新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/01/21 17:12:19|出版「猫町文庫」
「猫町文庫」HP更新!
「猫町文庫」のホームページが更新されました。

画家榎並和春さんがブログで「猫町文庫」第2集のことを書いてくれました。ありがとうございます。







2011/01/21 17:02:34|甲斐の夜ばなし
母娘の恨み
 室町時代といいますから、古いお話しです。
 
 山梨市の一丁田中に色好みの地頭がおりました。
この地へ嫁入りする者は婚家へ行く前に嫁入り衣装を付けて必ず地頭にお目見えすることになっておりました。
この決まりを守らなければ一丁田中を追い出されるか、とんでもない罰を加えられるかしました。
仲人や介添えも地頭の家に嫁を届けると帰されるまで何日でもひたすら待たねばならないという案配です。

 ある年、南田中からおむつという器量よしが一丁田中に嫁いで来ることになりました。
決まりのとおり地頭のもとへ挨拶に行きました。
金品を上納し、縁先で平伏したおむつの美しさに、地頭は、また、むらむらと悪い気持ちを起こしました。

「御苦労じゃった。噂に聞くとおりそなたはここいらに珍しい美形じゃな」

と御機嫌で、

「こちらに上がってわしに酌をせい。この土地に仲間入りする祝いも取らせよう」

と嫌がるおむつを強引に座敷にあげます。

 酒が進むにつれて地頭はこう言い出しました。

「田中に嫁入りするからには、これからはわしがそなたの親、そなたはわしの子。親の言うことはどんなことでも聞くものじゃ。館での作法を心得ておろう?」

と隣室をあごでしゃくりました。
下女に襖を開けさせると緋色の床が延べられております。
地頭に手込めにされて自害した女、拒んで入牢の上折檻されて死んだ女がいるという噂を村で聞いたが、このことだとおむつは思い当たりました。

 手を引いて床に引きずり込もうとする地頭に、おむつは、

「いかに地頭様とは言えあまりにご無体でございましょう。私には夫と決めた男がございますのでどんなことがあってもいやでございます」

と抵抗しました。面白がった地頭は花嫁衣装の帯をつかんでコマのように回しながらおむつを丸裸に剥いてしまいました。
それでもおむつはダンゴムシのように身体を丸めて抵抗を続けました。

「地頭さまがそのようなことを止めないのなら、私は舌をかんで自害します」

と本気ですから、仕方がなく、地頭はおむつを丸裸のまま牢に閉じこめました。

 三日三晩ムチ打つやら、蛇や毒グモなど気味の悪い虫を牢に入れておむつを苛みました。
けれども、牢から出してくれとはおむつは一言も言いません。

「無理に出ろというのなら、舌をかみます」

の一点張りでした。

 こんなに強情な嫁は久しぶりで、地頭はかっかっと怒りが頭に上ってしまいました。
四日目という日、畑に穴を掘らせると、蛇やトカゲ、ムカデなどとともに生き埋めにしてしまいました。

 婚家ではおむつが帰されるのを今か今かと待っていましたが、五日経ってもそんな様子はありません。
仲人がおそるおそる館へ引き取りに行くと、

「おむつには言語道断の無礼な振る舞いがあり、仕置きにした」

と告げられました。
知らせを聞いた実家の母親は、

「地頭の畜生め」

と夜叉のようになり、その辺にあった粟を一握りつかんだかと思うと、裸足のまま館に駆けつけました。
近所の百姓に、一昨日穴を掘った場所を聞きつけて館の裏の畑に入りました。
まだ新しい盛り土を見つけると、母親は身を投げ出して号泣しました。
さらに生きたまま埋められたことを聞かされるとさらに眼を見開き、食いしばった唇から血をしたたらせながら、鬼のような顔で、

「おのれ、地頭め。おむつの無念は母の無念。母子そろってこの恨み晴らさずにはおくものか。この粟から育つ粟ほどに地頭に祟れや、末代まで祟れ、祟れ」

と絶叫しながら粟をふりかけたかと思うと、絶命してしまいました。

 その夜、地頭が側妾と床についておりますと、夜中、側妾が悲鳴を上げました。

「殿様、床の中に蛇が、蛇がおります」

「寝ぼけるな、馬鹿を申すでない」

といった地頭の脚から腰に冷たいものがからみつきます。
さらに腹から胸にはい上がってこようとします。

「なんじゃ」

と、地頭が跳ね起きて燭をかき立てて目をこらしますと、床の中に丸太ん棒のような山かがしがとぐろをまいて鎌首もたげ、らんらんと光る目で地頭をにらんでおりました。

「何事だ」

と刀掛けから大刀をつかんだかとみるや、地頭は蛇に思い切り斬りつけました。
ぎゃっという悲鳴と共にばたんという大きな音がしました。

 人を呼んでさらに明かりを持ってこさせてよくよく見れば、昨夜から添い寝していた側妾が胴を横一文字に斬られて絶命しておりました。

 それからは連夜のように床の中に大きなトカゲやら、毒グモ、大ムカデが現れたということで添い寝する女が斬られたり、身の回りの世話をする者が怒りを買って斬られる始末。

 添い寝をするものもいなくなり、隣室に家来の侍を置いて地頭が一人で休んでおりますと、家鳴りと共に女のうめく声がし、天井が鼻先までずんずん下がって来るではありませんか。
動こうにもうごく余地もありません。隣室の家来に

「何のための宿直じゃ、化け物をたたき切れ、たたき切れ」

とわめくと天井は次第にもとにもどっていきます。
地頭は枕元の刀をつかんでめくらめっぽう振り回し、止めようとした宿直の家来を一刀両断してしまいました。

 こうして、女、家来衆はもちろん、夫人、子どもまで斬り殺してしまったあげく、地頭も狂い死にしてしまいました。

 地頭の子孫と言われた家は、明治末年、相続争いの果てに刃傷沙汰を起こし、自殺して絶えてしまったと言います。
地元ではこれもおむつの祟りではないかと噂をしました。
この子孫は今に残るおむつ塚を建立して供養していたと言うのですが……。

 さらに大正の頃、おむつの祟りがあるという一丁田中の陣屋跡の屋敷に泊まった際、天井が鼻先まで下がってくるのを経験した者がいると申します。
その際、枕元のちり紙を唾でしめらせてぺたりと貼ったが、翌朝、元どおりの高さの天井にちり紙がそのまま貼りついてぶら下がっていたそうです。(山梨市)

写真:山梨市一丁田中の陣屋跡。







2011/01/20 16:42:46|本・読書・図書館
恩師より本をいただく
 東京学芸大学名誉教授で、山梨大学・鶴見大学の元教授でいらっしゃる内田道雄先生から、御著ほか次の各書をいただいた。

@内田道雄著『道草』(鶴見大学日本文学会刊,平成17)
A内田道雄・大井田義彰編・論集『文学のこころとことば」第2集(同刊行会,2000年)
B大井田義彰編・論集『文学のこころとことば』第3集(同刊行会,2010年)


 @は鶴見大学退官記念の冊子で、夏目漱石・内田百閧ノかかる小文、先輩教授の回想などから成る。

 Aは1998年に内田道雄先生が東京学芸大学を退官される際にスタートした先生およびその縁者の論集の第2集である。
スタート時、私は雑事に追われ、また、勉強が滞っているというプレッシャーもあって、編集を待たせた結果、原稿を出せなかったという申し訳なくも、情けない思いのあるシリーズである。

 第2集に、内田先生は、伊藤整をめぐって「『街と村』幻想考」を書かれている。

 Bには、@に漏れた、あるいはその後の文章7編を収録している。
特に御両親や生まれ故郷長岡への思い、青春の日々のロシア文学への憧憬などの色濃い文章たちである。

 先生には、学園紛争華やかなりし頃の山梨大学で、文学研究への「姿勢」を教わり、以来、遠く近くから御指導を得ている。
雑誌「猫町文庫」の維持会にも属してくださり、裾野拡大に腐心していただいたり、ご協力していただいている。
本当にありがたいことである。
御期待を裏切らぬよう、がんばらねばならぬと思いを新たにする。







2011/01/20 11:04:06|本・読書・図書館
電子「書籍」と書籍
 私は、すでにここに「本はなくなってしまうのか?」と題した一文を載せたことがある。

 「電子書籍元年」などと、例によって、ジャーナリスティックな見出しが躍った2010年が明け、このテーマでは、@大日本印刷+NTTドコモ連合、A凸版印刷+KDDI+ソニー、Bアップル+ソフトバンクの三国志が繰り広げられようとしている。
@は丸善、ジュンク堂、文教堂、図書館流通センター、ブックオフ、主婦の友社を仲間としている。
Aは朝日新聞社がコンテンツを提供する。
Bは毎日新聞社、西日本新聞社、電通が一緒だ。

 今のところ、それぞれで読書端末の機器も違っていれば、使い勝手は悪いし、提供されるソフトにも互換性はないし、負担する金も安価とは言えない。
だから、本が電子書籍にとって代わることはあるまい、と言いたいところだが、長期的なスパンで見ればそれほど楽観できない。
また、無視して済ませられる問題でもない。

 あるメディアに、標題のテーマで考え方を整理しておきたいと提案したら、「書いてみたら」と言われたので、現状と見通しをなんとか限りある字数に収めたいと苦慮している。

 その際、はずしてはならないと思っているのは、次のような点だ。

●電子「書籍」と書籍は違うこと。
前者はデータで提供しようが、画像で提供しようが、単発的な「情報」をまとめたメディアである。
後者はまとまりを持った一つの総合的な内容である。
前者は検索性には優れるが、後者で得られるセレンディピティ(佳きものの偶然なる発見)は得られにくい。
それぞれに強みと弱みがある。

●電子「書籍」は、様々なハンディキャップを持った人や高齢者の利用、また、図書館などにおける大量の資料の保存性には優れている。
だから、一概に嫌悪すべきものでもないし、一概に「本」ののノスタルジーばかりを語っていてもしょうがない。

●ただし、前者であっても、メールやブログやネットがそうであったように、重点は「文字情報」であり、「文字メディア」である。
ということは、「読み」「書き」能力が相変わらず大事だということだ。

●また、受け取り手が、電子「書籍」と書籍とに同じ態度で接するのは間違いだろう。
また、作成・提供する側も前者が後者の代替となると考えては、文化形成、維持・継承を誤る。
図書館が、全てを電子「書籍」に代替して、書籍を廃棄してしまえというのも困る。

・元来弱小なマネージメント・サイズしか持たない出版界は、コスト志向を捨て去れない。
となると、販売するのは「質」より「量」に傾くおそれはある。
このことはとっくに始まっているともいえる。
これは、電子「書籍」だろうが、書籍だろうが、同じである。
となると、少数派の必要とする書籍は、書籍の形でも、電子「書籍」のかたちでも提供されづらくなるおそれがある。
はっきり言えば、詰まらないものは安く大量に出回り、優れたものは高価で少量しか出回らないということだ。

・ハードカバーの書籍は、価格的にも、出版部数的にも入手しづらくなり、個人が求められるのは、文庫やブックレットのようなソフトカバー中心になるだろう。
冒頭の電子「書籍」にかかわる課題が解決されれば、この見通しも分からない。
総体的に文字メディアそのものの提供が減るかもしれない。
これは文化の後退でしかない。

・こういう情況だから、「猫町文庫」出版のように、廉価で軽便な出版を志向している者にはチャンスかもしれない。
流通のノウハウさえあれば……。
これは蛇足である。

 さて、さて、こういったことをどうやって1400字でまとめるか?
●の部分を中心とするのが、自分にはふさわしいだろうと思う。

 







2011/01/19 16:43:30|グルメ
ハンブルグ風ハンバーグ@ミシェルin都留

 2度目。
前にはパスタランチを食べたことがある。

 で、今回は肉料理がお得意な(らしい)ミシェルの「ハンブルグ風ハンバーグ」。

 先ず、シンプルな盛り付けにびっくり。
次いでボリュームにも。
肉は180グラムだという。
中にニョッキやベーコンの棒切りが入っているから余計にたっぷりに見える。
ソースはハヤシのソースをデミグラスよりに近づけてある。
あまり強烈な個性はない。
そこへ生クリームを垂らして模様とする。
表がカリカリで中はしっとりで、ハンバーグそのものはうまい。

 ただ、サラダやスープがつくわけじゃなし、これとライスで1800円はいかにせん高いでしょう。
ここの普通のハンバーグは1200円らしい。
とすると「ハンブルグ風」には、私のような好奇心の強い、もの好き意外、客がつくのだろうか?
新宿高島屋内のつばめグリルのハンブルグ風だって1320円でっせ。
ここの地元じゃ、客がヴァリュー・オブ・プライスをうるさく言わないので、こういう独善的な値付けになるのだろうか。

 そんなことを思っていたら、こんな工夫(下写真)に目が着いた。