新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/12/03 17:13:23|本・読書・図書館
樋口一葉三代の読書習慣に思うこと
 塩山温泉を抜けて袖切坂を上り、「塩山高校入口」の信号を過ぎると、青梅街道(国道四一一)は大菩薩嶺に向かって扇状地をひたすら上ってゆく。
新千野橋を右に、なおも上り坂が続く。
小田原橋を過ぎて間もなく、左手に「樋口一葉女史旧宅跡」の標識が現れる。
ここが作家樋口一葉の父・大吉の生家跡だ。
桃畑の中には三基の屋敷墓が並び、一葉の祖父の八左衛門までがここに眠る。

 イトザクラの名桜で知られる慈雲寺はここから南西の方角で、路が一本異なる。
シーズンともなればおびただしい数の一葉ファン(?)が押しかける。
母の実家は「旧宅跡」から慈雲寺への抜け路にある。
一方、「旧宅跡」を訪れるのは研究的な気持ち(?)を持った僅かな人々だ。

 慈雲寺の背後には源次郎岳。
漢詩、狂歌、俳諧、川柳にも熱心だった八左衛門は読書人で、自らの文庫を源嶺書屋と名付けていた。
長百姓や百姓代といった村方三役ではなかったが自作の中農で地域の農民の信頼が厚く、いわゆる「行政書士」のような役割を頼まれることが多かった。
嘉永五年、彼は江戸に出る。
重川の水争いに関して村役人と一丁田中の田安代官所とが結託して厄介な訴訟を寺社奉行に提訴しようとするのをくい止めるためだ。
彼は江戸城辰口で嘆願書を老中阿部正弘の駕籠の前に差し出す。
地域の農民の願いを一身に受けてのことだった。

 父大吉も農業より学問に心が傾き、やはり、読書家だった。
妻となるあやめをつれて江戸への駆け落ち決行の際にも蔵書を売って費用の一部に充てている。
未練たっぷりだった。
彼らが武家の両入り養子となったのは幕府が瓦解する前年のことだった。
が、その利発さ、読書によって育てた能筆、事務処理能力で、彼は東京府庁・警視庁等、維新後の新体制にも順応できた数少ない士族の一人だった。

 現在、県立文学館に収蔵されているが、大吉(改め則義)は娘の一葉にふんだんに図書・文房具を買い与えた。
一葉の知的な基礎は学校教育よりは私塾や家庭の教育的環境によって形作られたものが多かった。
なかでも読書によって培われた物は大きかった。

 大それたことに、彼女が作家となって家計を支える収入を得ようともくろんだ時、彼女は上野の東京図書館に頻繁に通う。
一方、文明開化の時代に顕在化してくる極端な「格差」を見逃さなかった。

 明治二十年代、きら星の如く女性作家が登場した。
殆どが高学歴だったり、名家の令嬢、夫人である。が、その大方は今や忘れ去られている。
ひとり一葉ばかりいまだに人気がある。
これはただ彼女につきまとう夭折の悲劇的なイメージからばかりではない。
読書と社会観察から得た洞察力、そこから構築した多くもない作品の力である。

 学校教育には年限がある。
真の賢さを育てるのは学校教育より重く社会体験、家庭教育、自発的な生涯学習によると痛感する。
その大きな方途として読書があり、教育の中で生涯、書物や図書館を使える人間を育てることが大事だろう。
体育も食育も必要だが「読育」も不可欠なのである。
あまり実利的に言いたくはないが、これが知育、徳育にもつながることは疑えない。

 本校では学校設定科目に朝読書を含めている。
単位認定もするのだから簡単に「連絡事項」で潰す訳にはいかない。
癒しや人間力育成はもちろん、生涯にわたるきちんとした情報獲得はネットや新聞雑誌だけでは駄目で、書物によるべしという気持ちを生徒の中に少しでも育てられればと思っている。(塩山高校校長 師友)
写真:樋口家旧宅跡(山梨県甲州市塩山)







2008/11/29 10:28:50|甲斐の夜ばなし
河童寺
 ブドウの本場勝沼に蛇池といわれる小さな沼がございました。
村人はこの沼には年の功を経た河童が住み着いていると言い伝え、近づく者もありません。

 近くの遠藤某の娘で、近郷でも美しさで謳われておりました娘だけは、恐れ気もなくブドウの手入れの後の汗をここで洗い流すのを好んでおりました。
広くもない沼ですが、娘は心地よげにひとしきり水浴びをしては家路に就くという日課でした。

 若い衆との浮いた噂ひとつない娘でしたが、どうしたことか体がふっくらし始めたかと思う内に次第にお腹が大きくなり、十月十日経って男の子を生み落としました。
産湯の代わりにこの沼につからせました。
父親は誰とも知れません。

 生まれた男の子は口が尖り背中に三枚の鱗がありました。
母親は沼のほとりに小さな小屋を造って貰い子どもと二人だけで暮らしておりました。
名を遠藤太郎道賀と申しました。

 母親は早く死んでしまいましたが、男の子はすくすくと育ち、寺に預けられて小坊主になりました。

 男の子は長じて僧となり、自分が生まれ育った沼のほとりにやってきてしばらく水面を見つめておりましたが、ふと悟るところがありました。
やがて岸辺に草庵を建てて住職として暮らしたということです。

 村人は草庵をいつしか河童寺と呼ぶようになったそうです。(山梨県甲州市)
写真:甲州市塩山のザゼンソウ







2008/11/29 10:20:20|本・読書・図書館
講演会「子どもがよい物語をもつこと」
 兵庫の太子町立図書館の前の館長だった小寺啓章氏の講演会に行った。
これは文部科学省に委託された「子ども読書地域フロンティア事業」の一環で、NPO山梨こども図書館が企画したもの。

 子ども読書に関心のある、どちらかと言えば年齢の高い女性達が多かった。
読み聞かせボランティアの人もかなりいただろう。
彼らに果たして小寺氏の講演の真意は伝わっただろうか。

 氏の話の要旨は、本好きで子ども好きな人が読み聞かせをやらねばならないと言うに尽きる。
そこから選書、子どもへの理解、敬意、観察が生まれてくるし、子どもは本好きになる、と。

 それに、「読み聞かされて分かる」本のレベルと、子ども自身が「読んで分かる」本のレベルにはギャップがある。
大人はここを理解せずに読書活動を推進しようとする。
かえって読書嫌いを造ってしまう危険性もある、と。
これもまことに共感できる。

 子ども読書に関わる人々のどれほどが、自ら読書を楽しむ習慣を持っているだろうか、と時々疑わしくなることがある。
また、彼らに子どもが見えているのだろうか、とも。
これはボランティアに限らず、教師はいうまでもなく、司書や司書教諭にも時折感じることだ。

 子どもの読書活動推進は、子どもの目線にたって、きめ細かくやらねばならないだろう。
大人の都合や感性の押しつけは百害あって一利もない。
我が子の子育ても一段落したから、学校で、公共図書館で読み聞かせボランティアでも、というおばさま方も困る。
次第に「善意の押しつけ」しかも、不慣れな……が横行するような風潮を、私は危惧している。
図書館においても、民間活力を活かす、さらには民間委託、民営……の流れは、次第に図書館活動の本筋からはずれやしないだろうか、と心配である。
一方に、しっかりと訓練された専門職あって、やはり訓練された民間活力の活用が大事だと思う。

 読み聞かせの機会も、図書館も、小さければ小さいほど充実した活動ができるのだ、と、氏の体験談を聞きながら痛感した。







2008/11/29 10:17:19|スペイン
映画『ハモン・ハモン』のこと
 バスはセビージャの南東に向けて猛烈な速度で疾走している。
エル・アラハルまでは高速道路(自動車専用道路?)だ。
丘の上に巨大な黒いトロ(雄牛)の姿の看板。
商業広告を国道からすべて撤去した後も、いかにもスペインらしいこのトロの看板だけは観光用に残している。
ただしメーカー名も何もいっさい入れない約束だという。

 『ハモン・ハモン』というスペイン映画で、若いカップルがデートをしていたのが、丘の上のこの看板の下だった。
ふられた彼氏(確かアントニオ・バンデラスだった)がヤケになってトロのキンタマを遮二無二折り取ってしまうところなどはおかしかった。

 いつか知人のスペイン人の高校生とこの映画の話をしていたら、
「先生、その映画はまずいでしょう」
という。
B級には違いないが、別に成人映画ではないはずだ。
若い彼には作中のセクシーなところばかりが気になったのかもしれない。

 『ハモン・ハモン』とはハモン・セラーノ(山のハム)という生ハムのことだが、セクシーな女の子という俗語でもあるそうで、映画はそんな意味を掛けたネーミングなのだろう。
もっとも、この俗語をさっきの高校生は知らなかったから、一般的なわけでもなさそうだ。

 ハモン・セラーノはもともと豚の巨大な腿のまんま塩と冷涼な山気と歳月とで熟成させたものである。
そのまま食べもするし、スープの出汁にしたりもする。
鰹節の豚肉版と思えばいい。
けれども、鰹節のように可愛いものではなく、巨大な固まりで梁から何本もぶら下げて売っている。
新潟の村上の風干しの鮭と言ってもいい。
スペイン人の夢は、これを丸ごと一本買って惜しげもなく削り取っては親類縁者にふるまうことだという。
質のいい物はそれほど高価である。

 そのせいばかりでもないが、スペインには痛風患者が多いという。
その医療技術も進んでいるそうで、痛風キャリアである私には心強い国である。

 同じ映画の中で、恋敵の男同士が何と骨つきのかたまりであるハモン・セラーノをこん棒のように振り回し合って殴り合うシーンもあった。
主役のアントニオ・バンデラスがデニムのポケットから生のニンニクを取り出してはポリポリ齧って
「これがスタミナのもとさ」
とうそぶいていたところなど、私にとってはかなりスペイン人というものがわかったような気がしておかしかった。

 私はハモン・セラーノを振り回すわけにはいかないから、生ニンニクをかじる真似をしばらくしていたが、周囲にあまりにも不評ですぐに止めてしまった。







2008/11/26 13:30:27|高校文芸集選評
不自由な言葉だからこそ(H18)
「話せばわかる」
「問答無用」
 後は銃声がこだまするばかり。
一九三二年五月一五日、軍人たちが首相官邸に突入して犬養首相を暗殺したいわゆる五・一五事件である。
冒頭のやりとりの前者は犬養首相、後者は決起した軍人たちで、この事件の悲劇性を象徴している。
前者は言葉による分かり合いや問題解決を無限に信じている。
後者はそれを一切信じない。
その後の歴史の車輪は言葉を信じない、すなわち歴史を信じない者達が回していったのは知ってのとおりだ。

 言葉による分かり合いを無限に信じるのも、残念ながら、誤りだし、信じないのはもっと悲劇的である。
分かり合いたい、分かり合うにはどうしたらいいかと不完全な言葉にいつも悩みながら、我々は言葉に頼るほかないのである。

 このところ家族や友人・恋人同士、学校といった人間の小さな単位から、組織、地域、国、国と国といった大きな単位に至るまで、人と人とはどうやって分かり合うのだろうと考えさせられる情況が多い。
手紙、電話からラジオ、テレビ、メール、インターネットと伝達手段はより遠く、より広く、より速く発達するのと反比例して、ますます分かり合えなくなり、分かり合える範囲はどんどん狭くなって行くようだ。
「話せばわかる」と「問答無用」の両極端の考えや行動が横行するのは恐ろしい。

 思うに、この発達の仕方に大きな問題があったのではないか。
いや、このような伝達手段に頼りすぎてしまったことが間違いだったのである。
より遠く、より広く、より速く伝達することを目指せば目指すほど、一人一人の人間の姿は見えなくなる。
一人一人が抱えている思いや暮らしなどへの想像力は働かなくなる。
伝達方法はますます間接的であり、筆跡や肉声や表情はどこかへ行ってしまうのだから。

 我々はメールやネットあるいはマスコミニュケーションの限界を知っておかねばならない。
そして、いっそう直(じか)に、慎重に、話し、聞かなければならない。
それも家族、友人、知人、世代、性別、人種を越えて。
少なくとも自分からそういう機会を狭めてはいけないだろう。

 伝達方法が間接的になり、相手の「顔」見えなくなればなるほど、伝えたいことをいかに簡潔に、なるべく忠実に「書く」か、また、必要な情報をいかに的確に「読む」かについていっそう苦心しなければならないだろう。
言い換えれば、誤解を生みやすい感情的な言辞や借り物の決まり文句を「書く」ことはしない、主観的に自分に都合良く「読む」ことをしないという点である。
「顔」が見えない場で「書く」行為はサディスティックな言辞を連ねやすく、ロマンチックな表現を使いたがる。
そこでの「読む」行為は書かれた言辞にむやみに激昂しやすくなったり、過度に感情移入し過ぎることがある。
昨年の佐世保の小学生の不幸な事件は、こういう背景の中で起こってしまったものだ。

 インターネット、メールの時代だから、「書く」「読む」ことの修練は不要だ、もっと気軽に扱っていいのではないかとは決して言えない。
それどころか、そういう時代であればこそ、いっそうきちんと「書く」ことができ、「読む」ことができるような努力が必要だろうと思う。

 今年、毎日でなくともいい、思ったこと、感じたことを書きつける君の「心のスケッチブック」を持ち歩いたらどうだろう。
これは評論、随筆の練習のためというばかりではない。

評論部門

 山梨学院大附属の鬼頭君は今年も「舞姫の魅力」という力作を寄せてくれた。
あまり好感度が高くなかった森鴎外という文学者は、小説「舞姫」を読んでも印象はあまり変化しない。
けれども、鬼頭君はその文体「擬古文」の力に注目するところから表現の問題に気付き、ベストセラーの「セカ中」「電車男」にも触れながら、「話し言葉=書き言葉で、それが文学を創造し得るだろうか」と書き付ける。
ここには、話すとおりに書く、書けるなどということはありえない、少なくとも簡単にはそれはできないという大事な気づきがある。

 甲府東の藤川さんの「『山梨の民話』を考える」は、民話、伝説から環境問題や現在の身の回りに思いをはせる。
民話・伝承は確かに子ども向けや昔懐かしさで終わらせてはもったいない。
新設の県立博物館の展示にも通じる、我々の親やそのまた親やもっと昔の親が体験してきた生活がそこには反映しているのではないか。
藤川さんが民話に触れることで「未来も見えてきた」と書き付けているのは、とても心強い。

 甲府東の川澄君の「偶然が生み出した実感」は一見小説的に始まる。
これから何が起こるのだろうと思わせる。
実は「どこにでもあるような、海辺の一般的な土地」への小旅行の印象なのだ。
同じ横須賀線を舞台にとった芥川龍之介の小説「蜜柑」を読んだ後、川澄君は「目に映る」人間のふるまいで土地への印象が暖かくも美しくも変わることに気付く。
川澄君にとっての「蜜柑」に当たるものが書かれていればさらに良かったと思う。

随筆部門

 甲府南の佐藤さんの「ツバメの旅立ち」では、毎年作られるツバメの巣、そこにやってくるツバメの家族を見つめ、見つめ続ける視線の温かさが印象的だ。
この温かさは、そのまま気取らない、素直な文章となって現れていて、とても気持ちのいい随筆となっている。
身近を見つめることの心地よさを教えてくれる。

 甲府東の飯塚君の「暇」はやらねばならないことばかり多くため息ばかり出る現在の日常から始められる。
一冊の本は、飯塚君に少年時代の、自分が「元気に時間を泳いでいた」日々を思い起こさせてくれる。
あの頃と今と、なぜ時間がこうも違って感じられるのか。
「時間に追われているという錯覚」に気付き、その「錯覚」こそが自分を「制限しているのだ」と気付く結末にはほっとさせられる。