新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/12/14 11:28:02|「純喫茶」
「純喫茶」やーい!
 車を走らせながら、いつも「純喫茶」を探し求めている。

 「純喫茶」とはいささか昭和チックだが、人と会えたり、本が読めたり、ちょっと書き物ができたりする、あの「純喫茶」のことである。
まずい物の食べ放題というのは、医者も厳に禁ずるところだから、サイフォンで淹れようが、ドリップであろうが構わないが、「純喫茶」のコーヒーは美味いに越したことはない。
しかもほどよい価格であること。
まあ500円を超過すれば、考えてしまう。
食べものもナポリタンとかトーストとかあってもいい。
煙草を止めたら甘いものが欲しくて、たまに「ケーキセット」などという声を出していて、
「自分も随分厚顔破廉恥になったものだ」
と思ったりするから、甘味があってもいい。
でかい声で話をしている排他特権主義的雰囲気の常連(ことに中高年の女性のグループ)に常時支配されていないこと。
出先でひょいと入りたいのだから、駐車場もある方がいい。

 そう意識して車を走らせても、「純喫茶」は今や中々見つかるものではない。
○○バックスとか△△バーガー、××チキンとかはどこにでもある。
けれども、そこらは賑やかすぎるというか、私には騒々しすぎる。
今時のBGMも、店員の型にはまった甲高い「初めての敬語」的な口調も耳障りだ。
第一、コーヒーが煮え切っていたり、豆をけちっているのか大方美味くない。
全国一律だろうお仕着せのポテトやスィーツもあんまり欲しくない。
ほしくないのに、コーヒーだけじゃ悪かろうなんて、つまらぬ気兼ねをしてしまう。
やむを得ず入って、前記のような用途に使うこともあるけれど、落ち着かなくて、たいてい予定したよりはるかに早々退散することになる。

 山梨県内で発見し、「純喫茶」認定できると思われたのは、今のところわずかな数だ。
都留市1軒、富士吉田市1軒、甲斐市1軒、甲府市5軒。
この影に、いかに多くの失格・失望させた「純喫茶」の多いことか。

 これからさらに調査研究を進め、おいおいこのブログで報告もする予定ではいる。
けれども、ここに挙げた「純喫茶」のたいていが存亡の危機に直面している。
先ず、経営者が殆ど高齢である。
かつての栄光を偲ばせて店内の造りや家具調度も凝ったところが多いが、維持管理に手が回らない。
立派な壁紙や椅子など、すり切れていたり、スプリングが効かず尻が沈んでしまったりする。
客が持ってくるのか、妙な置物や使われなくなった水槽やインベーダーゲームのテーブル、枯れかかったシャボテン、古週刊誌やパンフレット類が至る所に鎮座していても、片づけようとする意欲はない。
かつてのムードを維持して、照明がぼんやり暗く、歳食った当方が前記の仕事をするには、いささかきつかったりする。
客も滅多に入らないから、冷暖房も節約しており、夏暑く、冬寒い。
ガラスの向こうに焙煎機はあっても、今は麻袋が被さったままだ。
トイレがタイル貼りの和式だったりする。
そうして、存亡とは関係ないが、名前が身震いするほどロマンチックか、ラブホテルかというほどエロティック(?)だったりする。

 でも、でも、百万遍もでも、「純喫茶」は各方面にあって欲しい。
なにも「ウイーン喫茶店文化」を引き合いに出すつもりはないけれど、今増えつつある、当分増えつつある「団塊世代」を中心に、「純喫茶」世代は多いのだ。
この世代に在る者としての我が儘だということは重々承知している。
友を求める人も、むっつり黙っていたい人も、あわよくば毎日でも時間を過ごす「純喫茶」を求めているのだ。
需要はある。
だから、なんとか存続してほしい。

「純喫茶」よ、永久に!!

写真:甲府おらんだ館のメニュー
以前から変わらず、水出しコーヒーを含めてたいていの品が300円。
水だって、決まって汲んでくるところがある。
タマにキズは休みの多いことか。
 







2008/12/07 17:42:47|甲斐の夜ばなし
怪力の鬼利ヱ門
 河口湖のあたりは、大雨が降ると増水して周辺の者は難儀をいたしました。
一方、吉田の新倉(あらくら)では水が不足して米も作れない有様でございました。
そこで郡内の領主秋元但馬守が嘯山に掘り抜きを作って、河口湖の水を新倉に流そうと工事をしました。

船津コヤノイエに人夫の利ヱ門という男がいて怪力で知られておりました。

 利ヱ門がもうひとつ有名だったのは、いつも素っ裸で立派なモノを平気でブラブラさせていたことでございました。

 ある時、駿河の嶽ノ舌で、甲斐・駿河・相模の力自慢が集まって草相撲が行われました。
甲斐の代表の一人は利ヱ門です。

 いよいよ土俵入りとなりましたが、利ヱ門はまわしやさがりはもとより、ふんどし一つつけるわけでもなく、素っ裸で土俵に立ったのでございます。
勧進元が、

「このぶざまななりじゃ相撲にならねえ、引っ込め引っ込め」

と罵りました。

 利ヱ門は四本柱に巻き付けてあった青竹をわしづかみにすると、指先でべしべしつぶして平らにし、きりきりまわしにして腰に巻いてしまった。
勧進はもとより力士たちも舌を巻いて、いつもどおりで構わないということになったそうです。

 ある時、富士講中の一行が、登拝をすませてお山を下ってまいりました。
素っ裸で山畑で粟の手入れをしている利ヱ門に気づいて、ふざけ半分、先達が金剛杖を立派な股間に「南無浅間大菩薩」と投げつけました。
利ヱ門はとっさに股で金剛杖を挟み込んでしまいました。
講中の者二、三人で力一杯引き抜こうとしたが、いっかな杖は抜けません。
利ヱ門は涼しい顔です。

 薄気味悪くなった一行は、平謝りに謝っていたずらを詫びたと申します。

 あまり怪力なので、誰言うともなく「鬼の利ヱ門」「鬼利ヱ門」と呼ぶようになったということです。
そのころの唄に、こんなのがございました。
 
 鬼利ヱ門旅すれば
 長の道中ブラブラと(富士河口湖町)







2008/12/07 17:37:45|本・読書・図書館
学校図書館と公共図書館との連携
 本日はお忙しい中、県内各地から、山梨県立図書館主催の図書館職員サービス講座に御参加いただき、御苦労さまです。

 この講座は年四回開催しております。

 今回は基礎研修ということで、県内の公共図書館・公民館図書室・学校図書館等の新任職員の方々を対象として開催いたします。

生涯学習としての学校教育

 これまで、学校教育と社会教育、あるいは、学校での学びと生涯学習は仕切りがあるように考えられ、行政(役所)においても、異なったセクションとされてきました。

 けれども、近年、小中高の学校教育は一人の人間の生涯の中に位置づけて考えるべきだ、生涯学習の一場面が学校であると、盛んに言われるようになってきました。
80年の生涯の中の六・三・三年間を過ごすのが学校だというわけです。

 学校での教育も、学校だけで完結させるものではなく、ましてや上級学校に送り込めば事足りるものではないと考えられているのであります。
それでは塾と何ら変わらないことになります。
学校での学習は、一人の人間の生涯に役立つものでなければならないのであります。

 「生きる力」を育てるとか、自ら課題を発見し、解決する力を養うとか、総合的な学習の時間の設定などは、こういうねらいでなされているものです。

 そのために、学校では、従来の、教室で、教科書と黒板を使って行う座学から、調べさせ、まとめさせ、発表させ、児童生徒みずからを動かすという学習の形態を取り入れることが大きくなっております。
そのテーマは、地域であり、身の回りの生活であり、各自の職業観や進路であります。

 つまり児童生徒は、教室での学習を元に、図書室へ行って調べる、地域に出て行って資料を求める、様々な人々に会ってお話を聞くという学習をいたします。
この中で、学校の図書室から地域の図書室、図書館の役割はきわめて大きいわけであります。

 教員と学校図書館職員、公共図書館・室職員との連携も重要です。
  
 このような自ら課題を発見し、課題解決をはかる学習習慣は、なにも学校教育の期間にのみとどまるものではなく、成人しても、社会人になっても、親になっても、職業生活の一線を退いても役立つのであります。

図書館におけるサービスとは

 図書館におけるサービスということを考える時、我々は、今、申し上げたことを基盤に考えねばならないのであります。

 サービスといえば、感じよく、にこにこと、スピード感をもった業務遂行、これはもちろん基本です。
けれども、これだけではないはずです。
児童生徒から社会人、高齢者に至るまで、図書室・図書館に何が求められているか、可能なことは何か、可能なことは出来る限りお手伝いして上げよう。
手伝ってくれる仲間や施設はどこか。利用者自身の課題意識も多種多様で、しかも、かなりぼんやりしていることもあります。
大変ですけれども、これはやっていかねばならない。

 皆さんは、四月から業務上どんな工夫をしてきたでしょう?
 明日からどういう工夫をするでしょう。
利用者とどんなやりとりがあったでしょう。
教員とどれだけ図書室の利用について話し合ったでしょう?

 学校や公共の図書館・室はあって当然、大切なのは当然という前提は、今、長引く財政悪化の中で揺らいでいます。
図書館・室は何もしない、守りの姿勢だけでは現状維持もおぼつかなくなっています。

 皆さん自身が、皆さんの図書館・室で児童生徒や地域住民のために何をやっていくか、攻めの姿勢が何よりも重要です。
児童生徒や地域住民が味方になり、強力に後押ししてくれる図書館・室を作らなければなりません。
我々はそれを喜びとしたいと思います。

 皆さんの業務の推進を日常的にお手伝いすることは、県立図書館の大きな仕事です。

 本日は邊見司書監が、「学校図書館と公立図書館との連携−よりよい図書館サービスをめざして−」と題して講義をします。
図書館・室でよりよいサービスを提供するための基礎知識、基本事項です。

本日の講座が、明日からの皆さんの業務に役立つことを願っています。(二〇〇五・六・三〇 山梨県総合教育センター)
写真:山梨出身の前田晃の翻訳書群







2008/12/07 17:31:14|本・読書・図書館
公共図書館のスクラム
この四月、県立図書館に着任致しました福岡でございます。
皆様には、どうぞよろしくお願い致します。

 平成十七年度の総会に当たり、御挨拶を申し上げます。

 本日、県教育委員会社会教育課の小幡総括補佐には、公務御多用の中、御臨席を賜り、まことにありがとう存じます。
また、雨宮館長さん以下、会場を御提供いただいた笛吹市立御坂図書館の皆様には、何かと御配慮をいただき、感謝申し上げます。

 会員各位には、日頃、山梨県公共図書館協会の運営・事業に積極的に御参加いただき、ありがとうございます。
皆様の御奮闘で、県内の図書館サービスが成り立ち、年々充実していることに、心からの敬意を表するものであります。

十六年度において、南アルプス市、北杜市、また、笛吹市の図書館が地域ネットワークシステムを構築しました。
忍野村立おしの図書館では、村内の小中学校と総合目録データベースがオンラインで利用できるようになり、玉穂町生涯学習館は山梨大学医学部付属病院小児科病棟に「ミニ子ども図書館」を開設し、富士吉田市立図書館は市内小中学校の「総合的な学習の時間」に使える図書を出前する団体貸出サービスを始めたほか、須玉では「子どもの読書プラン」を、県内で初めて策定したところです。
本年四月には、幅広く、活発な子どもの読書活動を推進している「すたま森の図書館」、「ききみみずきんおはなしの会」が、優秀実践図書館・団体として文部科学大臣表彰を受けました。

 さて、図書館に対する利用者の要求が多様化、高度化する中、公共図書館は、地域の人々に対し、ますます質の高い、しかも公平なサービスを提供することが求められております。
けれども、皆さんがお気づきのように、この両立は言うほど容易ではありません。
私どもは、これまで以上に運営改善の工夫を図るとともに、意識改革を図ることがますます大切になってきていると思います。

 利用者の要求の多様化、高度化、また、それに伴うコストという面をとりましても、公共図書館は単独で「なんでも出来る」という訳にはいきません。
一方、出来る限り、利用者の役に立ちたいと考えるとき、連携、ネットワークの機能をこれまで以上に高めていくことはますます必要であろうと思います。

ここでは、次のような認識が必要になってくるだろうと考えます。
一つは、個々の施設が、地域の人々が情報を入手するポータル(窓口)の一つであることの意識であります。
言うまでもなく、地域の内外の図書館間、読書活動推進あるいは子育て支援グループ、幼保小中高大特殊の教育機関、教育委員会の各セクションとの連携は重要であります。
 
 けれども、利用者の利便性や要求を考えた時、これらにとどまらず、将来的には、行政の各担当、さらには民間や第三セクターの研究機関まで意識して、「あそこに行けば調べられるはずです」という案内ができるかどうかも意識しなければならないということであります。

 自治体財政が厳しさを増す中、資料費・人員・運営の形態等、図書館を取り巻く環境は厳しさを加えております。
このような中でも、昨年は敷島町立図書館のリニューアルオープン、大月市立の新図書館の開館、指定管理者制度を適用し、運営をNPO法人が受託する山中湖情報創造館の開館に続き、今年に入り、ここ笛吹市立御坂図書館が生涯学習センター「学びの杜みさか」内にオープンしたほか、現在、富士河口湖町立、富士吉田市立の新館計画が進行しているところです。
県でも、図書館を中核とする「新しい学習拠点」の基本計画の細部検討をしているところです。

 今、私どもに必要と思われる認識の二つ目であります。
私どもは、「図書館を利用しない人(ここには行政も民間も含まれます)には、その有用性が分からない」と言いがちであります。
けれども、「図書館を、幅広く利用してもらい、有用性を分かってもらう努力(働きかけ)」も怠ってはいけないだろうと点です。
役に立つ図書館というのは、利用者ばかりでなく、行政内部においても、重要な要素となっていることを、私どもは、日常痛感しております。
この意味でも、図書館が、先ほど申し上げた幅広いフィールドへの窓口としての存在意義を主張できるかというところまで、今や、来ているといってもいいでしょう。

 「来るべき人は来る」図書館から、地域、また、行政の中で、ますます図書館が、なくてはならない施設に育ち、充実したサービスの提供ができるよう、先ずは公共図書館協会でしっかりスクラムを組んで行くことをお願いし、挨拶とさせていただきます。(二〇〇五・五・三十一 於・笛吹市立御坂図書館)
写真:山梨出身の児童文学作家、翻訳家・徳永寿美子著書







2008/12/07 17:22:24|本・読書・図書館
公共図書館の同志へ
 空はあくまで澄み渡り、本のページを繰る手先の冷たい季節になって参りました。

 二年前、私は、読み、調べ、書き物をする利用者の立場、また、児童生徒に読書活動を推進してきた教師の立場から県立図書館長になりました。
つまり、図書館の資料や機能を大いに利用させてもらう立場から、運営、改善をするという立場に立つことになったわけです。

 それ故のこじつけではありませんが、図書館は利用あるいは利用者が全てだと考えています。
現在、館長という立場に立って考えてもそれは間違ってはいないと思えます。
「マネージメント」ということばをとると、管理、運営、経費などに重点が置かれるような感じがします。
けれども、図書館の「マネージメント」というのは、利用者の十全な利用、その拡大という観点を除外しては意味がないと思っています。
一体、企業であれ、組織であれ、「マネージメント」ということばが社会的な意義よりも金や人のやりくりに偏向して勘違いされてきたところに、多くの問題が発生してきたのではないかと思えるほどです。

 先日、山梨で全国公共図書館協議会の市町村図書館運営研究大会を開催し、いくつかの実践報告や運営の現状を聞かせていただきました。
そこで多くの懸念が聞かれたのは図書館の指定管理者制度による設置や運営形態の問題です。
これを伺いながら感じましたのは、問題はどうも設置や運営形態だけではないということです。
都道府県あるいは市町村などの自治体の直営であっても、目下、公共図書館では正規職員あるいは司書の有資格者から非常勤・非正規雇用職員あるいは司書の無資格者への置き換えがどんどん進んでいることです。
また、市町村合併などのあおりを受けて引き続き資料費の抑制も改善されてはいません。
民間委託や指定管理者に運営を委ねる以前に、こういうかたちで行政からの責任放棄とでも言える状況は深刻化しているということです。

 図書館には本があって、手渡す人がいることが基本です。
そこには余暇を善用し、心の潤いや豊かさを求める人から、暮らしや実業に役立てようとする人までが訪れます。
老若男女の広範な人々です。
図書館を拠点とするおはなし会や読み聞かせや調べ学習の充実も求められています。
世の中は自己判断、自己責任を強いられる時代です。
とすれば、個々人が自己判断できるだけの情報獲得の公平性が確保されねばなりません。
そのために図書館職員の日常的な努力は傾注されていますし、情報システムの充実があり、図書館(室)間のネットワークの拡充が図られています。

 このあたりがどうにも行政の中では理解が十分ではないという感じがします。

 図書館の危機はメソポタミア以来常にありました。
権力者の思想や自然災害、戦乱などによって廃絶したり、存続が難しかった時期は繰り返しありました。
にもかかわらず、図書館は古今東西、常に蘇り、維持されてきたのです。
これも全て、図書館を必要とする人々は常にあり、その利用者の声が図書館を動かして来たのです。

 それ故に、利用のことを考えれば図書館は一館単独ではなり立ちません。
これからも、県立図書館は県の責任において公共図書館間の連携は維持し続けて行くことは言うまでもありません。
各公共図書館の皆さんには、図書館活動の同志として県立図書館に御意見、要望をお願いしたいと考えます。(二〇〇六・一一・一六 山梨県公共図書館運営協議会)