 近代初頭、甲府は、その後大ヒットとなる出版物を世に送り出す。明治15年(1882)10月3日第一集を刊行した『新体詩歌』である。編輯兼出版人は北都留郡甲東村(現上野原町)111番地に寄留する「和歌山県平民」(後掲の翻刻本には「士族」とするものもある)竹内隆信。定価が12銭。第一集には発行所の記載はないが、「発兌書林」として「東京 山中市兵衛、同吉川半七、同小笠原書房、大阪 柳原春兵衛、同岡島新七、静岡 廣瀬市蔵、甲府 徴古堂」が挙げられている。
時代は近世期までの和歌、俳諧(発句)に替わる「新体」の詩歌を創出しようというブームが起こっていた。その皮切りが我が国の近代文学史上名高い『新体詩抄』(明治15年7月刊 外山正一・矢田部良吉・井上哲次郎共著)である。竹内の出した『新体詩歌』はその三ヶ月後の刊行である。
以後、竹内隆信の『新体詩歌』は、明治15年12月5日に第二集、16年(原本に月日欠)に第三集、同年6月22日に第四集、同年(原本に月日欠)に第五集を刊行して完結した。
第二集には「甲府書肆 徴古堂梓」とある。「梓」は出版の意だ。「発兌(はつだ)書林」は第一集と変わらない。第三集は「製本発兌 徴古堂」で「売弘(うりひろめ)書林」が「東京 山中市兵衛、同 吉川半七、同春陽堂、大阪 岡島真(ママ)七、静岡 廣瀬市蔵」が挙げられる。第四集は「発兌書林」が「東京 山中市兵衛、同吉川半七、同○々堂、同春陽堂、甲府 徴古堂」となっている。第五集は「製本発兌」が徴古堂で「発兌書林」の記述はない。奥付の記載も昔はおおらかだった。
完結の後、明治17年、西山梨郡常盤町四番地(現甲府市中央)の「山梨県平民」内藤伝右衛門(温故堂)の手で翻刻される。「編輯兼原板主」は「和歌山県平民」竹内隆信である。翻刻版は合8銭になっている。
その後、『新体詩歌』は各地で続々と翻刻され続けた。以下、国立国会図書館のマイクロフィルムに収められている翻刻書肆である。
明治19年 和楽堂(東京)、三香堂(東京)、耕雲閣(大阪)、耕雲閣(大阪)、二葉堂(東京)、東雲堂(名古屋)、晴庭堂(東京)、金泉堂(東京)、有楽堂(東京)、鶴声社(東京)、三鱗堂(東京)、和楽堂(東京)
明治20年 鴻宝堂(大阪)、日吉堂(東京)、三香堂(東京)
明治21年 中金堂(東京)
明治24年 開文堂(東京)
明治32年 奥村金次郎(東京)
これらは内務省に正式に届けられた翻刻と見られ、「海賊出版」はこれ以上にあったかも知れない。阿毛久芳氏の調査では、この他に明治19年の春祥堂版、20年の神戸船井弘文堂版、開文堂版、25年に井上市松版のあったことが知られる。『新体詩抄』は『新体詩鈔』と一文字換えて明治17年に再版されていたが、後述するボリュームの点からも価格からも(『新体詩鈔』は35銭)、ブームを引っ張っていたのは甲府発の『新体詩歌』の方だったと考えられる。しかも、課題は多く、生硬だったものの、「新体詩」としてリフォームすることで限られた層にしか愛好されなかった伝統的な長歌を読者に吸収しやすくすることに大きな影響力があった。試みに第一集の収録作品リストを挙げると次のようだ。
○楠(くすのき)正成(まさしげ)桜井駅に於て正行へ遺訓の歌 ○直実敦盛を追ふの歌 ○月照の入水を悼みて読める歌 ○舞曲に擬して作る歌 ○自由の歌 ※顕理(ヘンリ)四世を読める ※ハムレツト ※玉の緒の歌 ※抜刀隊 ○花月の歌 ※ウルゼー ※大仏に詣でて感あり
著作権などない頃である、前掲リストの※印がそうであるように、『新体詩歌』収録作52編の詩歌のうち16編は『新体詩抄』からの再録である。これは『新体詩抄』全作品19編の大半に当たる。
『新体詩歌』は軍歌につながる兵士や戦闘行為を歌った詩、勉学・信仰等人生訓戒詩、自然賛美詩、近代思想啓蒙詩、翻訳詩等からパッチワークのように構成されている。一見「よせ鍋」風だが、本書の収録作品選定、編集の時点から読者に対する教育、啓蒙の意図のあったことを読み取る研究者もいる。
第一集「序」の中で小室屈山は「古今和歌集」仮名序、『詩経』、西洋諸国の詩を例に挙げ、喜怒哀楽の情を流暢韻律ある歌に表現することに変わりはないと言う。また、現代の「語」によって詩を作ることの意義を強調している。
前述したような『新体詩歌』の際だった「増殖」ぶりは、このアンソロジーが学校の教材(または副教材)としてのニーズを十全に果たし得た証拠だろう。前掲第一集の「発兌書林」の甲府徴古堂は無論のこと、吉川弘文館の創始者吉川半七はじめ、その多くが教科書出版、販売、取次をしている書肆だった。前掲の井上市松版(明治25年)では、表題に「学園の信友」と付されている。
国木田独歩の『独歩吟』序にはこんな記述がある。
「『新体詩抄』出づ。嘲笑は四方より起りき。而(しか)も此(この)覚束(おぼつか)なき小冊子は草間をくぐりて流るる水の如く、何時の間にか山村の校舎にまで普及し、『われは官軍わが敵は』(抜刀隊)てふ没趣味の軍歌すら到る処の小学校生徒をして足並み揃へて高唱せしめき」
ここでいう「小冊子」は和本仕立て菊判(15・5p×22・7p)の『新体詩抄』よりも小型本(9p×12p)の『新体詩歌』の方がふさわしかった。
同時期の新体詩歌関係の出版には次のようなものがある。
明治20年、坪井正五郎ほか著『偶評明治新体詩歌選』、津田市松(大阪) 同年、植木枝盛著『新体詩歌自由詞林』、市原真影(高知) (福岡哲司)
※主な参考文献 阿毛久芳,「新体詩、その創造と受容の場」,岩波書店,『新日本古典文学大系』明治編12「新体詩聖書賛美歌集」,2001年。 宮崎真素美,「『新体詩歌』の語るもの─文芸・政治・教育の交差する場所」,岩波書店、『文学』,2004年。 福岡哲司,「文芸、その『目的』化と泥み」,山梨文芸協会,『会報』第30号,2004年10月初出,山梨ふるさと文庫,『本の本』,2006年。
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