新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/12/16 11:26:53|ことばグルメ
前田普羅@甲斐駒ケ岳
甲府盆地は、今日は朝から陽も出ず、暗く、しんしんと冷える。
風はない。
これからはこういう日が多くなるだろう。
西の方角を観ると、甲斐駒ケ岳が鋼のように、硬く凍りついているのが見えた。
古来の山岳信仰の一メッカ。
清らかにして、峻厳な山だ。

前田普羅の句を思い出した。

駒ケ岳凍てて巌を落としけり

普羅が八ケ岳など甲斐の山岳を詠んだ句はいくつかある。
この句は、飯田蛇笏を訪ねた時の詠だったように思うが、勘違いかもしれない。







2010/12/16 9:00:29|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(10) 友の詰問
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、
と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 伊東夏子ぬし不図(ふと)席を立(たち)て「我にいふべき事あり此方(こなた)へ」といふ 呼ばれて行(いき)しは次の間の四畳計(ばかり)なるもののかげ也 「何事ぞ」と問へば声をひそめて「君は世の義理や重き家の名や惜しきいづれぞ 先(まず)この事問はまほし」との給ふ 「いでや世の義理は我がことに重んずる事也 是故(これゆえ)にこそ幾多の苦をもしのぐなれ されど家の名はた借しからぬかは 甲乙なしといふが中に心は家に引かれ侍り 我計(ばかり)のことにもあらず親あり兄弟ありと思へば」といふ「さらば申す也 君と半井ぬしとの交際断(たち)給ふ訳にはいかずやいかに」といひて我おもてつとまもらる 「いぶかしうもの給ふ哉(かな) いつぞやも我いいつる様にかの人年若く面て清らになどあれば我が参り行ふこと世のはばかり無きにしも非ず 百度も千度も交際や断ましと思ひつること無きならねど受(うけ)し恩義の重さに引かれて心清くはえも去あへず今も猶かくて有なり されど神かけて我心に濁りなく我が行(おこなひ)にけがれなきは知り給はぬ君にも非じ さるをなどこと更(さら)にかうはの給ふぞ」と打恨めば……「日記しのぶぐさ」二十五年六月十二日

※半井桃水に一葉が小説の指導を受けていることが、一葉の通う塾萩の舎では男女関係であるかのようなスキャンダルになっていた。大の親友で心を知った伊東夏子や娘のように思ってくれているはずの師の中島歌子さえも、一葉を疑うそぶりを見せる。







2010/12/16 8:48:12|その他
責任追及か、歴史叙述か?
山梨県立大を会場に、山梨近代史の会(浅川保)で飯野正仁氏が著書『戦時下日本の美術家たち」(猫町文庫刊)について話すというから聴いてきた。

氏は満州事変期、支那事変期、太平洋戦争勃発〜玉音放送の三期に分けて話した。
当初、画家の志願を軍が認めたかたちから、次第に軍が「戦意高揚のための宣伝価値をみとめる」に至ったとした。

氏の話の着地点は、「印象主義を基調とし、非構築的・非歴史的性格」を持つ日本美術の伝統からは、戦争という強烈な「事実」を経ても、芸術性豊かな作品を殆ど生みださなかった、というところにあった。

私は、文学に引きつけてこれを聴いていて、物語性や叙事性豊かな浪漫主義というのは、日本では大きく育ってこなかったことを思い起こしていた。

この不毛さに拍車をかけている一つが「戦争責任」論かもしれない、とも思った。

席上、飯野本が著書の中で画家の「戦争責任」に言及しないことを指摘する発言があった。
ありがちな発言である。
聴いていて思った。
責任追及と歴史叙述は違う。
前者は価値判断をするのだし、是非を仕分けなければならない。
後者は、何があったかなかったか(できたか、できなかったか)を検証するのである。
事実検証をしっかりしないで、白黒つける責任追及を急ぐと、創造活動の中に芽が出ていたものも摘み取られてしまうし、作家のその後の試みを行う勇気を萎えさせる。

日本では、戦争と芸術あるいは文化活動全般、こういう傾向が強いような気がする。
結果として、残念なことに、近現代日本の芸術・文化活動の多くが国としての力強い流れにならず、線の細い、個別の作家の成果という限界から抜け出られないできたように思う。







2010/12/15 15:00:13|その他
専門性を軽んじる社会
 以前、「チャングムの誓い」という韓国の歴史ドラマを観ることを好んでいた。
ただ、憤慨に堪えないことがあった。
それは、宮廷の中で、医官の地位が女官より低く、しかも厨房で調理に携わる女官よりも低いということだ。
女官が賤しいはずだと言いたいのではない。
官僚社会における「医」という専門性の軽視という観点だ。

 私はドラマを観ながら、たとえば、いまだに、医者や看護師、技官、学芸員、司書や教員、クリエイター等々……のなべての専門性を大事にしない、日本の官僚社会のことを想起して、憤慨していたのだ。

 思えば、私は、このことに30年以上も憤慨し続けてきた。
そうして、時には、上司である行政職員に、野犬のように吠えかかっていた。
ある時には、面と向かって、
「人事で報復してやるからナ」
とまで言われ、人事の基本台帳に「上司に従順ならざるところあり」と書かれていたようである。
「ようである」というのは、とある上司が教えてくれたからである。

それは、ある時には、学芸員の考えることをいともたやすく歪曲化することを怒ったのだし、
ある時には、図書館を公民館のようにするなと怒ったのだった。
また、学校現場の苦労を無にするなという怒りだった。
我ながら、その中で、よくぞサバイバルしてきたものだと思う。
最後の一年は、倒れてしまったが……。

私には、こういう風潮は、官僚社会に根深いものだろうという直感があった。

沖浦和光の本たちを読んで、改めて、儒教の影響下の日中朝の官僚社会の特徴だと気付いた。
あるいは、ある時期、これらの国々の影響下にあったアジアの国々(ベトナムとかタイとか)にも、同じことが言えるのかもしれない。
「儒教の影響」とは、韓非子以来の「農本主義」がもたらす、農耕民を「良民」とし、「商工巫医」を「賤民」とする考え方だ。
「医」は「巫」(シャーマン)につながり、「巫」は芸能民につながる。
すなわち、「商工巫医」の専門性こそが、「差別」の発生する根拠となる。

現代の官僚社会にも、こういう悪しき認識や、官僚の思いあがりがたっぷり残存しているような気がする。
これでは、国も社会もいい方向へ導けるはずがなかろう。







2010/12/15 14:09:42|グルメ
いい肉は、やはり関西風で食うのが旨し
松坂の5Aクラスの霜降りと、年相応にロース肉、こちらも松阪だ。
最盛期に比べれば、ずいぶん少量になった!

食い方は、やはり、関西風がよかろう。
肉を広げて、隅が焼け始めたら、砂糖をふりかけ、生醤油をたらして、即、裏返して、1,2でパクリ。
やはり、旨い。
いい牛肉はこれに限る。

京都の三嶋亭とか、松坂の和田金で、仲居さんが鉄鍋でいきなり砂糖を炒り始めた時には、最初、たまげた。
関東風の下地で肉を煮て食うのとは違って、確かに焼いて食うのである。
食べ慣れると、すき焼きは関西風の方が断然旨い。
ただし、ワインを飲むのも忘れて、肉投入、砂糖ふりかけ、醤油ふりかけ、裏返し、食べ、に専念せねばならず、結構、忙しい仕事になる。
だから、時折は、お義理のように、ネギやシイタケ、しらたきなんぞをつまんでいる。

ああ、あの三嶋亭の古びて黒光りしひしゃげた階段を上って、坪庭とせせらぎの見える小座敷よ!

かにかくに祇園は恋し寝る時も枕の下を水の流るる(吉井勇)

これで合っていたっけ?