 車を走らせながら、いつも「純喫茶」を探し求めている。
「純喫茶」とはいささか昭和チックだが、人と会えたり、本が読めたり、ちょっと書き物ができたりする、あの「純喫茶」のことである。 まずい物の食べ放題というのは、医者も厳に禁ずるところだから、サイフォンで淹れようが、ドリップであろうが構わないが、「純喫茶」のコーヒーは美味いに越したことはない。 しかもほどよい価格であること。 まあ500円を超過すれば、考えてしまう。 食べものもナポリタンとかトーストとかあってもいい。 煙草を止めたら甘いものが欲しくて、たまに「ケーキセット」などという声を出していて、 「自分も随分厚顔破廉恥になったものだ」 と思ったりするから、甘味があってもいい。 でかい声で話をしている排他特権主義的雰囲気の常連(ことに中高年の女性のグループ)に常時支配されていないこと。 出先でひょいと入りたいのだから、駐車場もある方がいい。
そう意識して車を走らせても、「純喫茶」は今や中々見つかるものではない。 ○○バックスとか△△バーガー、××チキンとかはどこにでもある。 けれども、そこらは賑やかすぎるというか、私には騒々しすぎる。 今時のBGMも、店員の型にはまった甲高い「初めての敬語」的な口調も耳障りだ。 第一、コーヒーが煮え切っていたり、豆をけちっているのか大方美味くない。 全国一律だろうお仕着せのポテトやスィーツもあんまり欲しくない。 ほしくないのに、コーヒーだけじゃ悪かろうなんて、つまらぬ気兼ねをしてしまう。 やむを得ず入って、前記のような用途に使うこともあるけれど、落ち着かなくて、たいてい予定したよりはるかに早々退散することになる。
山梨県内で発見し、「純喫茶」認定できると思われたのは、今のところわずかな数だ。 都留市1軒、富士吉田市1軒、甲斐市1軒、甲府市5軒。 この影に、いかに多くの失格・失望させた「純喫茶」の多いことか。
これからさらに調査研究を進め、おいおいこのブログで報告もする予定ではいる。 けれども、ここに挙げた「純喫茶」のたいていが存亡の危機に直面している。 先ず、経営者が殆ど高齢である。 かつての栄光を偲ばせて店内の造りや家具調度も凝ったところが多いが、維持管理に手が回らない。 立派な壁紙や椅子など、すり切れていたり、スプリングが効かず尻が沈んでしまったりする。 客が持ってくるのか、妙な置物や使われなくなった水槽やインベーダーゲームのテーブル、枯れかかったシャボテン、古週刊誌やパンフレット類が至る所に鎮座していても、片づけようとする意欲はない。 かつてのムードを維持して、照明がぼんやり暗く、歳食った当方が前記の仕事をするには、いささかきつかったりする。 客も滅多に入らないから、冷暖房も節約しており、夏暑く、冬寒い。 ガラスの向こうに焙煎機はあっても、今は麻袋が被さったままだ。 トイレがタイル貼りの和式だったりする。 そうして、存亡とは関係ないが、名前が身震いするほどロマンチックか、ラブホテルかというほどエロティック(?)だったりする。
でも、でも、百万遍もでも、「純喫茶」は各方面にあって欲しい。 なにも「ウイーン喫茶店文化」を引き合いに出すつもりはないけれど、今増えつつある、当分増えつつある「団塊世代」を中心に、「純喫茶」世代は多いのだ。 この世代に在る者としての我が儘だということは重々承知している。 友を求める人も、むっつり黙っていたい人も、あわよくば毎日でも時間を過ごす「純喫茶」を求めているのだ。 需要はある。 だから、なんとか存続してほしい。
「純喫茶」よ、永久に!!
写真:甲府おらんだ館のメニュー 以前から変わらず、水出しコーヒーを含めてたいていの品が300円。 水だって、決まって汲んでくるところがある。 タマにキズは休みの多いことか。 |