新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/02/16 17:28:25|本・読書・図書館
図書館の自由
 図書館が被疑者の図書館利用状況を捜査当局に漏らすという事件が、時折、起きる。
しばしば、図書館を舞台に、基本的人権を無視する、常識外れのことが起きる。
中国の無法行為のことばかり非難していられない。

 「図書館の自由」宣言を知悉しなければいけない。
行政当局も、捜査当局も、そして、図書館職員も、ね。


「図書館の自由」宣言

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。


※これはダイジェスト。オリジナルはここ

 ちなみに有川浩の「図書館戦争」はこの宣言が蹂躙されたら……という前提で書かれている。







アルツハイマーの進行予防
 最近、とみに痛感するのが、韻文の喚起力だ。
つまり、昔、憶えた歌が、それぞれの折に触れ、不意に思い出されるのだ。
しかも、完全な形ではなくえ、先ず、1フレーズなんかが先に出てくる。
たとえば、この間、軒から滴り落ちる雪解けを眺めていて、
雪の玉水
と思い付いた。
〈こりゃ式子(しょくし)内親王だぞ〉
と思う。
恥ずかしながら、教科書でも散々教えたこんな有名な歌が、なんであたまからすらすらと下って出てこないのだろうと、ぐるぐる考えていると、
絶え絶えかかる
と出て、すぐに、
松の戸に
と口をついて出た。
さあ、それからである。
上の句は何だったっけ?
と考えていたら、似て非なる歌の上の句が無理やりくっつこうとする。
やがて、
春ともしらぬ
と出たら、
山深み」と出て、完成した。
 山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水

 今日も雪晴れというには合い間がある、好い天気だった。
鼻前にどこいらから花の香りも交じって、その行方をきょろきょろと探した。
その瞬間、
すこし春ある心地こそすれ
と浮かんだ。
これまた有名な歌だぞ、と思ったが、不思議にも歌人を思い出さないし、上の句もすぐには出てこない。
何か、文字として紙に書きつけてあるイメージがあった。
と、「枕草子」だ、と思い付いた。
そうしたらとんとんと、これは清少納言が貴族の、誰っけ、そうだ宰相殿、ええっと藤原公任だ、名筆でもならした……。
公任が巧者っぽい清少納言を、いや、彼女の仕える中宮のサロンの女たちを試すように、懐紙で届けてきえ、上の句を着けよというくだりだ、と思いだした。
みんなで、押し付け合って、上の句が下手なうえに、時間切れではどうしようもないから、なんでもいいやと冷や汗をかきながら書いたのが清少納言。
 空寒み花に紛がへて散る雪にすこし春ある心地こそすれ
整いました!

 それにしても、恐ろしい。
記憶の秘密を物語っているようだ。
その季節に合った伝統的な韻文、あるいはリズムのいい古典の一節が、あたまの中をかすめる。
あたまの中でそれを転がしているうちに、全体(といっても一首だけれど)が紡ぎだされてくる。
おおげさに聞こえるが、何か、時間と空間を持った場として、蘇ってくる印象だ。
とんだ「失われし時を求めて」(プルースト)だ。

 こういう記憶の再現は、おそらくはネットで検索すれば、もっと能率的にできそうだが、アルツハイマーの進行予防に、この手間のかかる記憶再生法を楽しむことにしよう。







2011/02/15 17:10:48|グルメ
麺許皆伝@富士吉田

 食べ始めて「しまった」と思った。
うどんのボリュームはさすがの「よくばり」550円である。
さらに欲張って、味玉と炊き込みご飯も頼んでしまった。
こないだまでの自分なら、いともたやすく食べていたのに、今日は、ちょいと苦しい。
それにしても、相変わらず、つゆも薄味で旨い。
私の愛好する「吉田うどん」の麺許皆伝は、雪の日の翌日で、いつになく空いている。







2011/02/15 16:52:57|本・読書・図書館
『明治のおもかげ』を読む心持
 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』という書物と並行して、このところ楽しんでいるのが、八王子の古書肆佐藤で見つけた鶯亭金升(おうていきんしょう)の『明治のおもかげ』だ。

 「逢うて行きんしょう」が筆名の由来だという慶応4年生まれで昭和29年に死んだ「最後の戯作者」で新聞記者。
梅亭金鵞の門人となり、「團團珍聞(まるまるちんぶん)」の編集にあたる。
「万朝報」「都新聞」などに戯作、落語を書いたほか、長唄・常盤津などのいわゆる「情歌」を作詞した。
禄亭大石誠之助は鶯亭金升の情歌の仲間だった。
幸徳秋水と大石誠之助を結んだのが団団珍聞の鶯亭だった。
いわゆる「大逆事件」の大立者2人である。

 私は、この本を、一葉がこの世に生きていて、まだ「江戸風」の色濃く残っていた明治20年代の東京を偲ぶよすがとして読むことを喜んでいるのである。
しかも、読むだけなら、この本は岩波文庫に入っているからインキュナビュラ(ある時期だけの稀購書)とも言えない。
本が「もうすぐ絶滅する」からでもない。
けれども、佐藤でたまたまみつけたのが、金升の最晩年の昭和28年の煤けた版で読むのが楽しいのだ。

「雪の屋根船」と題する明治25年の雪見の回想から。

 雪の降る度に思ひ出すのは屋根船と通客の面影、今はどちらも見られないが、雪は昔の通りに白く降つて居る。嗚呼、僕の天窓(あたま)も白くなつた。

 本も、その中の文字も、時代がどう変わろうと、「むかしの通り」の表現媒体であり、保存媒体である。







2011/02/14 19:49:41|本・読書・図書館
『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』
 本好きである。
本のことや本屋のこと、歴史上の名図書館を書いた本も好きである。
で、読み始めたのが、2010年の暮れに出た、
「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」
という対談集だ。
阪急コミュニケーションズ刊だ。
阪急さんよ、私の本『深沢七郎ラプソディ』も再刊してくれー。

 対談するのは『薔薇の名前』小説『フーコーの振り子』『前日島』『バウドリーノ』のウンベルト・エーコと、
『ブリキの太鼓』『存在の耐えられない軽さ』『珍説愚説辞典』『万国奇人博覧館』のジャン=クロード・カリエール。

 本好きというより、本にマニアックな二人が話すのだから、タイトルはセンセーショナルだが、原題の真意は
「本から離れようったって、そうはいかない」
というものらしい。

 しかも、下らない本も、積ん読で読まない本も、本は本だし、いとおしい、焚書されるのも宿命だ、と言い張る。
そのエーコが、
「今、何か(災害が)あったら、これまでの自分の著述を収めた外付けHDを抱えて逃げるだろう」
とは面白いギャグだ。
が、同感である。
データは大切だが、データであって、本ではない。
本はいとしいが、全てを抱えて逃げられない。

 目次は次の通り。
当分楽しむつもりだ。

本は死なない
耐久メディアほどはかないものはない
鶏が道を横切らなくなるのには一世紀かかった
ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること
落選者たちの復活戦
今日出版される本はいずれもポスト・インキュナビュラである
是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち
過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している
何によっても止められない自己顕示
珍説愚説礼讃
インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性
炎による検閲
我々が読まなかったすべての本
祭壇上のミサ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本
死んだあと蔵書をどうするか


 私も、ある種、本マニアかもしれない。