新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
月の満ち欠けカレンダー

今日は冬至だという。
それでクリニックの昼食にカボチャの煮つけが出たのか。

昨日で大学の講義の年内分が終わった。
この休み中に、後期受講者の「ブックトーク集」を編集するのが仕事である。
しかし、前期あるいは後期各15回くらいの講義日程では、多くを伝えられないものだと痛感する。
これでは、いざ、彼らが現場へ出た時、ショックを受けることが、まだまだ多いことだろう。
ともあれ、就活に、卒論にがんばってもらいたいものだ。

去年だったか、年内最後の日の講義が終わって、都留三丁目のパスタ屋さんで昼飯をとっていたら、雪が舞い始め、あっという間に、大粒の牡丹雪になった。
たまげて、あわてて甲府に引き返した。

今年はそういう目にあわないなと思っていたら、正門前の喫茶「バンカム」の主が、「今年も、一度、舞ったのですよ」と言う。
ラッキーだったのかもしれない。

銀座の文房具の老舗Iで、来年用にこんなカレンダーを買ってみた。
「月の満ち欠けカレンダー」
月の満ち欠け以上に、日ごと旧暦を意識していたいと思ってのことで、前々から欲しいと思っていたのだ。
元々の自然のバイオリズムに、自分の季節感や生活感を沿わせてみたらどうか、と思う。

とりあえず、今日はゆず湯だ。
「いっぱいのゆず湯を呑んでしまいけり」
という、子どもの勘違いの句の話題を思い出した。
飲むはちみつゆず湯みたいなものもあってもいいじゃないか。







2010/12/22 14:03:49|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(12) 作家としての桃水

一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 桃水うし、もとより文章粗にして、華麗と幽邃(ゆうすい)とをかき給へり。又みづからも文に勉むる所なく、ひたすら趣向意匠のみ尊ぴ給ふとみえたり「よもぎふ日記」二十六年二月二十三日

師として、一人のハンサムな男性として、一葉が慕っている半井桃水だが、その文学の姿勢には、彼女は全面的に納得できないものがあった。桃水は「朝日新聞」の読み物記者であり、一葉にてっとりばやく収入を得させるために、最初、「読み物」に近い小説作法を伝授しようとした。

写真は日本堤の「土手の天麩羅屋」伊勢屋。一葉のころから、ここで営業していた。ボリュームの多さにはたじたじする。











2010/12/21 20:59:27|本・読書・図書館
V・L・バートン『ちいさいおうち』

子どものときに読んで(あるいは読んでもらったり、与えられて)深く心に残っている本で、悲しい本や不安な気持ちになった本というのもある。
だから、それが困った本だとか、そういう本は子どもに与えるな、と言いたいのではない。
むしろ、逆で、大いに読ませるべきだと思うのだ。

私にとってはその一冊が、バージニア・リー・バートン作・絵,石井桃子訳の『ちいさなおうち』だ。

いまさら内容を紹介するのも気が引ける。

田舎の丘の上にきれいなちいさなおうちがあって、遠くの町の灯りを眺めながら、来る日も来る日ものどかに幸せに暮らしていた。

ある日、家の前に自動車が現れると、たちまちそれが増え、ブルドーザーが路を広くし始める。

次第に周りにもおうちが増え始める。
家の前に電車が走り始め、周りがアパートになる。

と、上には高架鉄道、地下には地下鉄……周りはビルだらけ。

巻末近くの絵のように、ビルの間でちいさくおんぼろになったおうちの運命はどうなるか?

忘れた人は本屋で立ち見してもらいたい。

私はこの本に初めて会った時、ちいさなおうちがかわいそうで、泣けて泣けて仕方なかったのを覚えている。
この「変化」は悲しかったし、やり場のない悔しさをもたらすものだった。

このおうちの周りの変化は、今風に言えば「都市開発」というようなものだろう。
この言葉の前には、反対を唱えづらい。
が、子どもの私にはこのような「変化」が、環境の、明るい、幸せな未来像だなんて受け止められなかったのである。

私が住んでいる地区は、幸か不幸か、この60年、殆ど大きな変化はない。
けれども、町から市、県という区域へと広げていけば、「開発」さらには「再開発」とか「整備」の名のもとに、壊したり、失ってしまったものが余りにも多い。

結局、個人のささやかな生活感は、いつも『ちいさなおうち』のような運命にさらされるのだ、と思う。
私には、この本は大切な、しかし、懐かしいというより辛い本である。







2010/12/21 19:58:53|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(11)恋心
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 我はじめより、かの人に心ゆるしたることもなく、はた恋し床(ゆか)しなど思ひつること、かけてもなかりき……ある時は厭(いと)ひ、ある時はしたひ、よ所(そ)ながらもの語りききて胸とどろかし、まのわたり文を見て涙にむせび、心緒みだれ尽して迷夢いよいよ闇(くら)かりしこと四十日にあまりぬ……忘るるひま一時も非(あら)ざりし「につ記」二十五年六月〜八月

※一葉と半井桃水のことがスキャンダルになっていると知った一葉は、苦しんで、桃水を慕ってはいても、神かけて恋心などではない……と「につ記」書きつける。
樋口家の戸長にもなっていた一葉だから、恋愛→結婚という道は、先ず、ないと言ってよかった。

写真:東京上野不忍池







2010/12/20 14:39:53|アート
個展完結・三人展オープニングパーティ
PRAXIS高橋辰雄さんの「自身のためのリメイクシリーズ」が11年間で10回を完結させたという。
その報告謝恩パーティと、氏の企画による伊藤美輝・関口恭子・日原瑞枝三人展(try-angle.vol.5)のオープニングを兼ねたパーティである。

場所は甲府善光寺のハーパーズ・ミル。

高橋さんのこの10年のねばり強さにも敬服するが、お仲間への面倒見の良さにも、同様に敬服する。
だから、県内のギャラリーも順次できてゆくのだろうし、そこでの意欲的な企画も順次できているのだろう、と思う。
手作りのパーティも穏和な空気が流れていた。
PRAXISは大事な交差点だ。
「個展完結」といっても、また、次の区切りを目指して行かれることだろう。

やはり、肝心なのは活動の継続とプレゼンテーション、そして、仲間である。
いくつになろうが、これを維持する熱意というか執念はなくしてはならぬだろう。
お手本にがんばらねば。
そのために、私も健康回復・維持をしなければならぬ。

右端ニット帽のおじさんが高橋氏