新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/11/03 19:44:43|本・読書・図書館
子どもが読むべき本のリストはあった方がいい
 子どもが読むべき本のリストなど 要らないという人もいる。その理由は色々だ。

 先ず、「これを読め、あれを読め」なんて言われると却って読みたくなくなるのではないか。
あまのじゃくのようだが、自分もそうだった。
と、読書の意欲を失わせるのではないかと反対する人もいる。

 しかし、そういう人が果たして読むべき本のリストがなくって、余計に読書欲が高まっただろうか。
そういうはなしもあまり聞いたことはない。

 次にこういう意見もある。
子どもが読むべき本を大人が決めてもいいのだろうか。
子どもは自分の読むべき本を自分で選ぶのが本当だ。
大人の価値の押しつけはよくない。

 こういう意見を持つ大人達は、自分の人生の中で、果たして子どもに勧められる本の何冊かを持っているのだろうか。
あるいは子どもに勧めたくて堪らなくなるほど、何冊かの本に身を入れて読んだことがあるのだろうか。

 次に、子どもは何でもたくさん読めばいいのだという乱暴な意見の人もいる。

 子どもは本当に必要なときに必要な本に巡り会っているのだろうか。
巡り会うほどたくさんの本を一人の子どもは読むだろうか。
洪水のように本が出版される中で、なんでもたくさん読めというのは、くだらない本であれなんであれ、溺れてしまえ、ないしは呆然として手をこまねいていろというのと同じである。

 世の中には、子どもに出合って欲しい本があるのだ。
そして、それは無限ではない。
しかも、出合うのはいつでもかまわないわけではない。
出会うべきふさわしい時があるのだ。
本に触れるなら、できればここからスタートして、やがて自分の力で泳いで行ってくれればいいのだ。
できれば子どもに出合って欲しい本に効率よく、ふさわしいタイミングで子どもに出合わせてやろうと思うのは、世の中の先輩として当然ではないか。

 読むべき本のリストについては反対でなくっても、もっともな意見もある。
リストはさんざんあるじゃないか。
高校生には山梨県では、司書と司書教諭、図書館担当の職員が選んだ『高校生の本棚』があるじゃないか。
例年少しずつ改訂しながらずっと続いている。

 学校によっては、甲府東高校のように『東高生に薦める50冊』というような、学校独自のリストを拵えている学校もある。

 すでにリストはあるのだ。
これがいったいどのように活かされているというのだ。

 これはもっともな意見である。
リストの活用こそが大切なことはいうまでもない。







2008/11/02 21:55:23|甲斐の夜ばなし
にらむケツ
これは私がひいお祖母さんから聞いた話です。

 片目が不自由な爺さんがおりまして、見てくれが悪いものですから、常日頃は入れ目(義眼)を使っておりました。それでも、るときにははずして、水をはった湯飲みの中に入れて休みました。

 ある晩、のどのいた婆さんが、水がめのところまで行くのが面倒だったところに、枕元に水の入った湯呑みがありましたから、それをぐいと飲み干してしまいました。ごくりと飲み込む拍子にノドをごろりと下りていったものがあって、はっとしました。

「えらいことをしてしまった。爺さんの入れ目をひん飲んじまった」

とあわてたのですが、もう間に合いません。

 爺さんに話すと

「なんちゅーこんをするだあー」

と怒りましたが、もうどうしょうもありません。

「まあ、明日にでもなれば出てくるら」

と諦め顔です。

 翌日になっても、翌々日になっても、腹は張るのですが、婆さんは出るモノが出ません。しまいには腹がしくしくと痛むばかりです。困った婆さんは爺さんに、

「ちっとも出んけんど、このままじゃー、おりゃー糞詰まりになって死んじもう。困るじゃんねー。ちょっくら見てくれんけ」

と爺さんに頼みました。

 爺さんはしぶしぶ婆さんを四つんばいにさせて、着物の裾を広げて首をつっこみました。そして、叫んで言うことには、

「誰かが足の間からおれをにらんでいらー」
写真:フルーツ公園富士屋ホテルにて







人の「土産話」くらい詰まらぬものはない
 他人の旅行記なんて、他人の家族写真のような物で、たいてい面白くはない。
どこで何を見た、何を食べた……、色々読まされても、ああそうですかと言うしかない。
これはやっかみだけではないと思っている。
自分が行ったことのある土地ならば、話題を共有できるせいか、それでも多少関心は引く。
けれども、見知らぬ土地のものだと、全くと言っていいほど興味が湧かない。
最悪なのが、功成り名遂げた方の「視察」と称する旅行の記録である。
どんな立派なパーティに出ようが、向こうのお偉方とどんな話をしようが、やっぱり「ああそうですか」である。
立派な本にして、いただいても、棚の邪魔になるばかりだから配ってくれない方がいい。

 ネット上で興味のある地名で検索してみると、いかに多くの老若男女が旅行記や滞在記、写真アルバムをアップしていることかと呆れる。
これらのほとんどが、自分だけの経験をもっともらしく記述しているだけで、ためになったり、なるほどと「読ませる」ものは少ない。
むしろ失笑ものの内容が多い。

 プロ(?)の物書きでも、こういうものがたまにあって、買ってみて損をしたと思うことも度々ある。
これはグルメや美術鑑賞、歴史遺跡巡りなどに割合多いように思う。
料理ならレシピ、鑑賞なら写真が唯一の取り柄であるような本も多い。

 面白くないというのは、そこから得るものがないということでもある。
堅苦しく言えば、体験がその人だけの物に留まっていて、普遍化されていないのである。
その人にとっては、楽しくもあり、「発見」でもあったのだろうが、それが他人にとっては興味を引く物ではない。
その人が、その旅でどう感じ、これまでの認識がどう変わったかがないとも言える。
さらに言えば、行く前にその旅先をどう思っていたかが、見えないのである。
これは単なる見せびらかしであり、場合によっては嫌みな自慢に見えてしまう。

 思うにこれは旅の「土産話」でも同様である。
口角泡を飛ばして語るのが、自慢話でなくって、失敗談であっても、申し訳ないが一つも同情できないのである。
それどころか、いい気味だくらいに思ってしまう。

 とつおいつ考えてみると、自分の「土産話」もしないに越したことはない。
写真:台北市竹里館の茶藝







「汽車」の旅
 「電車」の旅と言うのが当たり前のところを、私はどうかすると「汽車」の旅と言ってしまう。

 私の世代などは蒸気機関車の牽引する「汽車」に乗った経験はある。
目に入った煤煙の痛さも知っている。
ジーゼル車ももちろん乗った。
けれども、それはわずかの期間の例外と言うべき体験で、「汽車」の旅が私の旅体験の主流だった訳ではない。
それなのに、どうして「電車」でなく、つい「汽車」と言ってしまうのだろう。

「電車」も「汽車」も、客車を引っ張る動力の相違を表していることばであるのは間違いない。
かと言って、私はそんなに厳密に動力で区別して呼んでいるわけでもない。

 これはあくまで個人的な感想だが、「電車」では大げさに言えば、人間を余り想起させないのである。
客の乗る部分−客車のイメージが希薄なのである。
「電車」は、軌道を走って移動する乗り物の便宜的かつ一般的な呼び方のような気がする。
電車で移動するのは「旅」ではありえない気がする。

 引き替え、「汽車」は、人間をより強く想起させる。
客車を意識させ、単なる移動でなく、そこでは「旅」を意識させる。
だから、芋虫状の新幹線でも、おしゃれな特急でも

「汽車の旅もいいね」

と言いたくなるのである。
駅弁をつまみに缶ビールの一本も開けたくなるというものである。

「電車の旅もいいね」

と言うのは、どこかよそ行きで、親しい人に方言を出すまいとしてしゃべっているような気がする。
旅すなわち過程を楽しむというより、アタッシュケースの上にパソコンでも開けていなければいけない気がするのだ。

 ただし、山の手線などの旧国電、都市近郊の地下鉄、私鉄は、さすがに「汽車」とは言いづらい。
これらは単に早くて安ければいい移動手段だからだ。
乗客はイヤフォンを耳に無我の境地に入り、あるいは、いっせいに位牌のようにケイタイを掲げ、周囲への嫌悪感をひたすら薄めようと務めているかのようだ。
写真:クアラルンプール駅(マレーシア)








2008/11/02 9:04:04|甲斐の夜ばなし
タッチュウの妖女
 河口湖の北岸にタッチュウと言われているところがございます。
五輪塔や墓石が十数基並んでいて、その昔、野辺の送りの火葬場だったところだと申します。
そのせいかここだけは土も周りの畑と違って黒いのでございます。

 南岸の村に近在には珍しく美しい、どちらかと言えば妖艶な娘がおりました。
北岸の村の若者と相思相愛となった娘は夜ごと湖を泳ぎ渡って、タッチュウにひと気のないのをいいことに逢瀬を重ねておりました。

とは言え、娘は、このあたりの若い者の習いに似ず、若者の熱心な求めにもかかわらず、なかなか肌を許そうとはしません。

「一年後の闇夜にはきっと……」

というばかりで、泳いで岸に上がる時には、濡れた山着の身繕いをきちんとして若者の前に現れるのでした。

やがて、約束の一年後の闇の夜。
あいにく村に弔いがあってタッチュウで火葬が行われることになりました。
野辺の送りが済んで、薪を積み、亡骸を載せて火を放ち、親類縁者はひとまず立ち去った後でした。

 約束ですから、娘が現れるかも知れないと、おんぼうの火が気味の悪いのも我慢して、若者はタッチュウで娘を待っていました。

 やがて、娘が湖を渡って岸に上がってきました。
若者がはっと水音のする方を見ますと、夜目にも白々と娘の裸身が浮かび上がり、まっすぐ若者の方に向かってきました。
約束に違わず、娘は若者に裸身を見せたのは、今夜こそ肌を許すつもりでやってきたと見えます。

 娘は濡れそぼった髪を梳ると亡骸を焼いている火に近づき、火中から焼けて伸びた骸の手をいとおしげに握りしめるのでした。
そうして恍惚とした、ひときわ妖艶な表情で若者を振り返りました。

 若者は娘が妖怪のように見えて背筋を冷や汗が流れました。
そして、声を掛けることもなく一目散に村に逃げ帰り、布団をひっかぶって震えていたそうです。

 その後、若者は二度とタッチュウに近づくことはありませんでした。

 ほどなく、湖の中から娘の真っ白な水死体が上がりました。
対岸の村人の誰も知らぬ娘でした。
鵜の島の弁天様ではないかとか、湖で水死した女の亡霊ではないかとか、様々に噂されましたが、本当のところは分かりません。(南都留郡富士河口湖町)
写真:河口湖