新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
抜き刷りから機関リポジトリへ
 年度末だから、教育(研究)機関やコンクール団体から紀要、研究報告、応募作品集の類がかなり送られてくる。

 いつか大学の紀要に一文を載せてもらった時には、合冊を1冊、抜き刷り(自作品のみ)を、なんと60部くれた。
いくら抜き刷りでも60部は処分に困るというものだ。

 間もなく、編集委員会からだったか、執筆者としてお前は抜き刷りは何部ほど必要か、以後の検討のために意見を言え、と言ってきた。
印本費やら通搬費にかかるコストを削減するのが、今や、至上命題となっているのだろう。

 私は、日ごろのポリシーどおり、次のように返信してやった。
「自分としては抜き刷りは10部もあればたくさんだ。現在、また、これからのすう勢として、研究報告、紀要類は機関リポジトリに構築して、内外を問わず参照される便宜を図る方向に進むべきだと思う。
報告類は公刊すること以上に、収められた研究がどれだけ参照されたかが、各機関の評価につながるのではないか。

 さらに言いたかったのは、コスト削減を第一目標とする苦肉の策として、消極的に電子化(デジタル化)、ネット上へのup(オンライン化)、また、CDRによる配布を行うのではなく、研究成果をできるだけ衆目にさらすという積極的な狙いで、これらの電子化がなされてほしいのである。

写真は中央大学の鈴木俊幸氏が自ら編集、版下を作っている「書籍文化史」12.同病相哀れむ的な共感と同情を禁じ得ない。







フランス座@諏訪

 なんともノスタルジーをかきたてる。
主も、日本のこの業界の大ベテランのような人らしい。
どうせなら、向かいの店で佃煮を買って帰るばかりでなく、灯ともしごろに、舞台を楽しみたいものだ。







蓋碗、再見

 「蒼穹の昴」が典型的だが、
「さらばわが愛・覇王別姫」であれ、「花の生涯・梅蘭芳」であれ、むやみに茶を飲むシーンが出てくる。
それも蓋、皿付きの、いわゆる蓋碗(がいわん)という奴でだ。
これの蓋で、口元に漂ってくる茶葉を向こうへやりながら、茶をすするわけである。
しかもたいてい皇帝や皇太后の使うのは、高貴な色・黄色のだ。
なんとも美味そうで、この世に一本しかない木からとれる茶葉なんぞに凝って、家産を蕩尽した者もいるというのもむべなるかなと思わせる。

 一時、私も、この蓋碗集めに凝っていたことがあって、香港でも、台北でも、果てはベトナムでも、安くて柄のいいもの、高くても、アンティーク的にいいものを探していた。
そして、殆ど裏切られた。

 東南アジアで唯一中国の影響を受けているベトナムのバッチャンは陶器村で、ここは見所がありそうだと行ってみたが、今や、観光客相手のこぎれいな工房ばかりでかなりがっかりさせられた。
ある工房はギャラリーも持っていて、古いものも扱っているというので期待したが、蓋と実と皿とが食い違っていたり、適当に組み合わせたりでひどいものだった。
やっと、自分で上記の組み合わせを直して、ひと組買ってきた。
値切ったものの、まだ安くはなかった。
レジのお兄さんがにんまりしたのを見て、
「もっと値切るべきだった」
と後悔した。

 香港は安かろう悪かろうの粗悪品。
台北のは東京の青山でも買える品。
で、再び、カタログで通販でいくつか買って、蓋碗ブームは終わりを告げた。

 それからは茶壺(ちゃこ)というおままごとのような急須に目標を替えて茶の香を楽しむことにした。

 最近はそれも飽きて、エスプレッソ・コーヒーのドピオ専門になってしまっている。

 写真はバッチャンの陶器工房。







2011/03/08 20:11:13|「純喫茶」
石の花@上諏訪

 上諏訪駅前の丸光デパートのちょうど裏になるだろうか、
石の花」というクラシックな「謎」の喫茶店がある。
昭和の「純喫茶」という風情だ。
元は医院だった屋敷を、半分は骨董・古書屋、半分は喫茶店にしている。
まあ、両方が一緒と思えばいいのだが。
ここは諏訪のベテランの書家や画家、音楽家、そのお弟子さんたち、取り巻き連中が集まった店らしく、
ご年配の方々が、高尚な芸術論や、高尚ならざる知人の悪口大会をやっていたりする。
いずこも同じなんだな。
少々カビ臭かったりするが、駐車場があるのと、落ち着くのとで、時々はここに座る。
そうして、上記のがやがやを聴きながら、仕事らしきものをしている。
写真は桜の風味のシフォン。
なかなか乙なものだった。







2011/03/05 17:53:42|深沢七郎
哀号!! 森兼宏の死
 今日、森兼宏が死んだ。深沢七郎は彼のことをヒグマと呼んでいた。「風流夢譚」事件の後、ボクシングの練習生だった森は、七郎にボディガードを頼まれた。そうして、二人、日本中をさすらって歩いた。放浪の後、関東平野のど真ん中に、水道どころか、屋根も便所も風呂もないプレハブ小屋で、共に暮らし始めた。森はフラメンコの名手になった。七郎は彼を養子にしたかった。森は彼女をこしらえて、信州で結婚した。  森の病状が重い、今月持たないかもしれないと、石和のOから聞いたのが、昨日。今日、Oと見舞いに上田まで飛んでゆこうと決めていた。  先に深谷満男(通称ヤギ)が死んだ。そして、今日、森が。いつかはみんな死んでゆく。彼らのことを、誰が、語り伝えるのか。 写真:右から二人目森。秩父聖地公園の七郎の墓で。