新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/02/08 17:44:31|本・読書・図書館
「自炊」について
 誰が思いついたのかしらない。
iPadやiPhoneで持ち歩くために、あるいはコンパクトに蓄積するために、資料を自らの手でデジタル化することを「自炊」というらしい。
となると、出来合いの「電子書籍」をこれらの端末で読むことは「外食」とでも言うのか、それとも、「出前」「ケータリング」「コンビニ食」とでも言うのだろうか。

 蓄積のためにデジタル化することならば、私自身かなり以前からやっている。
たとえば、ホームページに使うためであったり、講座でパワーポイントやスライドでお見せするための画像類だ。
文学関係を中心に、関係地や肖像写真、あるいは資料などである。
そのうち著作権のクリアできるものは、自分の本の中に使ったりもする。
画像だからたいていJPGかBMPだ。

 紙ベースのパンフレットやしおり類も、気付いた物はスキャナーで取って保存した。
前記の画像ファイルの形式だったり、TIFファイルだったり、カラーだったり、モノクロだったりした。
最近はアドビのADFファイルが、後々の使い勝手がいいので、たいていこれだ。
ただし、資料のスキャン→蓄積というのは、個人では、よほど根気がないとできない。
また、使う見通しがないと、いやになりがちである。
だから、なかなかムラなく徹底してデジタル化できないことが多くなる。
これを団体名に冠している組織でも、デジタル化の進捗状況は、団体名が泣くのではないかと思えるほど遅々たるものである。
デジタル・データを保存するハードも、まだまだ不安というか、未検証である。

 だからというか、でもというか、捨てにくい、紙ベースでは保存できないものを、私は、これからも個人的にデジタル化してゆくことになるだろう。

 個人の「自炊」は、新聞や雑誌のページをクリップ的にスクラップして持つのは意味があるだろう。
切り抜きは保存しづらいものの代表だからだ。

 けれども、冒頭の「自炊」も最近はワルノリ傾向にあるようだ。
「読み物」(つまり本一冊)もデジタル化して、前記の端末に何百冊保存できる、携帯できるとか言っている。
個人の蔵書なんて、多くて数千冊だ。
普通は本棚一つか二つだろう。
前にここに書いた静岡のYさんのように、個人で3万冊というのは例外的である。
これを常に背負って歩く必要があるのか?
その程度の「読み物」なら、「本」のかたちで所蔵していても、なんら差支えなかろう。
必要な時に、棚から「本」で取り出す方が使い勝手もよかろう。

 個人が「自炊」するのは、節制するのがよさそうだ。
「出前」の「電子書籍」は、図書館での蓄積、利用の場合はともかくとして、個人の使用においては、「使い捨て」的使用に限られるべきだ。
個人の愛読書は本で持つべし。

写真:ハノイ(ベトナム)の旧市街でこしらえた木製の蔵書印。








2011/02/07 19:34:01|その他
一銭銅貨は重たいな〜!!
 節分だからか、孫娘のお遊戯会があって、とても和やかな気分になって帰って来た。
中でも蜂の子の恰好をして、「一銭銅貨は重たいな」というわらべ歌を甲高い声で歌って、跳ねまわっている出し物が面白かった。

 「一銭銅貨だって!!」
私も使ったことなんてありはしない。
まして、2,3歳のこの子たちが知るはずもない。

 一銭銅貨と言えば、すぐに思い出すものがある。
新美南吉の童話『落とした一銭銅貨』、それに、『最後の胡弓弾き』だ。
とりわけ後者は、私の愛読して止まない作品である。
また、黒島傳治の『二銭銅貨』。
どれをみても、「銅貨」には、貧しい、しがない、寂しい昔の日本の田舎のイメージが沁みついている。

 そんなこともつゆ知らず、先生たちは、この幼児たちに懸命に歌と振りを仕込み、幼児たちは舞台狭しと跳ねまわっている。
微笑ましくも、めくるめくような隔たりを覚えた。







2011/02/07 17:23:13|その他
とげ抜き地蔵の御守
 山梨県腎臓病協議会という組織がある。
私もそこの患者会の一員ということになる。
山梨のこの組織は、かなりがんばって運動して成果を挙げ、人工透析患者について、他県にはない税制、医療、防災措置がなされるようになってきたらしい。
この組織が、今年度で創立40周年だそうで、記念誌を出すことになっている。
「お前が適役だから、編集統括をせよ」
ということになって、編集委員会の打ち合わせをしてきた。
いずれも高齢の方々で、しかも、そろいもそろって病人だから、仕事の進み具合、仕上がり具合が心配にはなる。
かなりの作業を部分をしょい込むことになりそうだ。
これでも若輩者だから、やむを得ない。

 東京の若い物書き志望のSさんが、巣鴨のとげ抜き地蔵の御守を送ってくれる。
彼とは、近いうちに一緒に仕事をすることになりそうだ。
「病気平癒御守」とある。
気持ちがうれしい。







2011/02/06 10:36:46|アート
映画『かもめ食堂』の色、かたち

 2006年3月公開の日本映画『かもめ食堂』が面白かった。
原作は群ようこ。
監督は『バーバー吉野』や『恋は五・七・五!』の荻上直子。
小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ。

 筋書きをいまさら説明するまでもないが、「亡くし物」や「忘れ物」をした個性的な面々がフィンランドのヘルシンキにある日本食堂「かもめ」に吹きだまり、のんびりゆったりと亡くしたもの忘れたものを見出してゆく。

 私が特に興味を持ったのが、そこで使われている北欧柄の食器や雑貨類だ。

 吉祥寺にあるマリメッコの店を初めて覗いた時、明朗だが、色鮮やか(すぎ)で、単純で、いやなものだと思った。
これがフィンランドとやらの北欧柄ならば、陰鬱な(と思っていた)風土に全く合わないじゃないか、と。

 ところが、自分がブックレットなどを中心にするささやかな出版事業を始めた時、知らず、装丁デザインに選んでいたのが北欧柄だった。
明朗で、シンプルで、そしてチープでない。
これこそ、自分の考える、無駄を省いて、しかも、良質なブックレットの表紙デザインにぴったりだと思った。
頭の隅に、昔の岩波の少年少女文庫の、ブルーにピンクの地のレース柄の表紙の印象が残っていたのかもしれない。
私はこれからも装丁デザインの基本はこれで行きたいと思っている。

 『かもめ食堂』を観て、そこで使われている食器・雑貨類の単純・明朗な美しさに目が行った。
機能だけではない美。
また、くすんでいた登場人物の着ているものが、日を追って明るく、色鮮やかになってゆくのにも気付いた。
たいていが、色づかいもパタンも単純で大ぶりで、繰り返しの多いプリント柄である。
それぞれの人物たちの抱えたくぐもりがちな課題が、あまり深刻にもならず、焦るわけでもなく、素朴でおいしい食と共に、次第に解きほぐれてゆく。
着るものの変化や、使われている食器・雑器の明朗さは、多分、映画のメインテーマであるこれらとはっきりと連動していて、面白かった。







2011/02/05 16:47:10|本・読書・図書館
図書館の遠隔利用
 図書館の「遠隔利用」、図書館側から言えば「非来館型」の利用が、これからさらに進展するだろう。

 たとえば、すでに大方の公共図書館でできるのが、オンラインによる蔵書検索だ。
ぼちぼち始まっているのが、検索した書籍をオンラインで借り出し、予約する方式だ。
必要な個所の複写依頼もかなりオンラインで可能になっている。
次には貸出依頼、自宅配達(もしくはコンビニなど利用者の指定した場所での受け取り)へと進むだろう。

 近くの図書館なら、出かけて、司書さんにも手伝ってもらって資料を探すこともできる。
遠くの図書館、あるいは巨大な図書館は、いきなり出かけても、思ったような成果は得られない。
あらかじめ、蔵書検索をして、目星をつけてから出かける方がいいだろう。
国立国会図書館へ行ってきました」
と誇らしげな学生に、私は、意地悪ではなく、
「で、十分活用できたかい?」
と聞くのが常である。

 私がよく利用するのが、国立国会図書館の複写の取り寄せだ。
利用者登録をしてあるから、ID番号とパスワードで、目下の関心を件名として雑誌の記事検索をかける。
大学の研究紀要類も検索されてくる。
今のところ、文献のタイトルの検索である。
自分に必要だと思われた文献があれば、検索画面から複写・配達予約をする。
文献を網羅できるとは思わないが、かなりのものを取り寄せることは可能である。
東京の本館あるいは関西館から1週間もたたないうちに送られてくる。
1枚が24円。
決して高くはない。

 国立国会の場合、昔は、複写を隣り合った富士通などが請け負っていたが、今は、同館複写受託センターの名で仕事をしている。
かなり親切で、「○ページから○ページまで」と複写の依頼をしても、
「▲ページも入れないと書誌情報が不足しますが、どうしますか?」
などと電話をかけてきてくれる。
利用者カードの再発行も無料である。

 戦後間もないころの雑誌・紀要の類だとマイクロフィルムから複写してくるのもある。
雑誌・紀要類は、いずれほとんどデジタル化されるのではないか。
「遠隔利用」にはますます好都合である。

 けれども、これからは件名の付し方が課題になってくる。
PDFのような画像として読み込むついでに、全文テキストも読み込んでおけば、本文のどこにキイワードがあっても、検索可能になる。
文献のタイトルだけではない。
図書・資料はたくさんあればいいというのではなく、いかに整理され、組織化されて収蔵しておくかの問題だ。
そして、この作業は、時間と人手、つまりコストがかかる。
今のお役所には最も耳の痛いテーマである。