新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/12/31 14:57:17|民俗・芸能
神楽歌・早歌
女子(おみなご)の才(ざえ)は
霜月師走のかいこぼち


※折り紙つきの難句。
ちなみに折口信夫は、

女といふものの学問技芸は、十一月十二月のどっさり雪みたいに家こわしだ

と解している(日本文学の発生序説)







2010/12/31 14:48:33|グルメ
サン・パウ@日本橋2
女性オーナーでシェフのカルメ・ルスカィーダのイラストで描かれる、前菜とデザートのリストが可愛い。
私の食のモットーは佳味少量多種。
というより、そうせざるを得ない体調である。
海外旅行も基本的には不可能。
できれば昔のような不味多量少種は避けたい。
とすれば、ややお高くても、たまにはこういう店にも来たいもの。

サン・パウ







2010/12/31 14:38:36|グルメ
サン・パウ@日本橋1
大好きなスペイン料理の、そのまた大好きな店サン・パウ。
バルセロナが本店だから、とても洒落ている。
けれども、フレンチかというと、そうでもない。
イタリアンかというと、そうでもない。
おしゃれなスペインはカタルーニアの料理である。
スペインに通っている頃、こんな店は知らなかった。
今やミシュラン二つ星だ。







2010/12/30 22:58:06|文学
始まりが終り、終りが始まり
西郷信綱曰く、

 両極をとっていえば、科学的散文では一歩一歩、 分析過程が時間とともに進められるにたいし、詩はむしろ絶えず時間を消そうとし、それによって現れる綜合的統一を志向する。
したがってそこでは、句の順序はさして重大とはいえない。
少くともそれはたんに継起的・因果的には配列されていない。
詩では始まりが終りであり、終りが始まりであることだって珍らしくない
。(『梁塵秘抄』二)

これは「詩」ならずとも、芸術のあるジャンルにも言えることだろう。







2010/12/29 15:57:24|ベトナム
ハノイ旧市街(ベトナム)1
 メシ時ってものがあるだろうに、いたるところで誰かが必ず何か食べている。
フォーのような麺だったり、白い飯だったりするが、いろんなおかずを載っけてはひたすら食っている。
どんぶり感覚で、我々には馴染み深い。
食堂から屋台……道端がそのまま市民のダイニングなのだろう。
銭湯の椅子のようなものに腰を変えて、うら若いお姉ちゃんがもりもり食べる。
バイクに跨ったままの、昔の浜田光男みたいなお兄ちゃんが気持ちいいほどがんがん食う。
サトウキビかなんかの泡だったジュースをストローで呑んでいる。
近くの村からきている露店のおばさんは、丸いアルマイトの弁当箱を開けてぱくついている。

 道端でも暗い店の中でも、とにかく何時でも何処でも誰かがものを食っている。
ハノイの胃袋は常在戦場という感じである。

 焼肉も野菜もジュース類も、どれもこれも旨そうで、彼らの食い方も一様に旨そうだ。
平均的には貧しいのだろうが、一向にそんな感じはしない。
生の原点は食だとよく分かる光景だ。
「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」を地でいっているなと嬉しくなる。
孟宗竹の筒なんかに入ったスチーム・ライスと称する蒸しご飯もとても美味しい。
少なくとも、一日炊飯ジャーに入れておいた飯よりは。

 ガイドブックには
「人糞(下肥?)で作っているから生野菜は食べるな」
とか書いてある。
だからこそ、野菜も旨いのだろう。
問題ない。
我らがジャパンだって、つい3,40年前まではそうだったではないか。
(「猫町文庫」第1集,2010)