新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/10/31 13:57:29|スペイン
ただならぬ街・セビージャ(スペイン)の2
 アルフォンソ十二世通りというらしく、真っ直ぐ行けばグアダルキビールの河岸に出るはずだ。
ようやく河に対面できるかと思うと胸が躍る。食事を済ませたいが、ここは場末でレストランなどはない。
バルはあっても、ビールを飲ませるぐらいでそれもたいていは閉まっている。

 河岸を黄金の塔を目指して歩いていく。
できるだけ河っぷちをと思って、道路から下りていく。

 三つの河の小譚詩バラディーリャ
     F.G.ロルカ・小海永二訳

 グアダルキビール河は
 オレンジの木々とオリーヴの木々との間を流れる。
 グラナダの二つの河は
 雪から小麦へと下る。

   ああ、去り行きて
   二度と戻らなかった愛よ!

 グアダルキビール河は
 暗紅色のひげを持つ。
 グラナダの二つの河は
 一つは涙し、一つは血を流す。

   ああ、空へと
   去ってしまった愛よ!

 セビージャは
 帆船のための 通路を持つ。
 グラナダの水の上を
 漕ぐのはただ溜息ばかり。

   ああ、去り行きて
   二度と戻らなかった愛よ!

 グアダルキビールよ、高い塔よ
 そして、オレンジ畑の中を吹く風よ。
 ダウロとヘニールよ
 池の上の 死んだ小さな塔たちよ。

   ああ、空へと
   去ってしまった愛よ!

 水は叫びの鬼火を運ぶと
 一体 誰が言うのだろう!

   ああ、去り行きて
   二度と戻らなかった愛よ!

 水はオレンジの花を運び、
 オリーヴの実を運ぶ、
 アンダルシーアよ、お前の海へ。

   ああ、空へと
   去ってしまった愛よ!(一九二一「カンテ・ホンドの詩」より)


 道路から一段下がった河岸は、わずかばかりの木立のある遊歩道になっている。
遊覧のための貸ボートなどもある。
海水浴場の砂浜から海の家の裏に出たようだ。グアダルキビールは運河のように広かった。
水の流れも見えずガラスの表面のように光っていた。
これがロルカの歌ったグアダルキビールかと思うと、少し拍子抜けした。
穏やかに悠々と澄ましこんで、街のなかを帯のように流れている。「大いなる河」だ。

 しばらく歩くと港の岸壁のようにコンクリートで固めた川岸になった。
スプレーで描いた落書きやガラスの破片が散乱している。
街の人々が足しげく通い、ポプラやプラタナスの並木や噴水や滝、花咲き乱れる垣を楽しんだという河岸のアラメダはどこへ行ってしまったのだろうか。

 河岸のコロン(ブス)通りを一qほども歩いて、木立の向こうに、ずんぐりとボリュームのある黄金の塔が見えてきた時には、あああれかと感慨があった。
広い空を背後にして細部はわからない。
てっぺんに申し訳程度に鐘楼が載っかった特徴的な形はわかった。
かつて金色の陶器煉瓦に輝いていたことなど創造もできない。

 近づいていくと正十二角形の煉瓦造りの壁面が見えてきた。
小さな窓、頭が三角になったてっぺんの狭間はイスラームの望楼の特徴だ。
作られたのは十三世紀、グアダルキビールを行き来する船を監視したものだという。
残酷王ペドロの頃、ここに財宝を隠し、秘密の地下道をアルカサル(王宮)まで掘ったという伝説がある。

 対岸はトリアナ地区でかつてはヒターノなど貧しい人々の住まいが密集していた場末らしい。
古い建物が川に落ちかからんばかりに密集している。
そのうちの幾つかは塔を眺められるレストランなどに利用されているようだ。
ここに身の毛もよだつ異端審問の獄があったことも知らぬげに。

 中学生かと思われる女の子が、河岸の遊歩道から塔の足下に通じる階段に群れて座っていた。
十四、五人もいるだろうか。
上の道路には同年令の女の子たち−いやわずかばかりの男の子も含まれている−が尼僧姿の二、三人に引率されている。
遠足のようなものだろうか。
乳のうたれた城門のようながっしりした扉が堅く閉まっている。
海軍省に属する小美術館になっているというが、日曜日は休館らしい。
階段に腰掛けている女の子たちがだるそうなのも暑さばかりではないかもしれない。

 ここからムリーリョの名作『カリダッド(慈善)』のある救済(慈善)病院はすぐだ。
もと「世界に比類なき大悪人」ドン・フアン・テノーリオが修道士として設立した建物で、彼はここで死んだというが、残念ながらここも日曜日には入ることが出来ない。

 セビージャ大学へ向かう。
「カルメン」で有名な官営の煙草工場のあったところだ。
入口がわからずぐるりと回ってしまう。
アルフォンソ十三世ホテルやサン・テルモ宮殿を含めると小さな街一つくらいあるほど広い敷地である。
ふと見ると鉄の塀の足下のところどころに、天使をあしらった煙草工場Fabrica de Tabacosの陶板がはめ込まれている。
敷地と門とのあいだが空堀のようになっているところがあって、盗賊を防ぐのか女工の逃亡を防ぐのかと思われた。

 カレル・チャペックはこう書いている。

 「そこには、褐色で大きな、豊かに金銀をちりばめたバロックの宮殿が一つある。最初は王様の居城と思ったのだが、じつは国営のタバコ工場で、まさにあのカルメンがタバコを巻いていたところだ。今日ではそこに、多数のカルメンが採用されていて、耳のうしろにキョウチクトウの花をはさみ、トリアナ宮殿に住んでおり、そこにドン・ホセが、三角帽子をかぶった警官として立っている。そしてスペインのタバコは、いまでもひどくきつくて黒いが、それは明らかに、あのトリアナの黒い娘たちのせいである。」

 ここからアルカサル(王宮)に向かう。
猛暑にバテ気味でどこかに腰を下ろしたいが、そんな木陰もない。
ときおり観光客を乗せた馬車が軽やかな蹄の音と呑気な鈴の音をさせて通りすぎていくのが、何とも恨めしい。

 実は僕はアルカサルというものが苦手だ。
最初イスラームのムワッヒド王朝の要塞だったが、今残っているのは「残忍王」ペドロのために、グラナダのナスル朝から呼ばれたムーア人が建てたものだ。
レコンキスタの後には、まるまる三百年もムーア人の建築家に、コーランの文句を空洞化して単なる装飾として華麗なクーファ書体で壁に書き続けさせている。
ムデハル様式をロココ趣味で飾りたてた、金ピカで壮大な造り、お宝を次々に並べ立てた、今や主のいない眩いばかりの部屋たち……。

 角を曲がって大手門から壮大な石垣が見えてきたとき、正直なところ、僕は入るのを止めて食事に行ってしまおうかと思ったくらいだった。
それでも、コルドバではメスキータも何もほとんど見ていないことを思い出して勇を奮って歩み入ることにした。

 庭園に歩み入るにつれて、おやおやこれはこれでいいかもしれないと僕は思い始めた。
他でもない、次々に目に飛び込んでくる緑の階調や色とりどりの花たちが、さきほどまでの僕の疲労感を徐々に癒してくれるようだったからである。
「人形のパティオ」「乙女のパティオ」も、僕はまさに『千夜一夜物語』の世界の〈パティオ〉を見ていたので、その間をつなぐ有名な「大使の間」も「提督の間」も「ペドロ王の宮殿」も、装飾のセラミックもモザイクも何ら僕の眼をひかなかった。
ペドロ王の愛人マリア・ド・パディーリャの宝石に飾られた浴室(騎士たちはその湯を呑むことを強いられたという)にも惑わされなかった。
それよりも煉瓦の壁をこぼれ落ちるように咲いているオペラ色の花たち、建物の東側の典型的なスペイン庭園の見事さには、生き返るようだった。

 様々な形に刈り込まれたイトスギ、ツゲ、ギンバイカ、ゲッケイジュ、ヒイラギ、ガマズミ、スイカズラ。カメリア、アゼリア、ベゴニア、キク、アスターの溢れるほどの鉢植え。
ヤシ、ビャクシン、ブーゲンビリア、リュウケツジュ、ナツメヤシ、フェニックスなどの熱帯性の植物のジャングル。
クレマチス、ツリガネカヅラ、ヒルガオのようなカンパニーリャなどのつる草。
あと、僕の知らないありとあらゆる花々で満ち満ちている。
小道、遊歩道、天蓋、アーチ、ゲート、迷路、四阿などの趣向。
敷石や煉瓦の色彩、マジョルカ焼を敷きつめた階段、ベンチ、水盤、水槽、滝、噴水、さらさらと音立てて流れるせせらぎ。

 そのくせ、この庭園は僕の心をかき乱すようなところがない。
過剰な色彩と光があるのに、なぜかひどく落ちつかせ寛がせてしまうのだ。
メスキータのどこまでも無限に続く幻惑的な線条の文様から受ける印象に似ているかもしれない。
それはここが光よりも影を際立たせるための庭園だからかも知れない。
チャペックは万華鏡を覗いて目が回るまでその幾何学模様を見つめているようだとか、ハシシを飲んだようだと形容している。
けれども、一方でこうも書いている。

 「そしてこの、刻々と色を変える、幻想的な、ほとんど狂ったようなすべてのものを、一度に、無限で優雅で愛すべき、そしてきびしい秩序で、静かな瞑想的な正確さで、一種の夢想的で賢明な自制で、髪をなでつけるようにそろえたまえ。
 それは、これらのおとぎ話のような財宝を、ほとんど非物質的で非現実的な表面に広げ、軽やかなアーケードの上にただよわせる。筆舌に尽くしがたいそのぜいたくさは、そのように自身の表面で非物質化されるので、ほとんどもはや壁に投影される幻影にすぎないようになる。
 この不思議なムーア人たちの遺産に対して、私たちの財産は、なんと物質的で、粗野で、重くて、視覚的というよりむしろ触覚的であることか。私たちは、気に入ったものを両手でつかみ、手でさぐろうとする。私たちはそれを、まるで自分の持ち物であるかのように、強く乱暴に手でさぐる。」(チャペック)


 「秩序・瞑想的な正確さ・賢明な自制」……そうなのだ。
過剰のようで過剰ではない。
「光よりも影」となって非物質化した「幻影」のようだと言うのも正しい。
だからこそ、過剰でもないし攻撃的でもない。

 アンデルセンはここで『千夜一夜物語』の世界の公子やシェラザードを夢想してうっとりとしている。

 「グラナダのアルハンブラは、南国の澄みきった美しい日の光のなかに 魔法で現れた夢の光景に似ている。かつてそこに息づいていた過去の姿は見えてこないし、私たちもそれを期待しない。しかし、セビージャのアルカサルは夢のなかの幻ではない。白日下の現実である。威風辺りを払う貴公子が美女たちにかしづかれて、不意にその辺りから現れても不思議ではないような気がする。」(アンデルセン)

 カテドラルに向かう。
観光馬車が煩わしい。
道端にずらりと並んで停まっていて、腕を掴まんばかりの様子で声を掛ける。
たった一人の客を乗せてどうなるのか。
こちらもそんな贅沢をするつもりはない。
初め
「ノ、グラシャス」
と言っていたが、それが
「ノ」
になり、しまいには僕は彼らを黙殺して通りすぎた。

 カテドラルは目と鼻の先だ。
サンピエトロ(ローマ)、セントポール(ロンドン)と並ぶ、ヨーロッパの三大カテドラルと言われているそうで、界隈のどこからもその林立する尖塔が見え隠れしていた。
入口を間違えると広い敷地を一回りしなければならないぞ、と思いながらずんずん入ったところは「出口」。
思わず
「オォッ サリダ(出口)」
と呟いたら、出ていくスペインのお年寄りにけらけらと笑われた。
これも「ほほえみのセビージャ」か。
自分の心身が常態を取り戻しつつあるから「ほほえみ」を受信できるようになったのだろう。
結局、カテドラルを一周してしまって、ビルヘン・デ・ロス・レイエス広場に面したパロス門からようやく中に入る。

 入場料が無料だった。
発行してくれたチケットにはFESTIVOS NUR 0 PTAS とあった。
通りすぎるとオレンジの広場。太陽が傾いているせいか、その名に似ず、大きな聖堂の影になって陰気な庭である。

 堂内は聞きしにまさる広さである。
どちらが正面か分からないほどだ。
イスラームのメスキータをカトリックの聖堂に改修し、次々に増築した(それもムーアの技術者を使役して)というのも、内部を分かりにくくしている原因かもしれない。
アラバスター(雪花石膏)の祭壇(祭られているのはセビージャの守護聖母ビルヘン・デ・ロス・レイエスだ)、ぐるりと巡らせた鉄格子、コロンブスの墓、ムリーリョと彫刻群、黄金と象嵌細工、大理石とバロックと祭壇背後の衝立と説教壇……。
とてもとても脳裏に残しきれない。

 人々の佇む様態も様々で、並んだ机にしゃがんだり、組んだ手を額にあてていたり、全く関係なく愛を語らっていたり……てんでんばらばらだ。
ときおり正面に進み出て、例によって右ひざを着いて胸で十字を切る人も居る。
親指・人指し指・中指で塩をつまむような恰好でおでこや胸にあてる。
三本の指はキリスト教の三位一体を意味するという。

 見上げると遙か上方のドームの窓は、イエスを中心に使徒やら聖人一人ずつのステンドグラスで飾られている。
壁の像をスポットライトのように の窓からの日差しが照らしている。
光の中に像たちはひときわ壁面から浮きでているように見える。

 壁にはムリーリョの『聖アントニオ』。
髭が生えたばかりの若々しい聖人。
前に置かれた聖書の上に幼子イエスが微笑んでちょこんと座っている。
身をかがめているアントニオの顔は感動と喜びで輝いている。
美術館で見たムリーリョの膨大な作品群も素晴らしかったが、『聖アントニオ』はひときわ感動的で、いつまで見ていても見飽きないような思いがした。

 コロンブスの棺を担いでいるのはレオン、カスティーヤ、ナバラ、アラゴンの四国王だという。
それぞれ城や獅子や各国の紋章のついた前掛けをしている。

 プラテレスコ様式のヒラルダ(風見)の塔に上る。
最上階まで馬に乗ったまま登るために四角のらせん形の通路がつけられている。
思ったより幅がある。
このくらいないと馬体が回っていけないのかもしれない。
単車で上がることも不可能ではなさそうだ。
足元は石板を縦に埋め込んであって、すり減った床からわずかにその縁が覗いている。
こうでもしなければ蹄が滑って安心して乗馬していられないだろう。
茶室の露地などで古瓦を縦に埋めてあるのと同じ手法だ。
それにしても勾配はかなりのもので、下る時には騎乗している者は肝を冷やしたろう。

 四角に動きながら上っていくのだが、四方の壁の交互に階数を表す数字が書かれている。
一ケタ代でふうふう言っている体格のいい婦人が居る。
どこでも見かける光景だが、前を行く男性の持つバンダナの端を、後ろの女性がしっかり握って引っ張られて行く姿もある。
一〇や一五では済むまいと思われたが、二五を過ぎても数字が終わる様子はない。
上る者が下る者に
「あと何階」
と尋ねる心理も万国共通だ。
下る者が
「もう少し、がんばって」
と答える善意の嘘も。

 昼間呑んだビールのせいか、かなりのどが渇く。
てっぺんに着くまでにはみんな汗になって出てしまいそうだ。
壁面には所々に窓が切ってあって、ぐんぐん市街が下になる。
結局三〇と何番かで塔のてっぺんに出た。
聖堂になってから屋根の風見には信仰を表すコンスタンチンの旗を持った女神ヒラルダが祀られた。
九十八mのスペインで最も高い光塔ミナレットだという。
チャペックはこの塔の複雑な有り様を「ローマ風な基礎に、ムーア風のぜいたくさ、そしてカトリックの主題」と形容している。

 アンデルセンが紹介している逸話だが、これまたドン・フアン・デ・マラーニャというセビージャ一の金持ちの息子が、放蕩を尽くした挙げ句、傲慢にも女神ヒラルダに、塔から降りて一夜を共にしないかと呼びかけたという。

 「彼女は、その大きな銅の翼を震わせて、うなりをあげて宙を切り、のちに戯曲のなかで軍司令官の大理石像が響かせたような重々しい足音を響かせて訪れた。だが、深夜、人通りの絶えた森閑とした通りをドン・フアンが家路についたとき、突然嫋々たる余韻を響かせて音楽が聞こえ、たいまつの光が目を射たと思うと、長蛇の列を組んで葬列が近づいてきた。棺台の上には銀と絹の布に全身をくるまれて死者が横たわっていた。
『いったい、今夜葬られるのは誰なのだ』ときくと彼の耳もとに答えの声が鳴り響いた。
 『ドン・フアン・デ・マラーニャでござる』」


 怪談としてはかなり怖い。
一説によると、カリダド慈善病院を作った修道士はこちらのドン・フアンだったという。
「のちの戯曲」とはティルソ・デ・モリーナの『セビージャの色事師と石の招客』である。

 せっかくここまで上ったのだからと四方の眺望をカメラに収める。
見下ろしても聖堂の大屋根や大アーチ、迫り持ちの支えの無数の肋骨リブたちが小さく見えないのだから、その規模の大きさが知られる。
にょきにょきと筍のように尖塔が突き出ているのを上から眺めるのも奇妙な感じがする。
目をあげるとひらべったいS字型の瓦(パンタイル)の屋根がバラ色の波のようだ。
そこにキューポラや鐘楼や胸壁が林立している。
市街に埋もれるようにグアダルキビール川が光っている。
反対側はくねくねと曲がったシエルペス(蛇)通りからサンタクルスのユダヤ人街の眩いほど白い小さな家々がぎっしりと立て込んでいる。
屋上やテラスや壁面のあらゆるところは緑や色とりどりの花で埋め尽くされている。
その生の横溢を冷却させようというのか、あの中には命Vida、死Muerta、水Agua、胡椒Pimienta、栄光Gloria、棺Ataud 、十字架Crucesなどと名付けられた小道が、毛細血管のように張りめぐらされているのだ。

 聖堂のドームの下の巨大空間は、市街のこの密集した狭隘な空間との対比のためにわざわざ造られたのだとさえ思えた。
市場メルカドの天幕の下よりも、広場よりも巨大で自由な空間。海のなかにそそり立った巨峰とでもいうのか。
セビージャはキリスト教化が遅れた地域だという。一四〇六年から約一世紀をかけて改修したこの聖堂の巨大さは、ここに理由があるかもしれない。

 下るのはあっという間だ。
聖堂に下りきろうとする時、年配の赤ら顔の老人が孫と上りかけていた。
てっぺんまでたどり着けるのだろうかと心配になる。
再び聖堂の中をあまりに広すぎるのに寄る辺ない思いを抱きながらうろつきまわる。
英語版のガイドブックを買ってみたら、最初にいきなり
「A mad idea and a colosal task. Savilles cathedralis all things to all men. 」
とあった。

 サンタクルスのユダヤ人街を歩いて帰ろうと思って、例によって地図を見るような見ないようなでどしどしシエルペス通りを進んでいく。
路地は極端に狭く、両側を高く白く広い壁に挟まれている。
その間に覗くいまだ暮れぬ空も狭く長い。
小さな窓の鉄格子からも緑や華やかな花がこぼれ落ちるように溢れている。
セビージャの鉄の窓格子レハスの細工の見事さを、チャペックはスペインの「国民的芸術」ではないかという。
「その下でセレナードをうたうのには適しているだろう」とも。

 「セビージャの街路が、家の中の廊下や、中庭のように見えるとすれば、人の住み家の窓は、壁にかかる鳥籠だ。……セビージャの町全体が、女性のハーレムのように、鳥籠のように見える。」

 路地の角ごとに路地の名の記されたタイル板がはめ込まれている。
通る人影もほとんどない。
どこからどこまでもこの路地がつながっていく。
歩いて歩いて、迷って迷って、またもや路地のラビリンスに幻惑されはじめる。







2008/10/31 13:49:21|スペイン
ただならぬ街・セビージャ(スペイン)の1
 バスでコルドバからセビージャまでは百三十八q。
さほどの距離ではない。

「スペイン全土で最も壮大な教会、セビージャの大聖堂があり、ムーア人を使役して出来たアルカサルがあり、ムリリョのみごとな絵画がたくさんあって、セビージャはヨーロッパ随一の興味ある町となっている。ただ惜しいかな、海だけが欠けている。このうえ海があったとしたら、セビージャは完全無欠、都のなかの都となろう。
  なんじ、花の都、至福の都、
  セビージャよ」


と謳い上げたのは、アンデルセンだ。
彼は「まさにスペインのベネチア、しかも生きているベネチアといえよう」と絶賛している。
「セビージャを見ずしてマラビーヤ(驚異)を知らず」という、どこにもあるお国自慢の類のことばもあるそうだ。

 アンダルシーアの中心、セビージャ。
モーツアルト『ドン・ジョバンニ』のセビージャだし、セルバンテスが入牢していたセビージャだ。

 何種類も見た映画『カルメン』の場面が頭をかすめる。
一九四三年にフランスで作られた『カルメン』はヴィヴィアンヌ・ロマンスのカルメンにジャン・マレーのドンホセ。
最初カルメンは後ろ姿ばかりでずいぶん気を持たせるが、やっと振り向いたその容貌はびっくりするほど色っぽい。
その妖艶さを生かした悪女ぶりもかなり怖いが、どう見てもヒターノ(ジプシー)であるカルメンとは思えない。
若いジャン・マレーの油っこくてうざったいところは、ナバーラ男のホセ役にはまっているかもしれない。

 うってかわって一九八四年の『カルメン』は、全編オペラの実写盤というところで、プラシド・ドミンゴのホセにフェイス・エスハムのカルメン。
こちらのカルメンは美人ではないが、縮れた黒髪、二本出た前歯、野性的だが小柄でグラマーではなく、蓮っ葉で気が強そうで、どこにでもいそうな女だ。
けれども、はまってしまったらこちらのほうが怖そうなカルメンだった。
ただ、ドミンゴのホセは歳が行き過ぎていた。

  恋は気ままな小鳥
  誰にも飼われない
  いくら呼んでも だめよ
  気が向かないと来ない
  脅してもすかしても無駄
  むっつり屋さんでも
  好きになれば別
  何も言わない人が
  気に入ってしまったり
  恋よ 恋
  恋よ 恋
  恋はジプシーの子
  掟なんか知っちゃいない
  たとえ嫌われても
  好きは好き
  私に好かれたら気をつけな
  気をつけな
  ……
  捕まえたと思ったら
  鳥は羽ばたいて逃げた
  恋も それと同じこと
  待てば来ないし
  待たない時に来て
  行ったり 来たり
  追えば逃げるし
  避ければ寄ってくる
  恋はジプシーの子
  掟なんか知っちゃいない
  たとえ嫌われても
  好きは好き
  私に好かれたら気をつけな
  ……


 オペラの中では「ラ・ムール ラ・ムール……」と繰り返す美しいアリアである。
エスハムの歌は美しくコケティッシュで、「罪の中に生まれ、悪のなかに育った」カルメンが乗り移っているような名演だった。
普通の女の怖さだからよけい怖い。
いずれにしてもカルメンの街セビージャはただならぬところだという先入観が強い。

 バスはスペイン広場に入って行く。
広大な広場を取り巻く半円状の建物。
太鼓橋やたもとの灯火、堀……よく写真で紹介されるところだ。
広場から全貌を眺めるとスケールの大きさがまるで違う。
明朗な、雲1つない青空に霧状になって高く立ちのぼる噴水が見事である。

 「セビージャは、ほほえんでいるのだ。このことは、どうしようもない。つまり、ほかの呼び方はできないのである。セビージャは、ひたすらほほえんでいる。目とくちびるのはしにも、なにか陽気でやさしいものが遊んでいる。」(チャペック)

 時刻が早いのか、観光の人もあまりいない。
数組の家族連れくらいなものだ。
彼らを乗せた金ぴかに飾られた馬車が数台、広場をぐるりと回っている。
風船やソンブレロなんかの売店も二つか三つしか出ていない。
馬車がいるから馬糞臭いし、アブもいる。
とは言え、僕としては早くバスから解放してもらいたいというのが本当の気持ちだ。自分で歩き回りたいのだ。

 仲間の女工を傷つけてホセに連行されたカルメンが、

 「ずいぶんきつく縛ったわね」
 「痛ければ緩める」
 「逃がしてよ。同郷のよしみでさ」

 などとホセを丸めにかかる。ナバーラ出身のホセは

 「君はジプシーじゃないか」
 「そう思う? そう、ジプシーよ」
 ……
 「逃がしてくれるわね。見てたわよ。私が上げた花を抱いててくれたのね。」
 ……
 「もうだめよ。」
 「黙ってろ。話しかけるな」
 「はいはい、閣下。もう話しかけません。」


 そこでカルメンがオリエンタルなメロディで歌うのがこんな唄だ。

  セビージャの城壁そばの
  リアル・バスチアの店
  そこへ飲んだり踊ったりしに行くの
  リアル・バスチアの店よ
  でも一人で行っちゃつまらない
  好きな人を連れていくわ
  昨日まで好きだった人はいたけど
  きれいさっぱり忘れたわ
  今の私は空き家よ
  言い寄る男は皆いやなの
  だけど もう週末だから
  好いてくれる人なら いいわ
  私の心を上げるわよ
  ちょうどよかったのよ
  一緒に連れてく恋人が欲しかったから
  セビージャの城壁そばの
  リアル・バスチアの店
  そこへ飲んだり踊ったりしに行くの
  リアル・バスチアの店よ


 カルメンは後ろ手に拘束されたまま、挑発的に腰を振りながら、こんな身勝手な歌を歌ってホセを苛立たせる。
ホセはカルメンに魅了されてしまいそうな自分に腹を立てているのである。
窓から見える城壁のそばに、今もリアル・バチスアの店はあるのだろうかなどと夢想する。

  話しかけてないわ
  一人で歌っているだけよ
  そして考えてるの
  考えるのは自由でしょう
  ある兵隊さんのことを考えてるのよ
  私を好いてくれている兵隊さん
  そして私のほうも
  うんと愛してしまいそう


 思わず抱きしめようとするホセの腕から、カルメンは「小鳥」のように逃げて、また、歌う。

  その兵隊さんは大尉でも中尉でもなくて
  ただの伍長だけど
  ジプシー女には充分よ
  それで満足するわ
  「俺がお前を愛したら、お前も 愛してくれるだろうな」


とホセ。一巻の終わりである。勝ち誇ったカルメンは

  バスチアの店で踊りましょう
  マンサーニアを飲みながら
  セビージャの城壁そばの
  リアル・バスチアの店
  マンサーニアを飲んで
  踊りましょうね


 カルメンの両手の縄はほどけている。
セビージャはやはりただならぬ町である。

 荷物を解く間もなく、ホテルを飛び出した。
辺りは市街の中心からは外れている。
が、メリア・コンフォート・マカレナというホテルの名の示すとおり、「涙の聖母」エスペランサで知られたマカレナ教会がすぐそばだ。
交差点を渡れば目の前が教会で、呆気ない感じがした。
ずいぶんな人込みだなと思っていると、結婚式があった。

 どっと人々が堂内から吐き出される。
花嫁、花婿がどこにいるのかわからない。米が投げかけられて、やっとどの辺りかがわかった。
変わった習俗でもあるかと期待して近づいていったが、何のことはない、普通のウェディング衣装に包まれているだけだし、周りの人達もただの背広だ。
雇われたのかどうか、三脚を邪魔にしながら、ビデオを収録しているのも日本と変わらなかった。

 堂内に入って高くそびえ立った金ピカな祭壇には度肝を抜かれた。
中心に納まっているはずの聖母エスペランサはよく見えない。
写真を数枚取ったが、堂内は満席で像の前に進み出るのは気が引けた。
それでも見るだけならよかろうと脇から進み出て、前の人がやっているようにカトリック式に右ひざをついて見上げたが、あんまり金ピカすぎてやはりよく見えない。

 中心に赤ちゃんのように顔だけ出してくるまれた、色白の美人だが、田舎娘のようにやや赤みを帯びたほっぺたと大きめな眼が、なにか生々しくて異様な感じがした。
もとよりほっぺたの涙の粒などは見えようはずもない。
オペラ版『カルメン』の初めの方に、エスペランサを輿に乗せて担ぎだす、セマーナ・サンタ祭が映っていた。
その折見た、ちょっと小首を右に傾げて、悲しんでいるというより、困惑したような表情の聖母が、変に艶めかしかったことを思い出した。
スペイン人の聖母信仰の強さの秘密に触れたような気がした。

 さらに混み合っている売店に入ると、ポストカードはもちろん、いろんな角度で撮った聖母の像(ブロマイドだ)や、それをお守り風に納める小さな額だとか厨子を売っていた。
どれもこれも金ピカだ。
たしかにガラス玉のようにほっぺたにこびりついた涙の粒はしっかり写っていたが、異教徒の私には趣味が悪いとしか思えなかった。

 マカレナ教会の前でタクシーを拾ってセビージャ県立美術館に向かう。
歳のいった運転手は美術館がなかなかぴんと来ないらしかった。
どのあたりだろう、日曜日のせいかノミの市ロストロが開かれている。
時間があれば歩いてもいいなと思う。

 スペイン人には珍しく、ぶっきらぼうな運転手が、ここだと指さしたのは、およそ美術館らしくない真四角な外観の建物だった。
古いが、兵舎のような病院のような、学校のような建物である。
周囲には人けがない。
カップルが一組あちらこちらを覗き込んでいる。
どこが入口やらわからない建物である。
もしや休館、それともシエスタ。
シエスタには時間がはやいなと思う。
入館料金二五〇ペセタ。

 入るとすぐに広いパティオが目に入ってきた。
暗い館内の向こうにぱっと明るい不規則な立方体の空間。
タイルも美しそうだ。
そちらを散策したい気持ちを抑えて、展示スペースに入る。
見ている人も少なく、美術を鑑賞する環境としては実にいい。

 ムリーリョ、スルバランが多い。
ムリーリョの『聖母昇天』『ナプキンの上の聖女』。
『ナプキン』は修道院で御馳走になった礼に、即興で嬰児を抱いたマリアを描いたものだという。
『無原罪のお守り』は受胎告知された若々しいマリアの大きく輝いた眼が印象的である。
清潔で健康的で好もしい。
一人の天使が鳩を捕まえようとするかのように手を伸ばしている。
周囲の天使たちの好奇心に満ちた表情があどけない。
セビージャの守護聖女のサンタ・フスタとサンタ・ルフィナを描いた作品もある。
二人に肉欲を抱いた不心得者もあったというが、なんとなくうなづけるような、善い意味での世俗的な感じがある。

 ここはムリーリョの生地だ。
人生の大半をここで過ごし、この烈しい南国の太陽の光をを浴びながら制作に打ち込んだのだろう。
グレコの描く息子の像もある。
セビージャ派というものがあるのだそうだが、美術的にはかなり豊穣な土壌と思わないわけにはいかなかった。

 待ちかねたようにパティオを歩く。
思ったより小さなパティオだ。
先ずは回廊を巡りながら眺める。
四角な高い鐘楼になっている塔はムデハル様式だ。
パティオといい光塔の名残といい、かつて修道院だった頃を偲ばせる。
土を踏みながら強い日差しのなかに歩み入る。
天人花やアラヤネスなど、こぶりの花を着けた樹木が多い。
さっぱりした香りを漂わせて、回廊のたくさんの柱から流れ落ちるように咲いている花が印象的で、ベンチの老館員らしい人に尋ねると「ハスミン」と聞こえた。
ハスミン? 
ああ、ハスミン=ジャスミンかと自分のうかつさに呆れた。
列柱、軒先の円弧、それらの色合い、そこから透かし見える幾何学的な庭園の光、様々な緑やピンクの階調が気にいって写真を何枚も撮る。
こういう光と影の対照を描写するのに強い愛器のオリンパスOMを故障させてしまったことが、返す返すも悔やまれた。

 質素だが中身の充実した美術館を堪能した。
絵はがきなどを買いたいと思ったが、売店も見当たらない。
館員に聞いても
「そういう施設はない」
という。
日本と同様行政の設置する施設が「営業」に熱心ではない(面倒だとする)事情があるのだろうかなどと考える。
館員は玄関先に私を引っ張っていって、道の向こうを指さして
「あそこの店で……おや、今日はお休みか? 閉まっていますね。あそこなら本も絵はがきも置いてあるんだが。日曜だからね、バカンス・シーズンの」
とこともなげに言う。

 どうもスペイン人の発想はわからないとがっかりして、館の前の小さな公園のベンチで地図を見る。
向かいのベンチにおっさんが寝ている。
右隣でも。







とりあえず三語から
 外国に行くにあたって、現地の言葉ができればそれに越したことはない。
が、ベトナム語も広東語もヒンズー語もなんて訳にはいかない。

 そこでガイドブックであれ、本屋の立ち読みでもいいから、最低これだけはマスターしておくと断然違うように思う。

 「こんにちは」
 「ありがとう」
 「すいません」

 馬鹿にするなと言われるかもしれない。
でも、本当にこれが旅を快くさせる第一歩だ。
この三語はどんなところへ行っても、最少で大きな効果を生む。
何気なくとも空気と水のように必要不可欠な魔法のことばだと言ってもいい。

 知らない人とはむやみに口をきかないのが日本の流儀であるようだ。
ことに都会なんかではすれ違う人にやたらあいさつなんかすれば怪訝な顔をされる。
若い人ならいやな顔さえされるか、子どもなら警戒するような表情になる。
地方−平たく言えば「田舎」−へ行くとあいさつされることが増えてくる。
ことに高齢者ほど気安くあいさつをかけてくれる。
ついでに質問やおしゃべりが始まってしまうことさえある。

 知らない人にはあいさつをしない、知っている人にも最小限ですましたい、これが都会である。
警戒心と人間関係の淡さからである。
知らない人にはあいさつをする、知っている人には懇切丁寧にあいさつする。
これが「田舎」である。見ず知らぬの人への警戒心まじりの好奇心、日常通りの共同体を安全に快く維持していくためのあいさつである。

 ニューヨークやパリならいざ知らず、旅行で訪れる世界の各地の流儀は圧倒的に前述した日本の「田舎」と同様であるように思う。
街路であれ、ホテルの廊下であれ、エレベータの中であれ、美術館であれ、ショップであれ、袖触れあえばもちろん、
すれちがっただけでも、何かを手渡されても、必ず「こんにちは」「ありがとう」「すみません」である。

 びっくりし、あわててオウム返しをしていた私は、ある時、先手を打ってこっちからあいさつをかけてみた。
スペインでのことだが、店に入りながら

「オーラ ブエナ!」

と言ってみた。現地の人が

「ブェナス」

の後を省略して、どちらかと言えばだらしなく言うのを真似してみたのである。
相手はちょっととまどうが、

「オーラ、ブェナスディアス!!」

とにこやかにあいさつを返してくれる。
そこですかさず今度は「ブェナディアス!」。
これだけで至極気持ちがいいし、なめらかな空気が作れた。
これからこの人と関わりを持つ数秒から数時間、数日間の快適さが予測できるのだった。
それに気づいてからというもの、私はホテルの廊下ですれ違う人にも、エレベーターに乗り込む時にも馬鹿みたいにこれをやってみた。
するととても居心地がいいのである。

日本での、都会の流儀がどこでも出るせいか、日本人でこれができない人はずいぶん多い。
前述したような場面でも黙りこくっていることが多い。
相手との間に物や金が介在するような場面でも「むっつり」ですませてしまい、妙に空気が緊張することもある。
同胞である私にはシャイだったり、言葉に自信がないことを意識しすぎたせいだと分かるのだが、相手にはそれが理解されているようには思えない。
肌が黄色くて、黒髪で切れ長の吊り目の黒目、しかもかなりの金額を迷わず突き出し、黙って釣りを受け取っている日本人。
これはずいぶん傲慢な、相手を馬鹿にした態度と取られているようなのである。
あるいはどこでも片言の英語で押し通そうとする。
それがうまくいかないと「チェッ」とは言わないだろうが、諦めた顔になる。
それが相手には、また、小馬鹿にしているように見えるらしいのだ。

そこまで相手の歓心を買うことはないじゃないかと言うかも知れない。
が、私は一人旅を安全に快くするコツを言っているのだ。
相手と自分とは一人の人間として当然のことながら対等である。
この土地にも、あなたにも親近感を持ちたいと思っている……。
日本人だって無表情な化け物ではなく、普通の人間だということをわかってもらいたい。
これこそ旅を楽しく安全にする必須条件だ。

そこまで大げさに言わずとも、旅では−ことに海外旅行では−いつも以上にテンションを高くしておく方が楽しいに決まっている。
ふだん沈鬱な者でも、見知らぬ異国では誰が見ている訳でもない、「あのヒトいつもと違うよ、どーしちゃったんだろう」とは絶対言われない。

で、親近感を醸し出すには現地語に限る。
で、基本は「こんにちは」「ありがとう」「すみません」の三つでいい。
これで、オーバーに言えば、世界観が変わる。

まず、空港の税関のパスポートの検査官から始めてみる。
さりげなく

「ガラーシャス」

 公務員というのはどこでも尊大なものだが、いやな顔をする検査官は先ずいない。
「おや」という顔をしながら言うのはどこの国だって、

「いい旅を」

くらいだから困ることはない。
日本人の代表になったようなつもりで、今度は副詞を付けて「ムイ ガラーシャス」と繰り返す。
できれば一呼吸おいて、相手の目を見ながら、ちょっと微笑んでゆっくり言うのだ。

これがうまくいったらショップでも、ホテルでもやる。
うまくするとディスカウント交渉もスムースに運ぶかも知れない。
で、欲が出て、「もう二、三語使ってみるか」となったらなおさら楽しくなる。

現地語が気恥ずかしいのなら、日本語だってかまわない。
やはり、相手の目を見て、静かに、ゆっくり、

「こんにちは」
「ありがとう」
「すみません」

この声音とともに気持ちが伝わらないことは、先ず、ない。







『近畿へ』
 各地の絵葉書やらマップやらの入った函に『近畿へ』(!)という、書名らしからぬ題名のついた小冊子がある。
遙か昔、私が高校生だったときの研修旅行の資料だ。
色んな物をなくす癖のある私だし、なくすまいと特別心掛けていた訳でもないのに、これだけは不思議になくならない。

 開いてみると法隆寺とか唐招提寺とか幾つかの寺院の名前に○印が付けられている。
中宮寺の弥勒菩薩の小さな写真があったと思われる処が切り抜いてある。
どうしたのか覚えがない。
それほど大切に活用した形跡もない。
が、『近畿へ』は不思議になくならない。

 覚えているのは、新調した皮靴がどうしようもなく痛かったこと、それに隣のクラスのエノモトさんが平安神宮の池に真っ逆様に落ちた事、ササモト君が変な土産物を売りつけられた事ぐらいだ。
旅行直後に、いやに塔ばかり多い写真を整理していて、どこがどこやら分からなかったくらいだ。
若い担任のナカザワ先生が
「カメラの眼で観るのではなくて、心の眼で観なさい」
と言われたが、自分は「心の眼」で観られなかったのだと、恥ずかしく思った覚えがある。

 ここ十年近く、毎年、何日か奈良を歩く。
歩かないとなにか忘れ物をしたような気がするし、何となく落ち着かないのは、あの函の中で不思議になくならない『近畿へ』のせいに違いないと、私は思っている。(福岡哲司・甲府一高「研修旅行のしおり」一九九六・一〇)
写真:奈良町あたりの家並み








ウリ・ナラ
 フリークを自認しているぼくは、毎年いっぺんは奈良を訪ねる。
たいていは冬休みに入ったころだ。
真夜中に家を出て、カーラジオのFMでクリスマスマス・ソングなんかを聴きながら近江大津SAまで行く。
仮眠をとって、また車を走らせる。
京奈和バイパスから国道二四号線を橿原めざして下る。
どこでも質素だがモーニング・サービスがある。

 朝の七時には、飛鳥を一望する甘橿丘のてっぺんに立っている。
こんなに早い時間に、田んぼで藁を燃やす薄青い煙が上がっている。
淡い黄土色の風景の中に暗い緑の木立、点々と光る池、うだつを備えた立派な瓦屋根に白壁。
目に優しい。
千三百年という時間が人間の愛憎や争い、悲哀を風景の中に包み込んでしまっているからだろう。

 奈良へ行って何をしているかといえば、ただ歩いている。
気が向けば写真をとったりスケッチをしたりする。
でも、たいていは歩きながらいろんなことを考えているだけだ。この一年のことや知人のこと、仕事のこと、昔読んだ小説のなかの台詞、自分にとって未解決のこと……など、常に色合いを変え、前置きもまとまりもなく、なんの脈絡もない。

 それなら奈良でなくとも、どこでもいいようなものだ、と言われるかも知れない。
たとえば、京都。
けれども、京都は車を勝手に置くあぜ道もないし、通行量も多い。
行きたいはずの田舎へ行けば道は狭いし、人も多い。ぼんやり歩くというわけには行かない。
浮かんでは消える様々な想いからふと目を上げると、畑の向こうの森の上の空に五重の塔の相輪が見えてあぁっと思う。
そんな時間を京都は許してくれない。
つい百三十年前まで首都だった町は、人間の喜怒哀楽がまだ渦巻いているような気がする。
まだ喜怒哀楽だらけのぼくを、包んでくれほど京都は寛容ではない。

 雪の舞う中をヨーロッパ系のお嬢さんが一人で歩いている。
目が合うと近づいてくる。
私の使えることばは英語と甲州弁だ!
 −中宮寺、ドコデスカ?
きれいな日本語。
ダウンにディパックにスニーカー、濡れないように懐につっこんだカメラとマップ。
ここいらを歩く者はみんな同じなりだ。
彼女の「奈良」は日本文化の勉強の材料だ。
ぼくは勉強するでもなく観るでもなく、自分勝手に奈良を身体で感じている。
もちろん百済観音独り占めなんてぜいたくもできるけれど。

 「ウリ・ナラ」と言えば朝鮮語で「私の国」の意味だという。
煤払いの住職に
「へぇ、山梨から? 年の暮れにいいご身分ですな」
とからかわれながらも、また、ぼくは冬の奈良を尋ねるだろう。
暮れの日曜であろうがなかろうが大きなお世話。
邪魔はしない。

 ウリ・ナラ。ウリ・ナラ。(福岡哲司・甲府一高「研修旅行新聞」一九九六・一〇)
写真:当麻寺門前のひなたぼっこ猫