新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/11/05 17:47:31|文学
正宗白鳥と深沢七郎
 『楢山節考』を激賞され、刊本の腰巻にまで引用されて、深沢七郎は白鳥に恩義のような重荷のようなものを感じていた。
流浪先の北海道で白鳥の入院を知った七郎は、すぐに病院に駆けつけ、白鳥の口から
「神様はきっとやさしく抱いて天国へみちびいてくださるから」
と聞く。
七郎は熱心なクリスチャンだったつ禰夫人と共に白鳥が青年時代に洗礼を受けた植村正久の三女・環を訪ねる。
植村環は毎日のように病床を訪れ、賛美歌を歌い、聖書を語った。
白鳥は聖書は好きでも信仰は棄てたと思っていたけれど、こんなにも深く信じていたのだと七郎は安心した。

 七郎の作品に小説「白鳥の死」(昭38)、ラジオドラマ脚本「去年の秋」(昭41)ほかがある。
写真:昭和30年頃の正宗白鳥







2008/11/05 17:40:03|文学
井伏鱒二の山梨びいき
 【甲府ゆかりの井伏作品(初出発表年)】
 甲州の話(昭10)冬の池畔(昭11)ミツギモノ(昭13)琵琶塚(同)蛍合戦(昭14)掛持ち(昭15)おこまさん(同)旅館・兵舎(昭18)二つの話(昭21)疎開記(昭23)点滴(昭24)パイプについて(昭26)国語読本のこと(昭27)女中さん(昭29)甲府(昭29)駅前旅館(昭31)蛍の季節(昭35)十一屋の若旦那(昭54)

 福山の井伏鱒二の旧制中学の後輩の一人は、井伏資料の稀代のコレクターでもあった。
井伏が元気な頃、筆墨展を企画して、本人に知れて大目玉くらった上に中止。
いつかは福山へ井伏記念館を作りたいと夢見ていた。
会うたび、山梨に来るたび、彼は恨めしげに言う。
「井伏さんは福山よりも山梨が好きなんだものな」
そんなこともあるまいが、井伏の生まれ育った旧加茂村を訪ねてみたら、昔の甲州の谷あいののどかな山里そのものだった。
写真:「後輩の一人」の家の書庫の一部







2008/11/05 17:34:51|文学
太宰治の「酒入れ」(山梨でいう「結納」)
毎日新聞甲府支局の記者だった高田英之助は福山出身で井伏の後輩だったが、井伏から太宰の縁談を依頼されていた。
自分のフィアンセの友達の姉、甲府市水門町の石原美知子嬢を紹介することにして、高田は報道員として戦地に発った。

話はトントン進み、昭和十三年の十一月六日「酒入れ」の運びとなった。
荻窪から甲府に向かった井伏は、たまたま家に来ていた若月英男を同行していた。
後年、井伏が疎開することになる甲運村(現和戸)の若月氏だ。
甲府駅頭にははかま姿で笑顔の太宰。
宴までは時間があったが、三人は裏春日の小料理屋「婦久代」へ真っ直ぐ行った。

店の女将が
「おめでとうございます」
「ご苦労様でございます」
と三つ指をつく。
「全ての人が自分に好意を寄せてくれているように思うんだ」
と周囲に語る太宰。







2008/11/04 17:17:41|甲斐の夜ばなし
はらわた抜きのかんちき
 昔、丹沢の峰と道志の峰に挟まれた道志川の源近くに、「かんちき」という怪物がいたそうでございます。
見たところは河童そっくりで、背中に甲羅を負い、カラス天狗のようにとんがったくちばし、髪の毛をざんばらにしておりました。
このかんちき、人間の股間から体内に手を突っ込んで、五臓六腑を引っ張り出すという恐ろしい怪物です。

 かんちきを怖れる村の年寄りで、いつも尻へ茶釜をくくりつけて川に出る者がおりましたが、村の悪童どもは、

 「じじいのケツは金(かね)のケツ」

とはやしたくらいでした。

 ある木樵(きこり)が川べりの大木を切り出そうとしていて、あやまって青緑の深い淵に落ちてしまったことがございました。
驚いた仲間たちが飛び込んで、川底に沈んでいた木樵をようやっと引っ張り上げたのですが、なんと、塩焼きにする魚のようにはらわたを抜かれて、体内は空っぽだったということです。かんちきに尻ごう玉(肛門)から手を突っ込まれて、抜き取られたに違いないという噂でした。

 長生きで百六歳になるおかめというお婆さん、孫娘を連れてワラビを取りに山に入りました。
丸太橋を渡ろうとした時、なんということか、娘は渓流に落っこちてしまいました。
婆さんはびっくりして、歳にもかかわらず、白波渦巻く渓流に躍り込みました。
孫娘の着物をつかんだもののなすすべもなく川下まで流されてしまいました。
娘はかんちきに陰門から手を突っ込まれて、やはり臓腑を抜き取られてからっぽにされていました。

 ひとりの炭焼きが娘を手伝いにして炭焼き小屋に行く途中、谷川からかんちきが現れて娘を水底へ引っ張り込もうとしました。
炭焼きはそうはさせじと腰のナタを抜いてかんちきに斬りつけました。
かんちきは逃げ、娘の身体を案じて着物をまくったところ、手首から切り落とされたかんちきの青く細い手が、娘の陰門に食い込んでぶら下がっておりました。
それでも娘は命だけは助かったそうでございます。

 道志川に大洪水があって、深い淵を遮っていた巨岩が下流に流されてからというもの、かんちきの姿は見なくなったということです。(南都留郡道志村)
写真:道志の湯







2008/11/03 19:52:50|本・読書・図書館
本をいただく、差し上げる
 生来の天の邪鬼で貰ったり薦められたりした本はめったに読まない。
読む本はいつも自分のその時の必要で選んでいるからだ。
必要といただくことが合致することはめったにない。
もっとも、後で必要が出来て、引っ張り出して読んだり、参照したりすることはある。

 一方、出版した本を送ってくれる人は跡を絶たない。
送ってくれれば黙っているわけにも行かない。
これをどうするか。
ある俳人にいいことを教わった。
著書受け取りの礼状は間髪をおかず書いて出す。
「楽しみにこれから拝読させていただきます」
と必ず添えるのだ、と。
さすれば読まずとも済む。
礼状が滞れば感想の一言も書かねばならない。
件の俳人は、そのために著書受け取りの葉書をこしらえているという。

 そう言えば、某古書店の主も、本を送ってやると間髪を入れず受け取り葉書が来る。
読む気のないことはありありで、図書館のようで多少事務的な感もあるが、少なくとも着いたか着かぬのか、ありがたいのかありがたくないのだか分からない、「無礼な奴だ」といらついている相手の気持ちをいったんは沈静させる効果くらいはある。

 これを聞いて自分でも葉書をこしらえた。
が、それ程度では、手元に常に葉書さえ備えておけば、手書きしてもたいした手間ではない。
実のところ、この葉書が登場する機会は余りない。

 いただいた本そのものをどうするか。
半年、一年たつと結構のかさになる。
場所ふさぎでもあるが、リサイクル・ショップ直行というのも気が引ける。
扉に献辞など入れられるとどうしようもない。
ある批評家のように、著名作家の献辞付きの本をごっそり払い出して、書いた人が人だから、それが却って珍重されているようなケースもある。
けれども、私のところに来るような本は、そういう評価を受けるものはめったにない。
自然、積み上げておいて、年がたって、多少罪悪感が薄れてから、有価物に紛れ込ませることしか手はない。

 とは言え、自分でも性懲りもなく著書をこれという方には送ったり、差し上げたりしている。
これは矛盾というか、自己顕示欲の発露というか、気休めみたいなものである。
リサイクル・ショップで見掛ければ、まだ、良心的に遇してくれたと考えるほかはない。

 それにしても、私の地元では、本を差し上げてもウンともスンとも言ってこない人の割合が高いように思う。
しかも案外地域に影響力のある人が少なくない。
もちろん、こちらが恐縮するくらい丁寧に感謝されることもあるが、数少ない。
一方で、「貰いたい」という人も多い。
これは圧倒的に知人だ。
要するに、前者は上げる必要のない人だし、上げては迷惑だった人なのだろう。
後者は買ってまで本を読む気はない人なのだろう。
ましてや知人の本など。

 本を差し上げる自分としては、吹聴してもらって、出版社の負担を少しでも軽減したいなどと思っているのだが、さほど効果は出ていない。
いずれにしても、本はあまり他人にあげない方が賢明ということかもしれない。
写真:旧大門沢橋付近