 かなり昔のことである。山本周五郎の小説『山彦乙女』の伝奇的な(ロマンティックな)世界に魅せられて甘利山の麓を歩いた。
武田橋を渡ったところのバス停留所に「御堂入口」の文字を見い出した途端、私の胸に迫って来るものがあった。 韮崎西中学校の方へ歩いて行くと「御堂橋」。「御堂」の字(あざ)名はこの辺りに残っていたのである。 そこから山を目指して登れば武田太郎信義の墓のある願成(がんじょう)寺、さらにのして行けば武田八幡宮。
『山彦乙女』では、甘利の麓の「みどう屋敷」を本拠に、武田家の再興を願って幕閣にまで工作を続ける「みどう一族」が暗躍する。 彼らの統率者が「みどう清左衛門」。
そばへ寄ると人も獣も呑みこまれてしまう椹(さわら)池。 甲冑武者の亡霊(?)の行軍する甘利谷。 彼らが毎年四月十一日の「恵林寺様」の命日に一族の誓いを新たにする八幡宮の薪能(たきぎのう)。 そこでは美貌の姉娘・登世がかがり火に照らされて狂信的なアジテーションを行う。 財宝の入った石棺を納めた伏岩の大崩落の中、自然児である妹娘・花世(山彦乙女)と主人公の安倍半之助は生還し、「法王山」のまばゆい光に包まれる。
「御堂入口」の標識は私には異界への「入口」だった。 私はさながら甘利山に憑(つ)かれた半之助であり、この山中に正気を失い、失踪した叔父・遠藤兵庫と同類だった。 祖父も父もこの地に生まれ育った作者山本周五郎も、甘利山の毒気に当てられた一人だろう。
その時以来、何度かこの山裾を歩いているが、甘利山はいつも雨上がりの雲がかかって一度も全貌を見せてくれなかったことに、今、私は気づいた。 また、椹池は春夏秋冬、いつ訪れても、私には不可思議で不気味な池であることには変わりはない。 それは『甲斐国志』や柳田国男の『山島民譚(みんたん)集』に収められた毒蛇伝説のせいばかりではないだろう。
周五郎がその長屋で呱呱(ここ)の声を上げた大月市初狩の奥脇家も「みどう」と呼ばれていたという。 小説では、近づく者は生きて帰れないとされる「かんば沢」の地名は初狩にある。
山寺仁太郎著『甘利山』
甘利山ないしはその周辺への哀惜の念の深いことこの一書に如(し)くものはない。 山寺氏が同人誌「中央線」に昭和四十三年から同六十一年まで掲載した、大正末から昭和の終わりまでの見聞記である。 氏はこの麓に生まれ、醤油屋を営みつつ、朝な夕なこの山を眺めて暮らす。 日本山岳会員で地元の白鳳山岳会顧問だから、百回いや二百回以上も入山し、臥し、動植物から地名、伝承、ゆかりの人々まで飄逸な筆で描き出すこと氏の座談にも通じる。 氏は嘆息する。 「甘利山中から妖気、鬼気というものが散じ去って既に久しい。ロマンやファンタジーを感じなくなったという人も多い。かつて甘利山に対して感じ持った豊かな精神は、大幅に衰弱してきていると言わざるを得ない。」(福岡哲司) (二〇〇一年・山梨日日新聞社刊) 写真:椹池(さわらいけ)
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