでや是(こ)れより糊口的文学の道をかへて、うきよを十露盤(そろばん)の玉の汗に商(あきな)ひといふ事はじめばや「にっ記」二十六年七月







2011/03/24 16:09:29|その他
がんばれー?
 ホトケノザ。
珍しいものではない。
果樹園やら庭の片隅やら、空き地やらむやみに生える。
「三階(界)草」ともいうそうで、仏さまの蓮華座に似ているからという。
そんなに大げさなものではなく、可愛らしい、ただの野花である。
分類的にはややこしいようで、春の七草の「ホトケノザ」はキク科の「タビラコ」で食用になる。
こちらの「ホトケノザ」はシソ科で食用にならない。
それなのに、見れば、なるほど刺身のつまに出てくるピンクのシソの花に似ていたりする。

 このところ、「がんばれー」「がんばろー」「がんばってください」「がんばります」という言い方をとても目にする。
そうとしか言いようがないのだろうけれど、「がんばれない」人にとっては、これは酷な言葉だろう。
精神的には「がんばる」気持ちは誰にでもあるだろう。
けれども、高齢者、幼子、病人、障碍書など、肉体的に「がんばれない」人もいる。
泳げない人に「根性で泳げ!」と言うようなもので、なかなか辛いものである。
放射能汚染を恐れて避難を勧告され、放置され、亡くなっていった21人の高齢の病人にどんながんばりようがあったか。
貯水池に放射性ヨウ素が検出されれば、幼子を持つ親にはがんばりようはない。
ミネラル・ウオーターを買い占めても、そのボトルには、赤ちゃんのミルクをミネラル・ウオーターで作らないでくださいと書いてあるではないか。

 がんばれる域を超えてしまった時、「祈り」があるのだろうし、たとえば弥陀の本願と云うような「他力」の世界があるのだろう。
有史以来、か弱い人間は、自然の猛威の中で祈ってきた。
それが人工物の猛威の中でないことを、心から望みたい。