新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2009/02/27 17:12:40|甲斐の夜ばなし
御岳の女祈祷師
 御岳の金桜神社は金峰山に修行に入る修験者の根拠地の一つで、御岳川沿いの集落も「御岳千軒」と言われるほど賑わったそうでございます。
神社に属する社家が百七家、僧坊八か寺の他に宿屋、料亭、茶屋のほか、精進落としのための遊女たちもいたそうでございます。

 女性で修験の道に共鳴するものもたまにはおりますが、女人禁制のお山に入って本物の山伏、法印になるというわけには参りませんので、拝み屋様、祈祷師として麓の庵に暮らす者もおりました。

 集落はずれの無住の荒寺に住む三十代の女祈祷師がおりまして、お堂には蔵王権現をお祭りし、日夜念仏三昧で過ごしておりました。

 村人には失せもの、悩み事、病、傷などでこの女祈祷師を頼りにするものも少なくありません。
特に祈祷師が調合して蛤の貝殻に詰めた膏薬は切り傷、やけどなどによく効くので評判で、遠くの村から求めに来るものもいたそうでございます。
なんでも山野の薬草や獣の肝などを調合したものだと言われておりました。軽いやけどなどだと女祈祷師は、

「膏薬を使うほどでもなかろう。おなごが欲情して出す白水を塗っておけばすぐ治る」

と教えるものですから、山仕事の若者がやけどでもすると、ことさら村の娘のところへ夜這いをかけたと言います。

 ある時、村の若者が囲炉裏の自在鍵に袖口を引っかけて煮えたぎる大鍋をひっくり返し、男の大事なところに大やけどを負ってしまいました。
家の者があわてて若者を女祈祷師のところへ担ぎ込みました。
祈祷師が患部を開けて、おもむろに呪文を唱えた後に言うことには、

「この大やけどでは膏薬だけでは治りますまい。特別な秘術を施して進ぜるので奥の部屋に運んでくだされ」

ということでした。
言われるとおりにしたところ、祈祷師は、

「真言の秘術でもあり、荒療治でもある。家人も村の衆もはずして貰いたい。わらわも患者も声を挙げたりすることもあろうが、施術が済むまではゆめゆめ術を覗いてはなりませぬ」

とおごそかに言った。

 家人たちが部屋を出ると、祈祷師は法衣の裾をくるりと捲って若者にまたがり、若者のものを自分の中にするりと導き入れたのでございます。
ひりひりが和らいでくると、祈祷師はここぞとばかりに白水をこすりつけ始めました。
さすがに若者も、

「拝み屋様、そんなに動かしては痛てえ、けんど、心地いい、痛てえ、けんど、心地いい」

とわめき始めました。祈祷師も、

「まだじゃ、術は始まったばかりじゃ、まだじゃ」

と気合いを入れて秘術を施しました。

 若者は、それから何回か秘術を施され、やけども一皮むけてすっかり完治したそうでございます。

 そういえば、女祈祷師の軟膏はあそこの匂いがするという噂でございました。(甲府市)

写真:仙峨滝







2009/02/27 17:04:03|ことばグルメ
鈴木久夫「月光の湖水」
 月光の湖水

甲斐の盆地は花の湖水かと
かつて春月のうたひしところ

季節季節の花々は
かの山脈を越えて来る

まことわれらは湖底(うなぞこ)の
魚族であらうか

月光の粉雪まばゆく
降り積む夜は

われも銀鱗ひらめかす
一匹の魚であらうか

[注]詩中の「春月」とは詩人・生田春月のこと。
詩集『雪あかり』昭和23年10月10日・甲陽書房







2009/02/26 17:33:14|ことばグルメ
金子光晴「湖畔吟」
湖畔吟

  私が幸福なときにも、お前たちは私を死に追込まうとする。
                ピエル・ドゥ・セナンクール

僕は、目をとぢて、そつと
のがれてきた。
指先までまつ青に染みとほる
このみづうみの畔に。

湖畔の風物は
峻しい結晶体だ。
つめたい石質のなかに湧立つ
若やぎ。

かげる山山の
雪まだら。
照る山山の
薔薇の酒。

あわたゞしい時に追はれることなく
くゆるがごとく
日はうつろうた。
瑩の影のやうにたゆたうて。

山鳩の啼くから松林の
雪の径を僕はふみにきたのだ。
日も夜も戦争にいれあげて
心荒んだ人人から離れて。

目盲ひゆく孤独にも似て
日に日に氷張りつめる湖辺に
僕は佇みにきた。
夢で辿りついたやうに。

反心勃々たる僕の魂を
人目を怖れる僕の詩を
清浄な死、永遠の手許もと近く
くる春まで、氷に埋めるため。

僕はのがれてきた。
あの精神の貧困から
また、無法な
かり出しから。

批判を忘れた
ひよわな友と別れ、
ながい年月起伏した
なつかしい部屋をすて。

なにもかも骨灰となるだらう。
人間を忘れた人間の愚かさから。
僕の苦悩の呻きもそこからくる。
光は遠退のく。あたりのむなしい騒乱。

たかい梢からふり落す雪烟。
枯れた荻花のざわめき。
厚氷のしたで
死んだ水の吹く洞簫。

それから、綺羅きら星どもの賑やかな
夜。
鏤ちりばめられた空の
非情のはなやぎ。
(所出 昭和23年・北斗書院『蛾』)
(昭和38年・昭森社『金子光晴全集』3)







2009/02/26 17:26:58|ことばグルメ
尾崎喜八「春の葡萄山」
春の葡萄山(或る年の四月十七日、甲州勝沼にて)

葡萄山の葡萄の株は
まだその蔓(つる)を編むにいたらない。
脚榻(きゃたつ)へ乗った女たちの鄙(ひな)びた手で
張りひろげられた太枝の均斉から、
柔らかいあかがね色の蔓が伸び
葉の萌発が歌のようにはじまるまでには、
雨と太陽と週間日と日曜との
なお長い一月が待たれるだろう。

土地をこぞって満開の
桃の花の桃色の雲に圧倒されながら、
雪と豪毅の山岳に見まもられて
葡萄山の葡萄の株の
みやびやかな「時」の中でのこの隠忍。
(初出 昭和41年・創文社『田舎のモーツァルト』)
(昭和50年・創文社『尾崎喜八詩文集』10)







2009/02/26 16:39:24|甲斐の夜ばなし
建長寺様
 その昔、鎌倉の建長寺の高僧が鎌倉往還を通って甲斐に入られるという触れがございました。
併せて犬がお嫌いだから必ずつないでおくようにとありました。

 やがて威儀を正して僧が乗り込んで参ります。
土地土地の旧家にやっかいになり、旅立つ時は礼に禅語の一つも墨書して出立したそうでございます。

 けれども、どこへ逗留しましても、滞在中の高僧の振る舞いは奇妙であったそうでございます。

 食事の膳を用意しますと、もてなす主人の方にくるりと背を向け、屏風を巡らせてそそくさとしたためるのでございます。
一汁一菜、無言の行という禅家の高僧ですから、主人も座敷から早々に退散して廊下に控えていたそうでございます。

 そっと覗いた下女の言うには、飯も汁も膳の上にぶちまけると、長い舌を出してなめるようにして食っていたそうです。
膳を下げに入ってみると、そこら中飯粒だらけだったと言います。

 風呂を立てますと、浴槽の周りに幕を張ってほしいという依頼です。
薪をくべて湯の加減をしている者の噂では、高僧が湯船に入られるときには、必ず、ちゃぽん、どぼん、ちゃぽんと三回湯面を叩く音がしたそうでございます。

 上がった後は壁から天井まで湯がはねておりました。

 子どもの飯の食い方や風呂の入り方が悪いと、

「まるで建長寺様のようじゃあねえか」

と叱ったものです。

 やがて、高僧は甲斐府中まで至り、帰りは鰍沢から船で駿河へ下って行かれたということです。

 ところが、この高僧、東海道は蒲原の宿で大名行列とすれ違った際、行列から形相を変えて飛び出してきた大きな犬に飛びかかられてかみ殺されてしまったということです。
初七日を迎える晩、高僧の亡骸は千年を経ているのではないかと思われる古むじなに変化していたということでございます。
  
 風の便りにこの噂を聞いた鎌倉往還筋の人々は、高僧の奇妙な振る舞いの訳がわかったのでございます。
湯に入るときの音は、両の脚とその間の巨大な持ち物の発する音であろうということになりました。

 このむじなが尻尾を振るって書き残した墨書は、今も街道の旧家に何点か伝わっているそうでございます。
達筆ですが、何と読むのか誰にも分からぬそうです。
都留の道志の村では、小倉百人一首を美濃紙五十二枚に右文字と左文字で書き分けたという珍品だそうです。

 絵を描き残した話もありまして、市川大門の黒沢では恵比寿大黒、韮崎の今清哲と言っているところの寺では庭の老松、山梨市の一丁田中では稲穂に鷹の絵が残っているそうです。

 このお話ばかりでなく、昔は、あちらこちらにむじなの化身が出没したようでございます。