新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/02/01 19:47:12|グルメ
はなや手打ちうどん@富士吉田市
 明治25年(頃)創業という「吉田のうどん」屋の先駆者。
しかも、ここのは、吉田の中でも、シンプル中のシンプルの美いや美味で知られる。
私もこのストイックな旨さが大好物である。
ここはそこいらへんの観光「吉田のうどん」とは違って、いつも静かで、客の入りもほどほどである。
店の先代の丁寧さ、若い主人などのスタッフのかいがいしさには、老舗にありがちなマニアックな感じも、雑な感じもなく、とても好感が持てる。

 写真は湯もりの大。
茹で汁にほのかに味がある。
薄ければ、客は小豆島産の薄口しょうゆをたらして味を作る。
麺にこしはあるものの、やたらとぶっとくはない。
肌合いも滑らかでのど越しがいい。
具は見てのとおり、たっぷりの鰹節に青菜だけ。
これで600円。
向こうの小鉢にトッピングのエビ天玉30円をつけた。
あとは辛子味噌を少々に刻みネギ。
うどんを手繰りながら、たまに小付けの地菜の漬物を噛む。
このシンプルさと味には品の好さ、格調の高ささえ感じる。
まさに浅間神社の参道=御師の街にふさわしいうどんだと間違いなく言える。

はなや手打ちうどん







2011/02/01 17:56:22|山梨
無念!! 黒駒の勝蔵
 御坂の上り口の道端に黒駒の勝蔵の立派な碑がある。

 浪花節から始まって東映映画のせいで、清水の次郎長はかっこうがよく、黒駒の勝蔵には悪役のイメージがある。
本当のところ、どちらも現代では「○○組」とか「△△一家」と呼ばれるやくざな博徒の親分であることに変わりはないのだが。
なかでも黒駒の勝蔵の事歴には謎めいたところが多い。

 勝蔵は天保3年(1832)、甲州市御坂町上黒駒の名主・小池喜兵衛の次男として生まれる。

 安政3年(1856)、25歳で甲州市八代町竹居の博徒・中村安五郎(通称竹居の吃安どもやす)の子分らと交わって博徒の仲間入りをする。
やがて、吃安の後見で上黒駒に一家を構えた。
親分の吃安は石和代官所に拘束されるが、変死を遂げる。
代官所の指令で館林浪人の犬上源次郎ほかに毒殺されたという。
勝蔵は親分の恨みを晴らすべく、犬上を襲撃して、殺害、犬上の手下は逃走する。

 慶応元年(1865)8月、勝蔵は京都へ行く。
同4年(1868)、鳥羽伏見の戦(戊辰戦争)が起き、官軍赤報隊に入隊するも、偽官軍の扱いとなったので京都へ戻り、公家の四条隆謌の徴兵七番隊へ配属され、奥羽戦争に奮闘する。
会津藩の降伏後、京都へ戻る。

 明治2年(1869)3月、東京遷都が決まり、徴兵七番隊は第一軍隊と改称され、勝蔵を小隊長として、東京まで明治天皇に供奉することとなる。
宮城(江戸城)入城後、解隊命令が出るが、勝蔵は兵籍のまま甲州黒川金山(甲州市塩山)に入り、金鉱掘りをする。
兵籍脱走の扱いとなって、伊豆の畑毛温泉で捕えられ、甲府に送られる。
取り調べの結果、博徒時代の犬上源次郎殺し、官軍の詐称その他の罪を問われ、明治4年(1671)10月14日、甲府東郊の山崎刑場で斬首される。
享年40。

 赤報隊にも謎が多い。
勝蔵の最期も、散々利用された揚句、新政府にとってもはや邪魔となったために切り捨てられたイメージが強い。
地中に穴を掘って首だけ出して埋めて、通行人に「のこぎり引き」をやらせたが、勝蔵の首にのこぎりを当てようとする甲州人はいなかったという。

 勝蔵碑の建碑額には、県内政界の懐かしいお歴々が並ぶ。
彼らが勝蔵のDNAを受け継いでいる?
まさか、よくも悪しくも、とてもとてもそうは思えない。







猫町は風町でもある

 我が家は南アルプスを望み、相川という、やがては荒川、富士川に合流する川のほとりにある。
60年以上もここに起居していて、いまさらのようなことだが、ここは風の強い街である。
河風もあれば、甲府一高から吹いてくる砂嵐もある。
昇仙峡の方から湯村山を越えてくる風もある。

 子どもの頃は風が強いとか、冷たいなんて思いもせず、飛行機凧を空高くどこまでも上げるのを喜んだり、木枯らしの中で鼻水をすすりながら馬跳びをやるのもまったく苦にならなかった。

 それが今になってみると、この季節、とても苛烈な風であることを感じる。
相川扇状地の傾斜の途中で、水もしみてくるから、この季節、ざくざくと霜柱も立つ。

 できればこの街の猫たちのように、日当たりのいい窓際で陽が高くなるまで丸まっていたいほどだ。

 ふと見ると、ほったらかしのイチゴなんて強いものだ。
地べたにへばりついた葉っぱの色もまことに美しい。

 







2011/01/31 16:25:21|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(17) 和歌への疑い−1
 一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 やうやう我心によの中の哀れといふこと思ひしるままに、月にも花にも感ふかく成りて、心のうちにしのびがたきふしぶしをかたはしもらすにこそ真の情はこもり侍れ。昔よみし歌どもの人にはほめられて、われは其(その)心もなくよみ出したるを……「随感録一」明治二十六年前半か

 一葉の通った萩の舎の歌風は、「古今和歌集」を重んじ、「お題」に基づいて歌を詠む「題詠」主義だった。
そこでは、平安朝以来の伝統的な美意識とパターン化した人間心理をいかにそつなく表現するかが肝要だった。
恋心も抱き、生活苦にも苦しめられた一葉にとって、萩の舎の歌の世界ならびに伝統的な韻文には、もはや懐疑的にならざるを得なかった。

写真:一葉の短冊ばさみ、筆立て







2011/01/30 20:15:57|グルメ
金寿司・地魚定(てい)@焼津

 久々客が立て込みすぎて殺気立っている寿司屋に入った。
回転寿司ではない。
日和もいいので立ち寄った焼津漁港(旧)の岸壁そばの金寿司・地魚定
まあ、立錐の余地もないうえに、後から後から客が詰めかける。
その割に注文取りの女性たちはヒステリックでなく朗らか。

 つけ場には比較的年輩の職人が多いが、てんてこまい。
若手の職人におじさん職人が、
「落ち着け、落ち着け」
と声をかけられている始末。

 地魚にぎり1600円というのを頼む。
戦場のような騒ぎの中、少々握りや盛り付けは荒いが、味はなかなか。
やっぱりご当地だけあって、マグロの赤身、中トロは格別に旨かった。
この店じゃマグロ尽くしも当たりかもしれない。
数が多いようだが、1貫1貫のシャリ玉は程よい大きさで、十分に食べられる。
これに茶碗蒸しとみそ汁のお椀、ミカンがつく。

 あっちやこっちの「地魚握り」では、お味はともかく、目玉が飛び出すほどお高かった店の記憶もあるけれど、ここは実に良心的だな。
焼津と言っても、そうそういい寿司屋がたんとあるわけじゃなさそうだ。