新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/10/29 17:12:20|本・読書・図書館
大人は「私のあの『時』の一冊」を語れ
 以前『本の本』という一書をものして、自分の子ども時代からの本や本屋、図書館や読書の思い出のようなものを暢気につづったことがある。
こういうテーマだとそれぞれ思い出を喚起されることがあるのか、読んでくれた人の何人かから各自の読書体験を聞かされた。
改めて誰にも大事な読書体験はあるものだと痛感したものである。

 誰もが日頃からこういう話しをもっとすればいいのである。
同世代の共感を持つこともあろうし、異世代へに新たな敬意も抱けよう筈だからである。
読書というのは、各自の「時」と密接に関わっていて、各自の内面に深く食い込んでいるものだから、話しを聞いて同世代の共感や異世代への敬意も抱けるのである。

 本当なら、遠慮せず、大人は子どもに語るべきなのである。
親なら子に、教師なら児童生徒に……。
うざったく思う者もいるかも知れないが、その読書体験が真に大人の「時」に関わるものであるならば、必ずや多くの子どもの心を動かし得ると、私は信じる。
たとえ、一瞬そっぽを向いていたにしても……。
そして、中には自分もその本を読んでみようかという子どもも現れるかも知れない。
もちろん、その子は彼(彼女)なりの「時」の必然性からその本を読もうとするのであるが……。

 読書指導とおおげさなことを言わずとも、親や教師は「私のあの『時』の一冊」を臆面なく語ることがあってもいいではないか。
そうでなくとも、最近大人が子どもや若い世代に臆面もなく語ることを気兼ねしているような気がしてならないのだから。
そのことは組織や世間のためにはちっともなっていないどころか、悪くしているような気さえ、私はするのである。
写真:椎名誠氏と(1994年・開高健賞授賞式で)







2008/10/29 16:57:05|ことばグルメ
三井甲之『墓碑銘−石にしるすことば』
三井甲之『墓碑銘−石にしるすことば』

コノ石ハ
天地(アメツチ)ノアヒダニアリテ
天地ニツラナリテ
ココニアリ。
コノ石ニ
コトバヲシルス。
人ハ死スレドモ
コトバハ生キテ
イノチヲツナグ。
コノツナガリハ
地上ノサカヒヲコエテ
ヘダテナキ宇宙ニヒロゴル
コトバコソ
カギリナキ生命ノシルシナレ。
イマソノコトバヲシルス。
ワガイノチノシルシナリ
ココニシルスヤマトコトバハ。


 「日本近代文学大事典」(講談社)の三井甲之の項の末尾近くには米田利昭によるこういう記述がある。

 大正中期から反動化し、小作争議に対立して、昭和三年しきしまのみち会をはじめ、明治天皇御製拝唱運動を、てのひら療治に結びつけるなど右翼イデオロギーとして活躍した。

 そして、靖国神社の遊就館に掲げられている、

ますらおのかなしきいのちつみかさねつみかさねまもるやまとしまねを

が引用されている。

 三井甲之の大方の評価はこういうところにあるのだろう。
けれども、私には、明治のロマンチストだった彼の表現は、戦前、戦中、戦後、そして、今もなお、「右翼イデオロギーとして」利用されていると感じる。

 彼の真骨頂は、人と人をつなぐ「ことば」したがって「歴史」という人間の営為の連続性への信頼である。
二・二六事件の際の軍による取調などのエピソードを見れば、軍部でさえ(軍部の方が)、彼と北一輝などとの相異が分かっていたことが知られる。

 『墓碑銘−石にしるすことば』を読み返す度、厳粛な気持ちと共に、時空を超えた人と人とのつながりに希望を見いだせる思いが、私はいつもするのである。

写真:三井家門前で(右から4男広人氏、私、広人夫人)
 







2008/10/28 21:13:17|ことばグルメ
ミニヨンの歌
其一

「レモン」の木は花さきくらき林の中に
こがね色したる柑子は枝もたわゝにみのり
青く晴れし空よりしづやかに風吹き
「ミルテ」の木はしづかに「ラウレル」の木は高く
くもにそびえて立てる國をしるやかなたへ
君と共にゆかましspan>
訳詩集「於母影」より
ゲーテ「ヴルヘルム・マイスターの修業時代」の、おそらくは森鴎外の訳。


 十代の終わりに訳詩集「於母影」を読んで、一番胸に残ったのがこの「ミニヨンの歌」。
詩中の木で分かったのは「レモン」だけで、「ミルテ」も「ラウレル」も何だか分からなかった。
分からなかったけれど、空気は乾いて澄みきり、雲一つない青空に、柑橘系の花が咲いているという、日本のモンスーン気候とは全く異質のものを感じた。
こういう明澄な風土があるのだという驚き、憧れだった。

しるやかなたへ
君と共にゆかまし


ということばが身にしみたのは、その頃の私の、ただの逃避の気持ちや根も葉のない夢想だったとは今でも言いたくはない。

 後年、「ラウレル」は月桂樹で、家の庭にもあり、カレーやシチューに入れていた、それのことだと知った。

 「ミルテ」はテンニンカ(桃金嬢)という木花、別名アマポーラと言うことも知った。
「アマポーラ」という甘美なスペイン歌曲もあって、ドミンゴやカレーラスもお得意にしていて、私もカーステレオで聴くのを好んでいた。
どんなロマンチックな花だろうと長いこと憧れていたが、セビリアの離宮の庭園の壁をなだれ落ちる淡紅色の花房を見て、初めて納得した。
ここの庭園には白い花をつけた「レモン」の樹も多かった。

 「柑子」はオレンジ、他ならぬスペイン語で言う「ナランハ」である。
生のオレンジを三個ほど絞った「フーゴ・デ・ナランハ」は、スペインで私が初めて注文した飲み物だった。
フライパンの底のように空気は乾いて澄みきり、雲一つない青空の下、スペインの「柑子」の露は、我が喉を潤してくれた。

 十代の終わりに「ことば」で感動した「ミニヨンの歌」を、四十代で真夏のスペインをほっつき歩いた時、身体で感じることができたのだ。

 「ことば」が肉感されたこと、こういう経験を一つ一つ思い出しておきたい。
写真:セゴビアの日曜市で 







2008/10/27 20:32:08|本・読書・図書館
何が残るかというと……
 読書や本屋、図書館などにまつわる拙文を拾い集め、ついでに少しばかり書き足して『本の本』という本を作ってみた。
読み返してみてびっくりした。
読書は個人的な営みだとばかり思っていたが、そこには必ず人のいることに改めて気づいたからだ。
友人、親、先生、司書、古本屋の親父……。
与えられ、教えられ、挑発されて読み続け、次第に自分に必要な栄養としての本や読み方が選べるようになるのだろう。

 子どもの頃に読んで、今でも読みたい本の代表格は宮沢賢治『注文の多い料理店』だ。
子どもの私はこの中の「どんぐりと山ねこ」の葉書の言葉が面白くて、自分のところにはどうして「おいでんなさい」という招待が来ないのかと不満だった。
森の中に山ねこを探すのも馬車の別当もこわいけれど、どんぐりたちの「めんどなさいばん」は覗いて見たかった。
「からすの北斗七星」では殺された山がらすと殺したからすのことを思うとやたら泣けた。
「注文の多い料理店」の牛乳のクリームや酢の香水はいかにもおいしそうだった。
自分がときおり見る、こわいけれど、また見たい夢のようなつもりで読んでいたのだと思う。

 でも、もっと気に入っていたのは

ドッテテドッテテ、ドッテテド、
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし……

(月夜のでんしんばしら)

とか

アンドロメダ、
あざみの花がもうさくぞ、
おまえのラムプのアルコオル、
しゅうしゅとふかせ

(水仙月の四日)

とかのとびきり調子のいいことばたちだった。
だから、それがふんだんにでてくる「かしわばやしの夜」などは一等お気に入りだった。
小さい帳面に書き出して、友達や親の前でも演じてみせて、一人でおかしがっていた。
コレクションは「風の又三郎」でも「ポランの広場」でも「北守将軍と三人の兄弟の医者」でもやっていた。
今読んでも、宮沢賢治のこういうところはとても楽しく、魅力的だと思う。

 幼かった子どもから、それこそ毎晩のようにリクエストがあったのは、演技オーバーくらいに読んだ「三匹の・ヤギの・ガラガラドン」とか「バブル・バブル・パスタポット」「青虫は・その晩・おなかがいたくて・なきました」という箇所なのだった。
読書体験の初めの頃には、音声による喚起力、その印象の持続性はとても大きいと感じている。
保母になった娘は、自腹で買った絵本を抱えて、今日もいそいそ幼稚園に出掛けていく。(福岡哲司)
NPO山梨子ども図書館「会報」
写真:山猫軒(花巻市)







2008/10/27 18:08:39|甲斐の夜ばなし
お姫淵の姫と木こり
 道志村の湯本三軒家のはずれに住む木樵の吉兵衛、ある日、下駄を作る材料にしようと、道志川のお姫淵に大きく枝を広げた沢グルミに斧を入れました。
かつんかつんと斧を振るううち、吉兵衛にしては珍しく、斧を弾かれて道志川に落としてしまいました。
諦めきれない吉兵衛は、すぐさま愛用の斧を拾いにお姫淵に飛び込みました。

 聞いていたとおり深い淵でどこまで潜っても底にとどきません。
不思議なことに息は少しも苦しくありません。
なおも潜っていくと岩の洞穴がありました。
覗いてみると、目の覚めるほど美しい娘が機織りをしているのが見えました。
お姫淵の主とはこの女かと思ってかたわらを見ると自分の斧があるではありませんか。
やれうれしや、吉兵衛が、

「わしの斧を返してくれんけ」

とたずねると、姫は花が咲くように微笑んで、

「返して上げましょう。でも、一つ条件があります」

と言う。

「あなたは艶ばなしの一つや二つはご存知ですか?」

「自慢じゃねえけんど、わしゃ村一番の話し上手。艶ばなしもいくつも知っておりやすよ。どんなお堅い人でも笑わずにはいられんぐれえの」

 それは本当で、しかも、吉兵衛は夜這いも村一番、男の持ち物も五本の指にはいるという代物だったのです。

「それはよかった。私は退屈しきっているところ。こちらへ来て艶ばなしを私に聞かせてくれぬか、馳走するゆえ」

そう言うと、姫は美しい衣の裾をひるがえしながら先に立って吉兵衛を洞穴の中に案内しました。
岩の壁には色とりどりの美しい布が所狭しと掛けてありました。

「私が織ったものです、この糸で」

と指さしたのは黄金の糸管に巻かれたありとあらゆる色糸の山でした。
卓や調度は宝玉でちりばめられ、器は水晶やメノウ、ヒスイをくりぬいたものばかりでした。

「あなたが面白い話をしてくれたら、斧はもちろん、ここにあるもので好きなものを一品差し上げましょう」

と言うのです。
そして、見たこともないような山海の珍味で卓上をいっぱいにさせたのでございます。
酒は好い香りがして甘露のような銘酒でした。

「さあ、ゆっくりと御酒を召し上がりながら聞かせてください」

「お話しするけんど、お上品なお姫様にはなから下卑た話をしてたまげさせるのもどうずらか。まあ、軽いところから始めるこんにするじゃん」

「御心配はいりませんよ。あなたの得意なところをどうぞ」

 吉兵衛はおおよそ次のような話をしたそうでございます。

 わしの住む湯本にゃ冬でも温かい湯の湧くところがあって、村の者は家に汲んで帰っちゃあ風呂に入れたり、洗濯をしたりします。
なんしろ、この湯を使うと肌もつやつやと色白に、きめも細やかになるという湯でございます。

 ある夕暮れ時、村の娘が一人で湯を汲みに来ますと、村の者ではありませんが、目鼻立ちの美しい若い男が手桶に湯を汲んでおりました。

 あんまりきれいな男でしたので娘は気後れがして、黙って柄杓(ひしゃく)で湯を汲んでおりました。
若い男が急に目を輝かして、

「おや、ここに大きなハマグリが」

と言ったかと思うと、娘のしゃがんでいる前に柄杓をのばして懸命にハマグリをすくおうとします。
娘があわてて着物の裾をかき合わせますと、

「おや、ハマグリがどこかへ潜ってしまった。素早くすくえばよかった」

と湯の中を惜しそうに見つめておりました。
娘が、また、足を広げると、

「ああ、また、ハマグリが」

と、男は懸命にすくおうといたします。
娘が足を閉じると、また、消え、広げると現れるという、そのたびに男はがっかりしたり、柄杓でかき回したりという具合です。
そうこうしているうちにすっかり日も暮れて水面も見えなくなり
ました。

 男はがっかりしてすごすごと帰っていきました。

 翌日の夕暮れ時、娘は、また、湧き湯の所へまいりました。
果たして昨日の男が湯を汲むのも忘れて湯の中にハマグリがいないかのぞき込んでおりました。

 娘が湯をくみ始めると、男はぱっと目を輝かして、

「おおっ、ハマグリだ」

と夢中になってすくおうといたします。
娘はいじらしくなって、

「あなた様がそんなにほしいハマグリなら差し上げましょうか」

と言うと、男が、

「ありがたい。早速にももらいたい、お礼はあなたのいいなりに」

と言いますので、娘は

「お礼はいりませんが、私をあなたの嫁御にしてくれなければハマグリは差し上げられないのです」

と言いました。

「あのハマグリのためなら、あなたを嫁御にいたします」

ふたりはめでたく夫婦になり、おとこはハマグリを手に入れ、娘はそれに見合った立派なマツタケを手に入れたそうでございます。

 吉兵衛が話し終えると、お姫淵の姫はかわいい口を真っ白な手でおさえて笑い転げました。
頬がほんのり桜色をしているのは、お酒のせいばかりではなかったのでございます。
姫は吉兵衛にしなだれかかるようにして酒を勧めるのでした。

 姫の催促に応じて、吉兵衛は次に女が夜這いをする得意な話を念入りに語りました。
先ほどよりも露骨に手に取るようにその場面を語って聞かせました。
笑いながらも姫の頬はますます火照り、息は熱くなっていったのは言うまでもありません。

 吉兵衛と姫はそのまま寝所に入り、夢かうつつかという三日三晩を過ごしたそうです。

 やがて、吉兵衛は、村に戻りたいので斧を返してほしいと姫に頼みました。
最初、斧を隠して吉兵衛の帰るのを肯んじなかった姫も、繰り返し頼まれる内には泣く泣く諦めました。

「名残惜しいけれど、そう言われるのなら、もう、引き留めません。約束どおりここにあるもので欲しいものを一つ持っていってください。けれども、ここで見聞きしたことは誰にも言わないでください」

姫がそう言うので、吉兵衛はもともと物欲のあまりない男でしたが、黄金の糸管を一本もらって帰ることにしました。

 吉兵衛が淵からぽっかり浮かび上がってみると、そこは小善寺でした。

 家に近づくと、なにやら大勢の人でごった返しています。
吉兵衛が戸口を入ると、詰めかけていた親戚や村人たちはびっくり仰天、

「吉兵衛、おまん亡霊か。そのわりには足もあるじゃん。一体どこに行っていただぁ。お姫淵にはまったっきり上がってこねえから、葬式をやり、墓も作り、今日は三周忌の法事の最中じゃねえか」

と言うのです。
吉兵衛には三日でしたが、村では三年経っていたのです。
再婚もせず、夜這いの男で憂さ晴らしをしていた女房のタネはうれし涙にくれました。
みんな事情を聞きたがりますが、吉兵衛は姫との約束もあり、説明もつかないので言葉を濁しておりました。
村では「神かくし」に遭ったのだということになりました。

 もらってきた黄金の糸管は不思議でいくら機を織っても糸が尽きることがありません。
色も艶もすばらしい糸です。
布は織ったそばから高値で売れるものですから吉兵衛の家にはたちまち銭が貯まっていきました。
村人は、

「繭も糸繰りも前と変わらんのに、なんで吉兵衛はあんねに布が休みなく織れるんだ」

と噂して、吉兵衛の女房が機織りをしているのをそっと覗いて、たまげました。
糸管は黄金で、織っても織っても太る「糸減らずの管」でした。

 詰めかけた村人が訳を話せ話せと迫るので、困った吉兵衛、ついぽろりとお姫淵の姫のことを話してしまいました。

 と、見る間に、糸管はたちまち竹に変わり、糸はするすると減るばかり。(南都留郡道志村)
写真:道志の柳田国男「意を残す邑」碑