新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/11/14 21:14:42|グルメ
古月(上野池之端・山中旅館)

上海ガニの季節!
実際の上海にいれば、太湖あたりの蟹もどうってことは無いのだろうが、国内では、上海ガニもやたら高価。

フカヒレも一緒だ。

それにしても、この国の「食」は、どうしてこんなに高いのか?
6割近くも輸入に頼っている食物で、さらに希少なものを食べようと思うと、こうなるのだろうか。
いやいや、日常の食費だって、世界の中でずいぶん高い部類だとおもうけれど。

とは言え、山中旅館・古月(上野池之端)の薬膳コースの中で出てくるのは、確かにちょっと格が違う感じ。
薬膳効果か、体がほかほかする。

古月の、畳の上にテーブル、というのも何だか明治の長崎みたいでおかしい。
妙なムードの料亭である。









2010/11/14 17:56:45|アート
骨董市ハシゴ

甲府護国神社の骨董市を眺める。
こちらは毎月第二、第四日曜日に開かれている。
ゴミから「古美術」?まで、商品も面白いが、
店を出している人、冷やかしている人が
一癖も二癖もありそうで、それを眺めているのも面白い。
自ら骨董のような客もたまにはいる。
結局、皿と対にしてもよいような小ぶりの茶碗を買う。
エスプレッソを飲むのに使ってもいいか。

次いで、大月市笹一酒造の骨董市まで足をのばす。
こちらも張っている店が多く、面白かった。

高速を使わず、20号線で行ったのだが、
大和、笹子トンネルあたりでは、
両側の山肌の紅葉が色合いと言い、ボリュームと言い見事だった。 







ホームページが消えた!!
以下の話は、ネットをを使っていない人には、まったく理解不能で、共感もできない話題だと思う。

数日前に気づいたことである。
2001年から私が作っていたホームページが消えていた。
HPを観ようとすると、そのレンタルサーバーのサイトに飛ばされて、次のような説明があった。
レンタル廃止の10日前の日付である。
ちなみに私が事態に気付いたのは、サイトが消えて1週間してからだ。

インフォシークでは、2001年より、無料ホームページサービス「インフォシーク iswebライト」、および有料の「インフォシーク iswebライト 広告非表示オプション」を提供してまいりました。
しかしながら、昨今のインターネット環境の変化を受け、弊社内にて慎重に検討を重ねた結果、誠に勝手ではございますが、サービスを終了させていただくこととなりました。


このホームページは、私にとって思い出深い。
このiswebというサイトにテクストや撮った画像をアップするために、私はあの悪名高き「ホームページ・ビルダー」を必死で習得した。
何次かのバージョンアップにも付き合った。
iswebが貸してくれるスペースは10MBだった。
画像やGIF、音源を使うにはこころもとなかった。
が、自分の書いたものが、右から左に「本」になるわけではなかったから、これは、自分の考えたことの大事な発表、集積のメディアだった。

そのうちiswebはinfoseekに吸収された。
と同時に50MBまでサーバー容量が増えた。
少しは安心した。

ところが、せっせとアップしているうちに、気づいたら、およそ4,000ファイル、レンタル容量も上限に迫る勢いになっていた。
私は何処かへ引越しをするか、余裕のある有料のサーバーに乗り換えるか、迷い始めていた。

そのうち、HTML文書なんか使わずとも、簡単にテクストや画像をアップできるシステムが流行りだした。
いわゆるブログだ。
使ってみたらきわめて楽チンで、いつしかisweb&infoseekの「更新」の方は「お留守」になっていた。
サイトが楽天に吸収された時も「弱肉強食、しょうがないな」くらいな思いだった。

が、先日、自分のサイトが消えた、いや、消されたと知って、大変にショックだった。
自分は、ある程度テクストがたまると、選んで「本」にしてきた。
また、サイト内容のおそらく99パーセントは自分のパソコンのハードディスクにバックアップしておいた。
だから、自分の過去のテクストや画像を、使おうと思えば使える。
が、そういう態勢をとっていた人は、利用者の中にどれぐらいいただろうか。
それとも、ネットにアップする内容なんて、さほど執着する人はすくないのだろうか。

ネット上のサーバーなんて、案の定、当てにならないな、というのが実感だった。
これからも心を寄せる友人にはなれないな、ネットって奴は、と痛感した。

今の、ここのサイトだって、過信するに及ばず。
できれば、順次、アナログの「本」にするにこしたことはない。








2010/11/13 8:37:13|山梨
赤すぎる寺

いつも通るたびに、「この屋根の色はまずいな」と思う。
ドキッとする。
山梨県北杜市須玉町の増富鉱泉に至る道だ。
そう思ったら、通るたびにやけに目にうるさくてしようがない。
蛍光色ではないけれど、遠目にもありありと目に入って、近くへ行けばまぶしいほどだ。
檀家さんはなんとも思わないのだろうか?
それでも、この十年の風雪で屋根の「輝き」はだいぶん衰えたのだ。
それでいて、まだ、この赤さだ。
古い農家の屋根にトタンをかぶせているのが時折あるけれど、赤と言っても、たいていは錆止めのような沈んだ赤だ。

ペンキ屋ももうすこし考えそうなもんだ、と思いつつ車を走らせていると、道路わきの崖上に小さな祠。
そこの鳥居がやっぱりこの色で「ど真っ赤」。
ペンキの残りを応用したな、とありあり。
思わず苦笑い。







2010/11/12 14:13:07|ことばグルメ
尾崎喜八「甲斐の秋の夜」
甲斐の秋の夜
尾崎喜八


さわやかにひろびろとした一日が暮れて、
河原や扇状地に黒い風がさまよいはじめる。
周囲の山々が砦(とりで)のように高くなり、
わずかにあかるい夕空の向うへ
昼間の隣国が遠のいて行く。

盆地には、うすら寒い
しろい霧がとめどもなく流れて、
竜王(りゅうおう)や石和(いさわ)などという町が
うかび上って寄添いたそうに、
甲府の方へまたたいている。

もっと遠い勝沼や韮崎は
自分で自分を照らしながら、附近の村々を
その明かりで元気づけてやらなければなるまい。

こんな夜には葡萄がいよいよ甘くなり、
北方の山奥のさびしい谷間で
まだ埋まっている水晶たちが歌うだろう、
すべてがそれぞれ結ばれ合おうとする
甲斐の国の秋の夜をこめて。

(初出 昭和8年・朋文堂『旅と滞在』)
(昭和34年・創文社『尾崎喜八詩文集』2)