新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/11/09 10:07:48|本・読書・図書館
ダニエル・ペナックの作戦
ダニエル・ペナック「奔放な読書−本嫌いのための新読書術」から

「読者の権利」10箇条


1箇条 読まない権利

2箇条 飛ばし読みをする権利

3箇条 最後まで読まない権利

4箇条 読み返す権利

5箇条 手当たり次第に何でも読む権利

6箇条 ボヴァリズム(小説に書いてあることに染まりやすい病気)権利

7箇条 どこで読んでもいい権利


8箇条 あちこち拾い読みする権利

9箇条 声を出して読む権利

10箇条 黙っている権利


 本を嫌いにさせないための大人の留意点だな。
案外これが分かってない。
熱心な親や教師ほど。







搭乗口で
 バンコク行きの飛行機の搭乗時刻まで、まだ少し間があった。

 エスカレーターを登り切ったところにベンチがあって、タイ人だろうか、一人の女が座っていた。
若い、少し褐色がかった肌の女で、携帯電話を手に、ぼんやり二三メートル先の床に目を落としている。

 女が目を上げて何か呼びかけた。
視線の先には五歳ほどの女の子がいる。
さっきからエスカレーターの昇降を繰り返しているらしい。
女の子はぴょんぴょんと、しまいには下りのエレベーターを駆け上がろうとしている。

 母親が立ち上がる。
さっきより鋭い声で女の子に呼びかけた。
女の子はぐるりと柵を回って母親の膝元にやってくる。
母親の脚の間に背中から割り込んだかと思うと、膝の上によじ登る。
そして、今度は母親の膝を滑り台にして遊び始める。
ほんの少しの間も止まっていることはない。

 やがて、母親が娘の小さな手に開いた携帯電話を握らせる。
そして、耳元に何か囁く。

 ようやく動きを止めた女の子が携帯電話を耳に当てる。
母親が娘に何か囁く。
娘はうなずいている。
はっと娘の眼が上がる。
母親が、また、何か囁く。
娘の舌っ足らずな日本語が聞こえる。

「パパ、もう、お仕事終わった?」

……

「まだ?」

……母親が囁く。娘、

「ご飯食べた?」

……

「まだ?」

 娘は無言で携帯電話を耳に当てている。
娘の横顔を見つめていた母親が囁く。
娘、

「お仕事頑張って」

 娘は、再び、無言である。
時折あごでこっくりしたり、小首をかしげたりしている。
無言の時間が今度は長い。
母親が囁く。
そして、娘が言ったのである。

「来年、また、来る」

……娘はうなずいている、何度も何度も。

……母親が囁く。娘、

「パパ、愛してる」

 娘は、また、ひとつうなずいて、母親の手に携帯電話を返す。母親は、一瞬手元を見つめ、やがて、電源を切った。

 膝から滑り降りた娘は、また、ひらひらとひらひらと舞うようにフロアに飛び出していった。

 母親はじっと携帯画面を見つめている。
やがて、パシャリと畳んで、また、二三メートル先の床に目を落とした。
写真:ハノイ・ノイバイ空港(ベトナム)







夏の終わり
 不意に悲鳴が上がった。
それは幼児が火の中へ落ちたように突然で激しいものだった。

 米子発岡山行きの特急電車は、今、動き出したばかりである。

 さきほど若い母親とその子と姉との一家が電車に乗り込んできた時、私は、正直、自分の席をひどく悔やんでいたのである。
案の定……と私は舌打ちをした。

 悲鳴の先を振り返ると、ホームには一人の老女とやはり若い母親と、母親に抱かれた三歳ほどの女の子が、電車に向かって手を振っていたのである。
車内のやはり三歳ほどの女の子は、多分従姉妹(いとこ)だろう、母親の腕の中で伸び上がり、身もだえして、

「アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん」

と身も世もなく甲高い声で絶叫している。
顔は驚愕とも恐怖とも形容しがたい表情に歪んでいる。

 この子には、今、ここでアキちゃんと別れなければならないことが分かっていなかったのである。
ドアが閉まり、電車が動き出した瞬間、女の子はその恐ろしい事実を悟ったのだ。

 女の子は母親の腕をふりほどこうともがきながら

「アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん、おりる、おりる、おりる、アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん」

と叫んでいる。

「ね、また、来ればいいじゃない、ね、ね」

と母親。

「アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん」

「ね、また、来ようね、また、ね」

「いつ、いつ、いつ?」

 女の子は身体をけいれんさせるように激しくしゃくり上げながら母親に訊ねる。

「そのうちに、ね」

「アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん、おりる、おりる、おりる、アキちゃーん、アキちゃーん、アキちゃーん……」

 私は苛立ちを忘れ、アキちゃんとその従姉妹の気持ちに共鳴して、胸が張り裂けそうになっていた。







2008/11/06 17:24:40|その他
猫の頬ずり
 庭から見ると、展示室のベランダに数匹の猫が寝そべっているのが見える。
観覧に疲れた私は、近づいて猫たちを観察しようと思った。
私は素っ気ない猫族をかなり愛している。

 昼下がりのベランダには庭先の梢の影がまだらに落ちている。
猫たちは思い思いの恰好で快い午睡を貪っている。

 ベランダはちょうど私の首の辺りだ。
私は顎をふちに乗せて猫たちを観察した。
猫たちから見れば、私はさしずめ「さらし首」といったところだろう。

 一匹の猫がふとこちらを振り向いた。
眠気の交じったぼんやりした眼ではない。
むしろ好奇に満ちた凛とした眼である。

 猫はすぐに、また、前肢に顔を埋めるだろうと思われた。
が、彼は状態を起こしたのである。
そうして、やおら立ち上がった。
ゆっくりゆっくり、肩を揺らしながら、あの特有な動きでまっすぐ私の方へ歩んでくるのである。

 一体どうしたのだろう。
私は彼の機嫌を損ねたのだろうか、と私は戸惑っていた。

 猫は私の眼前でぴたりと止まった。
敵意のある眼ではないから、私も眼の力を抜いて猫を見ていた。
次の瞬間、猫は自分のおでこを私のおでこにむやみにすりつけ始めたのである。
その動作は執拗で、避ければ却って失礼に当たりそうな熱心さだった。
私は猫の額の短いやや強い毛や目元のやや長い柔らかい毛を額に感じていた。
猫は顔を回しながら何度も何度も、かなりの力を入れて額をこちらにこすりつけていた。
どうしたことだろう、どうしたことだろうと思いながらも、私はベランダの上の首をじっとさせていた。

 ひとしきりやって、ようやく猫は頬ずりを止めた。
しばらく私の眼前にハコ座っていたかと思うと、今度は手で顔を洗い始めた。
顔に着いた油を拭うかのように、これまた丁寧に熱心に洗っているから、私は少し気を悪くしていた。
そういう態度を取るのなら、あんなに親密に頬ずりをしなければよかったじゃないか、と。

 やがて、猫は納得したのか、再び午睡の群れに帰って行った。
私は唖然と、少し切ない気持ちで猫の揺れる後ろ姿を見送っていた。
体のない、首だけの人間なんて、猫にもなめられるようである。

 もともと初対面の犬や猫に割合警戒心を持たれない自分だが、五島美術館の猫の頬ずりのようなのは初めての経験だった。
写真:恵林寺(山梨県甲州市)門前の猫







杭州酒家でほっとする(セビリア)
 旅先では現地の人々が食べるものを食べる、それが最もおいしいし、リーズナブルなはずだ(観光客専門店でないかぎり)というのを信条としている私だが、その時は、下痢が治ったばかりで気が弱くなっていた。
珍しく和食か中華の店を探す気持ちになって地図を見ていた。

 セビリアの壮麗なカテドラルの近くに杭州酒家(それこそ世界中にある)を見つけた。

 店に入り、中国人の女の子がウエイトレスがメニューを持ってきた時、びっくりするほどほっとした自分がいた。
美人というのではない。
東アジア系の脂気の少ないさっぱりした、色の白い、眼の細い顔をみて、私は肩から力が抜け、心和むのに気づいたものである。

 さらに、メニューに「杏仁豆腐」などという漢字を見つけてしまったら、もういけない。
スペイン語の音に宛てている中華の料理名をあれだろうかこれだろうかと想像しつつ、結局、炒飯やらスープやら、チンジャオ・ロースーやらをしっかり食べてしまった。
もちろんビールもお代わりをした。
メニューの隅にライチとあるのが目にとまったので、ウエイトレスを呼んで
「フレッシュ(生)か?」
と尋ねると、申し訳なさそうに
「シロップ煮だ」
という。
それでも私はライチをとってにっこりデザートとしたのだ。
後から思えば、いずれも味がとびきりおいしかったという程ではない。
おいしくもまずくもないレベルである。

けれども、そのせいで、その後、私はヒラルダの塔九十七・五メートルをよじ登るのが、どれほど大変だったことか。

 食事が済んで、勘定の際、私がドルの高額紙幣を出したにもかかわらず、彼女は嫌な顔一つせず、迅速に釣りを計算して正確に返金してきたのである。
スペインに来て初めての素早さ、正確さだった。

 自分にとっては、二回目のスペイン行だし、多少言葉も使えるようになって、現地に溶け込んでいたつもりだった。
けれども、長い期間の一人旅、自分では意識しなかったけれど緊張のしっぱなしだったのだろうか。

 海外での緊急避難先としての中華食堂のありがたさを再認識したものである。
写真:セビリアの国営煙草工場跡(現セビリア大)。ただしカルメンは見あたらなかった。