新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2011/01/09 11:04:44|グルメ
カキフライもいいねえ@煉瓦亭
久しぶりだし、旬も旬、好物も好物のカキを煉瓦亭で食す。
アルバイトのサービスがそっけないのを、主人と若主人の笑顔が補って余りある。
ここの売り物の一つだけあって、大ぶりのカキフライはころもも軽く、品のいい味で、至極うまい。
タルタルソースももちろんうまいし、
自家製のウースターソースも、昔懐かしい味で美味しい。
10人、20分くらい行列しても悔いはない。







2011/01/09 9:15:45|アート
榎並和春個展「遠い記憶」
銀座の路地が面白いというようなことを言う人がいる。
なるほど表通りから一本入ったこういうところのことを指すのかと思いつつ銀座の西五番通りを歩く。

光画廊に榎並和春さんの個展「遠い記憶」を見せてもらってきた。
小品が多い。
旅回りの音楽師、巡遊玲人といったようなモチーフがところどころにあって、例の壁画っぽいテイストの中からノスタルジックな音楽が立ち上がってくるようで、とても和む。
それに日常の「遠い記憶」のデテイルも。
榎並氏が現れてすこしばかり氏のブログの話なんかをする。
日々の移ろいを記録してゆく日記のかわりにしているという。
10年も経つそうで、何事も持続が大事だろう。

1月15日まで
光画廊 東京都中央区銀座7−6−6







2011/01/07 20:29:22|MY FAVORITE THINGS
鳩居堂の一筆箋
 使い始めたら、何かに添えて一筆書くのが、あまり苦にならなくなった。
しかも、ものものしくなく添えられるのがいい。
減るのが早く、間に合わせに他の一筆箋を使い始めるが、大抵、使い切らずにどうかしてしまう。

 薄い和紙だが、万年筆やサインペンでもさほど滲むことはない。安物の書道半紙のような「すの子」の紙目がある。
鮮やかな朱色のケイも、思ったほど邪魔ではない(と私は思っている)。

 近々、あちこちへお便りを出すことがあるからと、暮れにまとめて買ってきた。
とは言え、300円のものを5冊だ。

 以前、鳩居堂の障子の桟のような原稿用紙を使ってみたが、こちらの方は改まりすぎていて、私には使いづらかった。

 まあ、一筆箋を選り好みしても、字が上手くなる訳でもないし、うまい言葉が思い浮かぶ訳でもない。
ただ、出すべき人に、出すべきタイミングで出すことをおっくうにならないだけでも、功績大である。







2011/01/07 17:56:12|民俗・芸能
七草の「お血脈(けちみゃく)」
 寒の入りを過ぎたと思ったら、今日は、もう七草。
甲斐善光寺の壇信徒の善男善女(というより善爺善婆)が恒例の粥をふるまわれたというニュースをテレビでやっていた。
引き続いて、大きなハンコ状のものをてんでに頭にくっつけてもらっている。
それをみて、
「こりゃ、落語の『お血脈』そのままじゃないか」
とおかしくなった。

 私は落語「お血脈」を、晩年の五代目古今亭志ん生のひょうひょうとした語りで聞くのが好きだ。試聴
こんな噺。

 地獄へ落ちてくる亡者がこのところ少ない。
経営危機を感じた閻魔さまが調べると、信濃の善光寺でひとり一分で「お血脈」のハンコを額に捺す「御印文頂戴」が流行っていることがわかる。
捺された者は揃いもそろって極楽往生してしまう。

 閻魔さまはハンコを盗み取ってしまおうと考えて、亡者の中から人選したのが石川五右衛門。
五右衛門は「お血脈」のハンコをまんまと盗み出すが、カッコウをつけて、

「アァありがてえ、かっちけねえ。まんまと善光寺の奥殿へ忍び込み、奪い取ったるお血脈の印。これせえあれば大願成就、アァありがたや、かっちけなやァァ!」

と唸り、ハンコをおでこに当てがって見栄を切ってしまう。
とたんに、石川五右衛門もめでたく往生するというサゲ。

 甲斐善光寺の善爺善婆も、首尾よく極楽浄土へ迎えられるに違いない。









2011/01/06 16:59:13|甲斐の夜ばなし
殿様の焼き餅・後篇
 お話はここで終わりません。

 大翁寺では夜な夜な本堂ががたがた揺れるは、本堂の須弥壇(しゅみだん)から御本尊が転がり落ちて首や手がもげるくちという有様。
その周りを毎夜二つの火の玉がもつれ合うように飛び回っていたのでございます。
どんな住職が供養の真似ごとをしてみても、いっかな効験は現れませんでした。
寺男が甘利不動の託宣を得ると、非業の死を遂げて成仏できなかった男女二人の霊だということでした。
土地の者たちは目配せし合ったと言います。

 甲府大泉寺から一人の老僧が住持してきた晩の怨霊の暴れ方といったらありませんでした。
あたりの里山をも揺り動かすほどでした。
けれども、老僧は少しもひるむことなく本堂に籠もって不眠不休の座禅を組みました。
三晩目、堂内に入り込んで僧の周りで絡み合って飛んでいた二つの火の玉が、見る間に手に手を取った美しい若者と娘の姿に変じました。
二人とも青白い裸身で、悶死した時の京十郎とみつの姿そのままと見えました。
二人は老僧の前にきちんと膝を揃えて座りました。

「おまえたちがこの寺の怪異を起こしているのか? 訳を聞かせよ」

老僧が言うと、二人はかくかくしかじかとここに至った訳を涙ながらに語ったのです。
みつ姫の言うには、

「是非とも成仏させていただきたいと高徳の訪れを待ち焦がれておりましたが、これまではいずれも俗人にも劣る破戒僧ばかり。貴僧を大徳と見こんでお頼み申し上げますが、なにとぞこのまま供養をつづけていただきたいのです」

と言い終えるやいなや二人の姿はかき消えてしまいました。
老僧はさらに不眠不休で護摩(ごま)を焚き、施餓鬼(せがき)を施すこと七日七晩の最後の晩、またもや素っ裸の二人が老僧の前に現れました。そして、

「私どもは寺内の午と巳の方角の木立の中に生き埋めにされております。明朝四つ時、木立の中にお越しいただきたいのです」

と言ってふっとかき消えた。
後で聞けば、明四つは二人が埋められた時刻だったと申します。
二人の表情は心なしか和らぎ、全身の血色も紅を帯びておりました。

 言われた刻限、老僧が木立の中に入っていきますと、土を盛り上げた大きくもない土まんじゅうが目に入りました。

 老僧が夢中になって土をかき分けると真新しい棺が現れました。
渾身の力を込めて重いふたを取りのけると、これは幻ではなく、生きた姿そのままの二人が素裸でひしと抱き合った姿で横たわっておりました。
まるで眠ってでもいるかのように肌にはしっとりと汗が浮き、頬は上気して赤く、うっすらと笑みをうかべておりました。
二人の身体の周りにはからからにひからびたおびただしい数の毒虫や蛇の死骸が散乱しておりました。

 老僧がここを先途と声高に誦経し、法子(ほっす)を一振りしましたところ、抱き合った二人の姿はたちまち真っ白な骨に変わりからからと棺のなかに崩れていきました。

その後、大翁寺には、何の怪異も起こらなかったと言います。(山梨市)