新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/11/18 9:55:40|高校文芸集選評
ことぱを支えるもの(H9)
平成9年度 随筆部門

 ことばは何も表さない。
辞書にはあるし、誰にでも使える。
だからこそ、ことばは何も表さない。
それでことばどうしを組み合わせて何かを表そうとする。
それでも何も現れてこないから、もっともっとことばの組み合わせを連ねていく。
困ったことにますます何も現れなくなる。
ことば−文字というか−は無限に増えていく。

 無限に増えたことばの連なりを読む。
何を表しているかと思って、懸命に読む。
強烈な文字ばかりが眼に食い込んで、ことばはうるさいくらいに溢れているのに、何も伝わってこない。
ああでもない、こうでもないと思いながら読む。
何も読み取れないから、ひとつひとつのことばを見る。
ことばは執念く沈黙している。

 神戸の少年が新聞社へ送ったことばの連なり−文字の集合−を読んだときの印象です。
世間では書き手の姿と心理を推測しようとして、また、無数のことばを連ねていました。
知的レベルが高いなどと言う人もいました。
知とは何も語らぬ、単にことばの堆積だとでも言うのでしょうか。
少年が書いたことがわかってからは、その心情を分析することにやっきになった挙げ句、「透明な存在」などということばだけを取り出して、鬼の首でもとったように、ふたたび無数のことばを連ねつづけました。
ここでも何かを表し得ていたことばたちはごくまれでした。
ことばを連ねるために連ねていたのです。
本当のところ、事の重大さも少年の内面も何ひとつわかっていなかったのです。
当の少年自身でさえわかっていなかったのですから。

 生活もなければ行動もない。
そこにまつわるこころの動きもない。
「現実」がない。
生活もなく行動もなく、「かたち」になることを渇望するこころもなく、頭のなかでことばばかりをいくら組み合わせ、置き換えてもそこには何も現れてはこないのです。
千万言使っても、そこには一行の数式ほどの必然性もない。

 ことばは生活や行動といった「現実」から立ち上がってくるのです。
いつの日か「かたち」になることを渇望するこころがなければならない。
すくなくともそれを目指していなければならない。
そんな意味で、応募の作品を読ませてもらって、安心しました。
応募数こそ多くはなかったものの、そこでは生活や行動あるいはそれ以前の「かたち」を求めるこころがことばを支えていたからです。

 入賞の「本当のこと」(甲府南・西内和子さん)は、「とにかく遠くヘ」行きたくてひたすら自転車をこいでいます。
眠りから覚めた筆者は、自転車にまたがって「とにかく遠くへ」行こうとします。
誰にもあるような思いと、ひとつの夢が覚めてもうひとつの夢に在るような不思議な感覚がうまく表現されています。

 新宿までの電車内の見聞を描いた「朝の電車に乗って」(韮崎・深澤沙織さん)も、何気ない文章のなかに、筆者の観察眼が光っていて面白い作品でした。

 「だから… だから私は…」(巨摩・斎藤愛子さん)も印象的でした。
教室へ来ないで相談室で学習する三人の友のことを思い、学校とは、登校拒否とは、教育とは、何だろうと筆者は考えています。

 「夏と私の危うい関係」(甲府南・宮川径君)も、十五歳の夏の心境がよく現れている、元気のいい作品で好感が持てました。

 ことばやその運なりは、生活や行動やそのときの心情を含めた意味で、「ひと」と不可分だな、と思います。
抽象的な思いやことば遊びに耽ることの多い世代かと思います。
けれども、周囲にちからのない、根っこもなければ、中身もないことばが溢れている時代だからこそ、あなたたちは個人的でいい、自分や周りを見つめてことばを書きつけてほしいのです。
ことばがおそろしく不自由なものだと思えるときこそ、ことばが必要なときなのではないでしょうか。
また、一方で何も表したくないから、ことばを使うというのも、懸命に減らしていきたい。
自戒も込めてこう思うのです。
来年も期待しています。(平成10.2.1 山梨県高等学校芸術文化祭実行委員会『高校生文芸集』第17集)







2008/11/17 18:14:51|甲斐の夜ばなし
阿難坂の悪天狗
 富士五湖の精進湖から御坂の山並みを越えて芦川に続く険しい峠道に阿難坂という難所があって、昔、今日の都の公家に仕えた上臈の名に因むと言われております。

 この阿難、訳あって臨月近い身重の体でたった一人この急坂にさしかかった際、ガレた石ころ道に難儀をしたせいでしょうか、にわかに産気づいてしまいました。
坂の途中にうずくまって繰り返し襲ってくる陣痛に耐えておりました。

 ところがこの峠道には昔から色好みの悪天狗が住みついておりました。
あろうことか、苦しんでいる阿難に襲いかかると裾をまくり上げ、まんまと劣情をとげてしまいました。
苦しい折も折、天狗に責めたてられ、阿難は悲痛な叫び声と共にその場に息絶えてしまいました。

 あまりの所業を見て怒った山の神は、天狗を石に変えてしまったということです。

 峠には今でも阿難を供養する地蔵が祀られております。
一方、峠の麓には天狗岩と称する巨大な男根石が天に向かって突っ立っております。(南都留郡)
写真:白躑躅(つつじ)







ドラマ「風林火山」と甲州弁
こういう甲州弁はあるか
○:ある △:変だ ×:ない

「おまんも行くずら」……○
「みつの母親は殺されたずら」……△
「兄やんの(着物)を貸すずら」……△

「ずら」←「ずらむ」※
  @〜だろう(推量)
  A〜ではないのか(確認)

「おみゃあさま」……×

甲州弁の代表

「はんで めためた ごっちょで ごいす」
  ↑   ↑    ↑     ↑
  番手  滅多に  こちたし  ございます

甲州弁の特色

ボキャブラリーが違う
 これは何のこと

 ジャッシ、○校時、「今、幾時?」、くむ……

アクセントが違う

 清里、八ヶ岳、駒ヶ岳
 朝日、命、涙、孫、お坊さん、どうする?

音がつながる(省略する

 ごいす←ございます
 めた←めった
 ちゅー←という※
 甲府※(昔は「かふふ」)

音が変わる

 雑巾(ドーキン)
 ほうけ←そうけ※
 はんで←番手(かわりばんこに、くりかえし)
 ごっちょー←こちたし

古語の名残

 〜ちょ←な〜そ(〜するな・禁止)※
 で!(て!)←いで!
 行かん、食べん←行かぬ(ない)、食べぬ(ない)
 ごっちょー←こちたし

「お国訛りは通行手形」

(甲府ロータリークラブ講話資料・2007/3/5)







若い人のことばから
やさしさ? それとも気弱?

「まぶしいかもしれない」
「これってうまくない(ね)?」
「俺的には気持ちまぶしかったりするかも、みたいな」

「お金を返してもらう」、「宿題を提出してください」

数えられない?

「ろくなな明いてる?」「ろくはいいけど、ななはちょっと」
「いくつ違い?」「あの人兄と同級だからにこ上」
「お箸どうします?」「一本」

初めての敬語(マニュアル)……敬語はサービス業のためにある?

「お煙草のほう、お吸いになりますか?」
「こちらご注文の品になります」
「ご注文の品おそろいでしょうか?」
「一万円からお預かりします」
「一万円からでよろしいでしょうか?」
「お持ち帰りでよろしかったでしょうか?」
「ラッシャイマセェ」「ラッシャイマセェ」「ラッシャイマセェ」……
「また、お越しくださいませェ」「また、お越しくださいませェ」……
「よろこんでェー」「よろこんでェー」「よろこんでェー」
「ようこそ○○へ」

「マジっすか?」
「それってやばくないすか?」

無理しなさんな

「その件については見直さざる・を得ない」
「どうぞ温かいうちにいただいてください」
「歌わさせていただきます」

どこの組織の人?

「先方にェ電話ゥをしておいたんだけどォ」
「時間がおしておりますから、事務局からの連絡の方まきでお願いします」
「司会の方に急にふられましたので、言うことをかんじゃいましたが……」
「前の人とかぶっているときついつっこみを受けましたが……」

○「以心伝心」「察し」の文化にテクノロジーが加わって生まれた弊害

○口をきかなくてもいい。日本語を知っている必要もない。……

○訓練不足<習慣未定着

○親しい人以外、異世代・異業種の人との話し方が分からない。コミュニケーションがとれない。

○ココロはなくとも口だけは。

○子ども、若い人だけの問題か?

○許容(放任)−ことばの出し惜しみ

○「届」、メールだけでいいのか?

○矢継ぎ早の指示・命令−考えさせない、自己判断させない 

○協議のない評価―改善させない

○意味は分かるが、感じの悪い表現
・差別化 ・地産地消 ・赤ちゃんポスト

「親しき仲にも礼儀あり」

大人が口をきく
言ってやらねば分からない
若い人の「?・!」を聞き逃さない

(甲府ロータリークラブ講話資料・2007/3/5)








2008/11/09 10:16:42|甲斐の夜ばなし
ヒヨドリ爺さん
 金峰山の麓の山深い村里に爺と婆の老夫婦が暮らしておりました。

 落ち葉の舞い散る晩秋の頃、爺さんは冬越しの薪採りに山に入っていきました。
山の中腹までのすと婆さんが持たせてくれた握り飯の包みをそこいらの木の枝にぶら下げて、薪を伐ってはせっせと束にしておりました。

 昼時になって腹も空いたので握り飯を取りに戻ると影も形もありません。
吊しておいた樹を見間違えたかと辺りを探し回りますが、どうしても見つかりません。

 気づくと遙か下の雑木林の中でヒヨドリのけたたましい啼き声がしています。
走り下ってみるとヒヨドリが寄ってたかって爺さんの握り飯を一粒残さず平らげたところでした。

 腹を立てた爺さんは薪ざっぽうを振り回してヒヨドリを追い散らしました。
あんまり腹が立ったのと空腹で、たまたまたたき落とした一羽のヒヨドリを爺さんは羽もむしらずむしゃむしゃと食べてしまいました。

 空には明かりが残っていますが木立の中はとっぷり暮れ、爺さんは薪の束を背負子に括りつけて山を下りました。

 山でのことを婆さんに話しながら飯を食っていると、爺さんはなにやら下腹が無性に痒くなりました。
山袴をおろしてみると、なんと爺さんの毛がみんなヒヨドリの羽に変わっているではありませんか。
驚いた婆さんが思わず力任せに羽を引っ張ると、
  
 ピピンピヨドリゴヨンノオンタカラ
  
とヒヨドリの啼き声を出すではありませんか。

 狭い山里のことですから噂はたちまち広がって、

「わしに見せてくれ」

「ヒヨドリの声を聞かせてくれ」

と里人が次から次へとやってきます。爺さん断りもせず、やってくる者には羽を見せてやり、引っ張らせて、

ピピンピヨドリゴヨンノオンタカラ

 と聞かせてびっくりさせておりました。

 しまいには爺さんのあそこには一本もなくなってしまったということです。
つるんつるん。(甲府市)