新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/01/15 9:59:17|本・読書・図書館
図書館教育研究会講演アンケート結果
昨年、山梨の旧中巨摩郡の学校図書館の研究会でおしゃべりした内容についてのアンケートを事務局から送ってくださった。

平成22年11月17日(水)第7回教科別研究会 図書館教育研究会


(アンケート結果)
【日程の設定時期について】

○良かった。
○研究会後半の時期で良かった。適当な時期であったと思う。
○県教育研究会も終わっており、こちらの研究会のまとめとして良かった。

●開始時刻が予定通りであるのは仕方がないのですが、学校の予定をこなしてから会場にかけつけるとなると、時間通りに会場に入れない方も大勢いると思う。
●読書月間中で忙しい時期ではあった。
●もっと早い時期(例えば夏休み中)でも良かったのではと思われる。
●年度当初にこの講演会を行うことができれば今年度の研究に役立つのではないか?
※日程についての年間スケジュールは年度当初に予め決められていたこと、会場を予約するためには2か月以上前でなければならないこと、研究会への予算配当が8月下旬であることを考慮すると11月にせざるを得ないと考えられる。

【講演会の内容について】

○わかりやすく、とても参考になった。福岡先生のくれた資料も非常に役立つものだった。
○毎日図書館の仕事に携わっているが、勉強不足であると実感できた。日々の取り組みを見直す機会になった。
○福岡先生の「調べ方を教えることが『生きる力』につながる」という言葉に惹かれた。教師が「図書を利用して調べる」ことについて知らないことを認識できた。研修を積んで子どもに還元したいと思えた。
○福岡先生自身が以前高校の教諭であり、県教育委員会で指導主事でもあったこともあり、一歩踏み込んだ話が聞けて参考になった。子どもたちに図書館教育を行うことによって、生涯図書館が人生をサポートする存在となり得るよう、教諭・司書の連携を進めていきたい。
○司書だけでなく、学校全体で図書館教育を行うことが大事であることを実感した。校内研究で取り組むことができれば、と思った。
○教諭と司書の連携はもちろん、子どもと本を結びつける工夫が必要だと感じた。辞書・百科事典などの利用方法を小学校6年間の中で段階的に指導をしていくことが必要だと感じた。
○山梨県の図書館教育の状況がよく把握している福岡先生の講演はおもしろかった。
○山梨県の学校図書館の現状や問題点など、ユーモアを交えた楽しい講演で興味深かった。子どもたちを自然に本好きにするためのヒントがあり、大変参考になった。
○学校図書館の役割や重要性を改めて認識できた。読書活動だけでなく、学習センターとしてももっと活用してもらえるよう、資料の充実に努めたい。
○さっそく実践してみたいという気持ちになれた。科学絵本や参考にすると良い本の紹介も役だった。
○学校図書館の運営に関しては、指導的な立場の方がいないが、この講演会で進むべき方向を示唆して頂けたと感じた。
※上記のほか、この講演会が非常に有益だったというコメントが多数寄せられた。

【その他】

○パワーポイントを使用していたので、資料に目を落とさなくても講演をじっくり聴くことができた。
○高校時代(甲府西高)で教えて頂いた先生の講演会で、当時を思い出しながら楽しく拝聴できた。
○学校図書館の蔵書を構築していくことは非常に大切で、学校における図書の選書について質の良い本を子どもに提供していける担当者になりたいと思えた。
●学校司書の出席が多かったが、こういった講演会は教諭(管理職も含む)に聞いて頂けたらもっと良かったのでは?と感じた。

●についても賛同できることばかりだ。ことに末尾の●などについては。
関係者の熱意には感心するし、ありがたいと思う。
協力できることはしてゆきたい。

写真は都留文科大学附属図書館の展示







2011/01/15 9:01:17|甲斐の夜ばなし
毒婦と老女狐
 江戸が明治となる頃のお話でございます。

 勝沼と山梨の境の日川堤防近くにクヌギ林がございました。

 河原でタバコを造っていた金平という者がおりました。
もともと一宮の矢作(やはぎ)の出で、上栗原へ住まったのですが、よそ者には田を作らせないという村の掟があるために、やむなく煙草栽培を始めました。
ところが、行商に出ると、金平の煙草の葉はきざみとして売れ行きがよく、金は貯まる一方でした。

 金平の女房は器量よしで知られていましたが、ある夏のこと、病みついたかと思うと、たちまち死んでしまいました。
がっかりした金平は泣きの涙で野辺の送りをすませました。

 金平はおきみという後添いをもらうことになりました。
おきみも先妻に劣らぬ器量よしでしたが、先妻の素朴で純情な気質とはうってかわり、活発で粋な、いわゆる小股の切れ上がったいい女でした。
村の男衆も、おきみが切れ長の眼で送る秋波にはいちころという有様でした。

 実は、おきみは、どこから流れついたものかわかりませんが、甲府の遊郭でもちょっとならしたやり手だったのです。
金平に小金のあることを知った色男と共謀して、後妻に入ったというわけです。
色男が仲人役をしたと言いますから、謀も用意周到です。
金平が畑へ出る、また、煙草をしょって行商に出た頃合いを見計らって、おきみは男を家に引っ張り込んで年中よろしくやっておりました。
この男、呑む、打つ、買うの三拍子で、おきみをたらし込んで汗水垂らして稼いだ金平の金を引き出すばかりでございました。

 そんなこととはつゆ知らぬ金平、商売の成績が日に日に上がるのを楽しみにしておりました。
ある日、

「おきみや、金も大分貯まっつら、たまにゃー銭の顔をおがみてぇもんだ」

 おきみは素知らぬ顔で、

「誰が見ているかわからないのに、大枚のおアシをこんなところでざらざら出すわけにはいきんせん。大丈夫、あんたが稼いだ銭はあちきがしっかり管理していんす」

というばかりでした。
金平は、しなだれかかりながらささやくその甘い声と流し目に黙ってしまうのがいつものことでした。

 相変わらず、昼日中から色男を引っ張り込んだおきみは、男に、

「このごろ金を見せる、見せろって、金平がうるさいの。そろそろ潮時じゃありんせんか。あちきもあんな土臭い男と居るよりも、早く主(ぬし)さんと所帯を持ちたいわいな」

と相談を持ちかけました。
男もさるもので、

「馬鹿をいうんじゃねえ。金平にゃーまだ田畑ものこっているじゃねえか。このまま引き下がるって法はねえ。……そうだ、こうしようじゃねえか」

とおきみの耳にぼそぼそ。

 商いに出かけた金平は、

「どうも最近おきみの様子が落ち着かん。何かあるんじゃねえらか。金も確認しておかんと、苦労させて死なした女房に申し訳ねえ。きちんと確かめておかざあ」

と考え込みながら、上栗原のクヌギ林のところまで来ました。

 そこにはよく見る乞食の老婆が座り込んで、

「旦那さん、わしはこの三日何も食うておらん。いつものことで済まんが、食べるものを恵んでくれんかな」

と拝むような手つきをした。
金平、

「身よりもねえようだし気の毒なこんじゃん。俺の弁当をそっくり食えし」

と言って竹の皮に包んだにぎりめしを差し出しました。
むしゃぶりつくように食べ始めた老婆は、飯をごくりと飲み込んだとたん、

「うーん、うーん」

と唸って胸をかきむしって苦しみ始めました。
驚いた金平は老婆の背中をたたいたりさすったりしましたが、真っ青な顔をして、冷や汗を流したかと見ると、アワを吹いて気絶してしまいました。
金平を亡き者にしようと、男の入れ知恵で、おきみがにぎりめしに毒を仕込んだのでした。
と、老婆は見る間に老いたメスの大狐に変じてしまいました。
しょっちゅう金平に食べ物を恵んでもらっていた老いた女狐が、最後の恩返しをしたのでございましょうか。
狐もおきみの毒にはかなわなかったのです。

 飛んで帰った金平は、男といちゃいちゃしながら田地田畑、家財まで売っぱらう相談をしていたおきみに三くだり半を叩きつけて追ん出してしまいました。

 金平は煙草づくりも商売もむなしくなって、家財を処分して、自分の身代わりになった狐を向嶽寺の僧に頼んで手厚く葬り、自分も頭を丸めて出家してしまったということです。

 村人は、毎年、狐を祀った祠で祭を執り行ったということです。
祭は大正の終わりの頃まで続いておりました。(甲州市)







2011/01/14 19:10:28|文学
雑誌「猫町文庫」反響・楽屋オチ
 「猫町文庫」をお届けいただきありがとうございました。
確かにずいぶん立派な本になりました。
福岡さんはじめ皆さんの努力の賜物だと思います。おめでとうございます。
早速自分の文章を読もうと思ったのですが、何か気恥ずかしくてまだ読んでいません。
盛りだくさんで面白そうな内容なので、他のページから少しずつ読ませていただきます。

 昨日は、寒かったので、昼、ウイスキーのお湯割りを飲んで、暖まりましたが、
「猫町文庫」を手に取ると、そのまま、とうとう、一日過ごしました。
充実した内容で、あれも、これもと、それぞれの言葉の世界に案内され、
いわゆる雑誌を読む楽しみを、久し振りに堪能することができました。
熱意ある編集のたまものだと思います。このことは、どなたにも、伝わるはずです。

何とか維持会員を見つけましょうね。
なかなかの充実ぶり、ゆっくり堪能させてください。

トルストイ(分厚くて)でびっくりしました。


皆さま、ありがとうございました。
さらに反響が広がればうれしいことです。

写真は記事と無関係です。

御入用の方は、福岡宛てご連絡を。
携帯090-1991-5976
メールfuku@nns.ne.jp

文芸「猫町文庫」







2011/01/14 13:47:49|甲斐の夜ばなし
道志の三本魔羅
 江戸の終わりの頃のお話でございます。

 甲斐から関東の平野へ通じる、俗に「道志七里」と言われる街道辺りで、

「どこ道志の三本魔羅」

などという地口が流行っておりました。

 それもそのはず、この街道には時代を同じくして、巨根で知られた三人の男がいたのでございます。

 一人目の男のは人並はずれて太かったと言われております。

 何度嫁を迎えても、婚礼の一夜が過ごすとみんな逃げ出してしまうと言う具合でした。
誰言うともなく、

「あんなところへ嫁いだら、股から裂かれちもう」

という噂が広まっていきました。

 こんな男も使い道はあるものです。
不産児といって、産道が狭くてお産の重い妊婦さんがありますと、出かけていってねんごろに広げてあげるという、漢方にも西洋医学にもない治療を施して喜ばれたそうでございます。

 二人目の男は道具がいつでも堅くそそり立っていて、だらりと垂れ下がることがありません。

 両手に荷を持っているときでも、男根で容易に戸の開け閉めができたほどでした。
夜道を歩くには提灯をぶらさげ、湯を浴びての帰途は手ぬぐいを干しながら帰ったそうです。

 この男は、嫁さんにも十分すぎるほどの満足を与え、円満な家庭生活を送ったということです。

 三人目の男のはとてつもなく長かったということです。

 改まった席などで正座しますと膝より前に突き出るという具合で、何度踏んづけられて飛び上がったか分かりません。
山道を行けば、露呈した岩に当たってすりむいたり、潜り戸を通るときに敷居につっかかったりしたものですから、しまいには首からさらしで吊っていたそうでございます。
座敷一杯に小豆をこぼした時など、男が拾い歩いた後には、ミミズがはい回ったような跡が残ったと申します。

 夜の生活も、根本に麻縄を幾重にも巻いて行わないと、嫁が田楽刺しになってしまうか、自分が宙に浮くことになってしまったということです。

 道志七里あたりの悪童どもは、もう意味も分からなくなっていたでしょうが、つい最近まで、こんな戯れ歌を歌ってふざけておりました。

  ○○さんと呼んでも返事がねえな
  月夜の晩に嫁取って
  ホオズキまんこやらかした
  三本魔羅もうらやむべえ

 大きいばかりが能ではないということでしょうか(南都留郡道志村)。







2011/01/13 20:14:05|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(16) せまりくる貧困−2
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 著作ならずし而(て)、此(この)月も一銭入金のめあてなし「日記」二十六年六月二十一日

※他人ごとではないような感じがするが、亡くなる3年前にこのような家計に悩まされていた。作家として売れ始めても、24歳9カ月の命の終わりは待ってくれなかった。

写真は本郷菊坂の伊勢屋質店。一葉の家族は大いに活用した。