新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/12/29 15:08:18|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(15) 作家としての桃水−2
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 西村君のものがたりの中に、桃水うしが小説をほめられたる、見るめなき人かなどおもえども、にくからずかし「にっ記」二士六年五月二十六日

※西村釧之助。文学が分からない人だと思うけれど、半井桃水先生を慕っている自分はまんざらでもない。
微妙な女性心理。

写真は言問団子。







2010/12/29 15:00:37|グルメ
ミオ・ピアット@山梨県富士川町鰍沢
 生ハムとキャベツ、温玉(食いしん坊の私は焦ってつぶしてしまった)のピリ辛パスタ。
チーズを散らして食べる。
極めて美味。
私はさらに鷹の爪入りのオリーブオイルを二回し。

 鰍沢病院の裏手。
いつも老若のご婦人が多い。
ご婦人は美味しい店を知ってるよな。
こちら方面で仕事があるときには、ここに立ち寄るのが楽しみ。
だから弁当屋の昼食を断っても悪く思わないでね。

 ここはスウィーツも自慢なのだが、今日のところは1ハーフピースで我慢してやった。


ミオ・ピアット







2010/12/28 20:18:05|民俗・芸能
閑吟集・うき世
何ともなやなう、何ともなやなう
うき世は風波の一葉よ
(五〇)

何ともなやなう、何ともなやなう
人生七十古来稀なり
(五一)

ただ何ごともかごとも
夢まぼろしや水の泡
笹の葉に置く露の間に
味気なのよや
(五二)

どうってこともないんだよ、うき世は。
風に吹かれる木の葉のようなもんさ。(五〇)

おやまあほんに、私も何時の間にか七十歳、古稀とやら。
どうってこともなく過ごして来たんだが。(五一)

この世はすべて夢まぼろし、水の泡のように、
また笹の葉の上の露のようにはかないもの。
その一時の夢の世をどうやって生きろというの。(五二)


写真:七代目さがらたかし作「江口の遊女」







2010/12/28 20:01:42|その他
戒老言「キレない」
 「キレやすい子ども」と言われたり、非正規・派遣労働者の「暴発」などと言われる。
それ以上に、最近、キレやすい中高年を、私はしばしば目にする。

 先日も銀座の文房具の老舗のIの何階かで、大きな声を挙げて周りの空気を変にするほどの勢いですごんでいる中高年の男を観た。
何でも、文庫本か何かのビニルカバーを求めているのだが、店員が出したものが気に入らなかったらしい。
「本の表紙がくっついちゃうから、駄目だって言ってんだろ。前にもそ言って、別なの出させただろう。探しもしないで、ないない言いやがって、いつも。ふざけんなよ。あんだよ。新宿店だって、俺はこの件でトラぶっていんだよ。新宿店に電話してみろ」
カウンターから、若い店員に今にも殴りかかりそうな態度である。

 それほど執着する品なら、会社名なり、製品番号なり、実物なり持ってくればいいのである。
たかだか数百円の商品で、多分小一時間も若い店員を恫喝するのも、いかにも大人げない。

 また、別の場面である。

 いきなり卓かなんかをたたく音と怒鳴り声である。
「ふざけんなよ、いいかげんにしろよ、ふざけんなよ」
 見れば、痩せぎすの勤め人かと思えるような中高年の男である。
蕎麦か何か、注文したものがちっとも出てこないとか、順番が大幅に違う、というようなことらしい。

 確かに、イベント会場の隅の軽食コーナーに人が詰め掛けて、三人ほどのおばさんでは手が回らないようだ。
相席の客も、
「キャンセルすっか、どうするか?」
と言い合っていたのが、後から座った私の注文が先に出たのをしおに、席を立った。

 状況は分かる。
それにしても、蒼白な顔をして、眉間に血管浮かせて、自ら手も痛かろう、カウンターをたたきながら、
「ふざけんなよ、いいかげんにしろ、ふざけんなよ」
と手がつけられない。
男はワインのテイスティングカップを首にかけている。
けれども、酔っているかどうかは分からない。

 おばさんもむっとしたように、
「どうすればいいんですか?」
と尋ねると、一瞬黙り、次に
「弁償だ、慰謝料もだ」
と言い放ったのである。
「慰謝料ですか? いかほど?」
「二千円、そうだ、二千円だっ」
おばさんが金を出すとひったくるようにとって、
「ふざけるんじゃねぇ」
とどなりながら、おつりにもう一度ドスンとカウンターをたたいて、蒼白な顔をして出て行った。

 無関係な周りの者さえ気まずかった。

 我が身を省みて、戒老の心がけの一つに、「キレない」は不可欠だな、と思い当たった。
ましてや、弱い立場の者に対しては……。

写真は無関係です







2010/12/27 15:27:33|ちょっと昔のこと
杉野はいずこ、杉野はいずや
 大体においてドラマは観ない。
時間もないからだし、たいがいつまらないからだ。
とりわけ「坂の上の雲」は見ないように気をつけていた。
おそらく自分はわくわくするだろうからだ。
ところが、テレビが新しくなって、ついうかうかと第二部最終回を観てしまった。
旅順港閉塞作戦の、「杉野はいずこ、杉野はいずや」、「軍神」広瀬中佐の死という有名な場面である。
そして、案の定、わくわくしてしまった。

 思い出したのは、小学生の時代の甲府朝日町の映画館ヒカリ座のことである。
売店のおばさんが父に何か恩義を感じていて、いつ行っても、私を幕間から客席に入れてくれた。
三角のパラフィン袋に入った南京豆と共に。
私はほとんど毎週ヒカリ座に通った。

 ヒカリ座ではむやみに戦争映画を観た。嵐寛寿郎が明治天皇を演じる「明治天皇と日露大戦争」「明治天皇と乃木大将」等々だ。
これらの映画は新東宝の制作だったが、松竹の美空ひばりの「七変化狸御殿」なども観た覚えがあるから、ヒカリ座がどういう系列の映画館だったのか分からない。

 とにかく戦争映画を観て帰ってきて、空き地や山梨大学学芸学部附属小学校の敷地だった旧甲府連隊の跡地で二百三高地攻略や日本海海戦やらの戦争ごっこばかりやっていた。
小学校では放送部に入っていたが、「君が代行進曲」だとか軍歌の入ったSPレコードがたくさん残っていた。
それに鉄針を落として校内放送でむやみに流して面白がっていた。
入学したのが、戦争に負けて10年目のことだ。
先生たちは、シベリアから還って来た人を含めて、さぞかし苦々しい思いがしたことだろう。
岡島百貨店の前のオリオン通りには、まだ、白づくめの傷痍軍人の、一人が這いつくばり、一人がアコーディオンを弾いて、物乞いをしていた。

 昭和の戦争の実態を知らなかった私たちには、スクリーン上で観る明治の戦争がとても「カッコヨカッタ」のである。
男らしく、ロマンチックだったし、なんだか自信や元気を与えてくれるものだった。
日露戦争の見せかけの「勝利」から、この国が無一物になってしまった昭和の「敗戦」まで、わずかに40年の時間しか経っていないことを、当時の自分たちには分かりようもない。

 司馬遼太郎を観たくないのは、今でも、そんなわくわくが自分の身内に蘇ってくることが怖いのである。
同様の理由で「龍馬伝」も観ない。