新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/01/18 17:54:07|本・読書・図書館
「ブックトーク」W完成!!
 大学で受け持っている「学習指導と学校図書館」の講座恒例の、受講者による「ブックトーク」集ができた。
これで4集目になる。
表紙絵を描いてくれたNさんに指摘されて、今回から、副題を「小中高生に向かって」を「小中高生に向けて」と改めた。
この小冊子が学生たちの互いの読書刺激、それも子どもの本を読もうという刺激になればよい、といつも思って作っている。
もちろん大学の庶務の前田さんの全面的な協力による。

 しかし、前期、後期、それぞれ15回くらいの講義では、どこまで学んでもらえるのか心もとない。

 それにしても、最近ますます考えてしまうのは、大学というものの存在意義である。
何年か前に、本当の意味で競争試験を経て大学に入る学生は15パ−セントくらいなものだと聞いた。
今ではもっと少なくなっているだろう。
一部の難関校、難関学部を除いて、今やたいていの大学は形式的な選考で入学者を受け容れている。
学生も学びたいことよりは、入りやすさで大学・学部を決めている。

 そうして、就職難の時代を反映して、3年ともなれば「就活」に奔走する。
学生は就職しやすいように、取れるだけの資格を取ったり、そのための実習や観察をしておこうとする。
個々の授業はその合間に受けることになる。

 しかも、多くの大学では実社会に向くような教育はしていず、高度な専門教育をしている「ふり」をしているだけだ。
「ふり」だから、学術研究に結び付くことは極めて少ない。
間違って「院」へ行っても、就職できる保証はない。
大学は教育もせず、研究もできていない。

 さらにかわいそうなことに、半分近くは就職もできない。
就職しても非正規だったりする。

 こういう社会構造を作ってきた、あるいは許して来た、彼らの親の世代、祖父の世代、曾祖父の世代の責任は大きい。
ようするに、ほどほどで若い世代に仕事場を譲らなければいけない。







2011/01/17 17:33:24|甲斐の夜ばなし
粉挽きの娘
 河口湖のほとりの河口の若い男衆は、誰も重い穀櫃を背負って、御坂の峠道を上り、西川渓谷沿いの粉挽きの水車小屋に通うのが常でした。

 村中にも立派な粉挽き小屋があったにもかかわらず不便な山坂の小屋に通うには訳がありました。
小屋では西川小町と謳われた若い娘が一人で粉挽きをしていたのでございます。
なにしろ石臼から出る粉よりも白い餅肌と黒髪、くりくりしたつぶらな瞳は、河口の若い男衆には御坂の生き弁天のようにみえたのでございます。

 けれども、この娘には奇妙な好みがございまして、長虫と言って人の忌み嫌う蛇をかわいがっていたのでございます。
小屋にはいつも大小の蛇が這い回り、娘に戯れかかり、娘もそれに頬ずりしたり、撫でたりしているのでございます。

 ですから、若い衆は娘にけしからぬ振る舞いをしかけるなどできもせず、まして、このあたりでは日常茶飯事だった夜這いなどとうてい無理でございました。

 とは言え、向こう見ずの男もいるもので、蛇の気味悪さよりも娘の色気の魅力に惹かれて、ある夜、夜這いをしかけたのでございます。

 娘の部屋に忍び込み、寝床に裾から入り込むと、どうしようもなくいきり立った自分のモノを娘に突き立てたのでございます。
娘は絹を引き裂くような悲鳴を上げましたが、男の逸物も食いちぎられるのではないかと思うほど激しい痛みが走りました。

 掻い巻きをはねのけて見れば、床の中には大きな白蛇がのたうちまわっており、男のモノはその蛇の片目を突き刺していたのでございます。

 それからというもの、山全体を激しい雨が落ち始め、六日六晩止むことはありませんでした。
水は山襞を走り下り、岩を崩し、巨木を根こそぎにして渓谷になだれ込んでいきました。

 嵐が過ぎ去って見ると、粉挽き小屋は姿を消し、若い男の亡骸のかけらすら見つかりませんでした。

 今でも、このあたりには片目の蛇が生息しているということでございます。(富士河口湖町)







2011/01/17 16:47:24|文学
「三田文学」、「猫町文庫」創刊号を評価!!
 「猫町文庫」のメンバーの都築隆広君から、次のような情報がもたらされた。

 早速、記事そのものを入手することとしよう。

 こういう営みを継続してゆくことが大事なのだろう。
力づけられる。

ネットで検索していて知ったのですが(すでにご存知かも知れませんが)、先日、お見せした「三田文学」2011年冬季号の同人雑誌評で、猫町文庫創刊号がトップでとりあげられていました。

 特に、三神氏が好評で、勝又さんのトップ1に選ばれ、水木さんや五十嵐さんも含め三作紹介されるという破格の扱いです。

 同人雑誌評が三田に移って以来の注目が集まっていたので、お知らせいたします。


写真は「猫町文庫」第1集……ご希望の方は福岡へ(1,000円です)







2011/01/16 20:58:51|本・読書・図書館
ああ、新しい県立図書館
 JR甲府駅北口に鉄の囲いができ、
その中で、新しい県立図書館の建設が始まった。

 構想段階、設計段階……何度「考える会」へ参加したことか。
そのたびに未消化な思いいっぱいで帰ってくるのがいつものことだ。

 前の県政の中で描かれていた「学習拠点」という名の、民間の資金による図書館建設計画はぽしゃった。
その時には、私も当事者の一人だった。

今度の県政の中で再出発した新県立図書館計画には期待するものがあったのだ。
が、日を追うにつれ、失望や不安感が増していった。

新計画構築の時期には、私は、仕事上、県立図書館とは離れたところにいた。
そこで、「考える会」へ出て、いくら見解を述べても、「のれんに腕押し」で、「どこかで」進んでいる設置計画には殆ど反映されることがなかった。
県も、また、責任を負いたくない官僚制の弊習に浸かっているからな。
そして、何よりも、会へ出てくる県の当局者そのものが、その計画進行には殆ど影響力がなかったからだ。
これは県庁内における「担当課」とされる課の旧来の無力さのせいでもある。

 結果、館内の施設においても、図書館としてはひどく中途半端で、不完全なまま、基本設計完了となり、着工となった。
このことを、私は「猫町文庫」第1集に「図書館は図書館らしく」と題して書いたことがある。

 着工した今になっても、人、予算、運営について、なんらはっきりした見通しが得られない。
欲張った、館内の負担の重い設置思想(いわば、図書館らしくない)なのにもかかわらず、これらがはっきりしない。
いや、あえてはっきりさせないのだろう。

 できてしまえば、50年は建て替えされることのない施設である。
このままで一体どうなってしまうのか。
直営の部分よりも、委託によって運営するウエイトの方が大きいとなれば、何のための「直営」は訳が分からない。
県民は、相当厳しい目で、県の図書館行政を見守らねばなるまい。
自ら「図書館戦争」ならぬ、「図書館内乱」くらい起こすほどの覚悟で……。







2011/01/16 11:16:37|文学
「猫町」の反響広がる
 雑誌「猫町文庫」が維持会員、知人の方々に届き始めて、反響もいただけるようになってきた。

 表紙絵をご提供いただいた亡き畏友スズキシン一さんの未亡人には、シン一氏の教え子、知人に配りたいので、と追加注文をいただいた。

 松本のパルコ近くの蔵作りの古書肆「慶林堂」さんも関心をよせてくれてお求めいただいた。
「売れる売れないはともかくも、こういう雑誌・出版物があるという存在証明に隅っこに置いてくれませんか」と、厚かましくもお願いをしておいた。

 甲府出身で東京在住の方が、広島の知人に紹介されてリクエストしてくださった。
第1集中の記事「あの街この人」欄の「ベトナム・ハノイ」編の記事と写真に興味がおありだという。
近々現地へも行かれるとのこと。
「文芸」というジャンルを広く考え、民俗から歴史、映画・美術などアート一般、教育、福祉、読書、人々の暮らしの姿まで包含してゆくのは、決して間違ってはいない、と思わせてくれて、うれしかった。

 教え子の鷹野さんの「みんなで剣道やろうよ☆☆☆直心是道場〜甲斐直心館道場〜」のブログでも、到着報告と激励をいただいた。

 或る俗な人によれば、名誉や権力も考えない、金も考えずにこういうことをやろうということが、そもそも理解できないようである。
そりゃそうかもしれない。
自分だって、自分たちだって、何処まで行けるか分からないのだから。
でも、やりたい気持ちと、やりたいことはいくらもある。
人生は短いのに、いや、人生は短いからこそ……。
それほど悲壮感はない。

 皆々様、隅から隅までずずずいーっと、
ありがとうございます。
今後とも、どうぞ、物心両面でのごひいきに(笑)。