以前『本の本』という一書をものして、自分の子ども時代からの本や本屋、図書館や読書の思い出のようなものを暢気につづったことがある。 こういうテーマだとそれぞれ思い出を喚起されることがあるのか、読んでくれた人の何人かから各自の読書体験を聞かされた。 改めて誰にも大事な読書体験はあるものだと痛感したものである。
誰もが日頃からこういう話しをもっとすればいいのである。 同世代の共感を持つこともあろうし、異世代へに新たな敬意も抱けよう筈だからである。 読書というのは、各自の「時」と密接に関わっていて、各自の内面に深く食い込んでいるものだから、話しを聞いて同世代の共感や異世代への敬意も抱けるのである。
本当なら、遠慮せず、大人は子どもに語るべきなのである。 親なら子に、教師なら児童生徒に……。 うざったく思う者もいるかも知れないが、その読書体験が真に大人の「時」に関わるものであるならば、必ずや多くの子どもの心を動かし得ると、私は信じる。 たとえ、一瞬そっぽを向いていたにしても……。 そして、中には自分もその本を読んでみようかという子どもも現れるかも知れない。 もちろん、その子は彼(彼女)なりの「時」の必然性からその本を読もうとするのであるが……。
読書指導とおおげさなことを言わずとも、親や教師は「私のあの『時』の一冊」を臆面なく語ることがあってもいいではないか。 そうでなくとも、最近大人が子どもや若い世代に臆面もなく語ることを気兼ねしているような気がしてならないのだから。 そのことは組織や世間のためにはちっともなっていないどころか、悪くしているような気さえ、私はするのである。 写真:椎名誠氏と(1994年・開高健賞授賞式で)
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