インターネット利用の“今”
総務省の平成16年度「通信利用動向調査」によれば、インターネットの世帯普及率は平成16年には86.8%になった。
これは5人以上の事業所の81.8%を追い抜いて、従業員数300人以上の企業の98.3%に次ぐ普及率だ。
また、対人口普及率は62.3%(6歳以上)で、世代別に見れば、6歳から12歳の62.8%、つまり小学生の3人に2人がネットを使っていることになる。
13歳から19歳になると使用率は90.7%で、中高生のほとんどが利用している。
Webページ、メール、掲示板、チャット、ブログ……は、今や、小学生から高齢者まで情報取得・交換、自己表現に欠かせないツールとなっている。
一方、警察庁の「平成17年中のサイバー犯罪の検挙及び相談受理状況等について」を見ると、平成17年中の全国の検挙件数は前年比51.9%増加している。
相談受理件数は19.2%増加した。相談の内容を見ると、詐欺・悪質商法が49%で最も多く、ネット・オークション(21%)名誉毀損・誹謗中傷(7%)違法・有害情報(6%)……と続く。
増加が目立つのは不正アクセス・ウィルス(83.6%増)に次いで名誉毀損・誹謗中傷(56.9%増)ネット・オークション(28.9%増)違法・有害情報(27.9%増)……の順である。
文字情報としてのインターネットインターネット、そこに開設するWebページを例に挙げると、始まってしばらくはコンテンツに写真や動画、音源がふんだんに盛り込まれていた。
アマチュアの作るWebページもこれにならって工夫が凝らされた。ここでは文字情報は視聴覚情報に従属的だった。
その後、Webページの利用法も光ケーブル、ブロードバンド、ADSL等々が普及して格段にスピードアップした。
情報提示に充てられるサーバーの容量も大きくなってきた。アマチュアに提供されるレンタル・サーバーも同様である。
こうした環境変化の一方でWebページの在り方に変化が現れてきた。
それはこの環境変化とは一見矛盾する方向のように見えた。
容量の重い画像、動画、GIF、音源などの使用が抑制されるようになってきた。
文字情報が、再び、主役の座を取り戻しているのだ。
「顔」のない人々 ネットを利用した情報のやりとりの主流が「見せる」「見る」「聞かせる」「聞く」ことから「書く」「書かせる」「読ませる」「読む」ことへ回帰し始めたとも言える。
しかも、膨大で「顔」の見えない人々の「書く」「読む」ことのできるメディアの普及である。
様々な社会現象や事件をかいま見る時、ネット上のコミュニケーションには、古くて永遠の「書く」「読む」にかかわる課題が露呈しているように思う。
つまり、伝えたいことをいかに簡潔に「書く」かということである。
また、いかに的確に必要な情報を「読む」かということでもある。
「書く」側も、「読む」側もいかにミスリードを減らすかが、ネット上のコミュニケーションの勝負どころである。
さらに、膨大でかつ「顔」の見えない(直接対面していない)「書き」「読む」人々の存在から生じるコミュニケーションの不都合も感じないわけにはいかない。
すなわち、誤った情報が出回り、人々が容易に振り回されるおそれもあること。
あるいは、意識的にミスリードを誘う情報提示の仕方、親しい者も含む周囲への無気味な悪意・憎悪の垂れ流し。
「書く」「読む」修練を ネットを使った文字中心の、従って直接「顔」が見えないコミュニケーションでは、「書く」「読む」にあたって様々な配慮が必要となってくる。
たとえば、誤解を生むような感情的な言辞を「書く」ことは止める、また、主観的に「読む」ことはしないという点である。
「顔」の見えないコミュニケーションでは、「書く」際に、サディスティックな言辞やロマンチックな表現を使いやすい。
また、「読む」際に、書かれた文字面にむやみに激昂しやすくなる、あるいは過度に感情移入し過ぎることがある。
しかも、取り返しがつかない。
いったんアップされた言辞はネット上から消滅しづらいからだ。面と向かってできないことは、ネット上でもしないのがエチケットでもある。
対面可能な者同士のネット利用上のトラブルは、感情だけでは済まなくなることもある。
佐世保の不幸な事件は、こういう背景のもとに起こってしまったものだ。
山梨県総合教育センターが、いち早く「
児童・生徒をとりまくインターネット社会の問題理解と指導−知ってる?ネット社会の落とし穴」(平成16年7月※)をまとめるに当たって重視したのは、ネットを利用したコミュニケーションの特異性であり、それを保護者、教師は知らねばならないという深刻な認識からだった。
「国語力向上」「文字・活字文化振興」 インターネットの利便性を、我々はもはや手放すことはできない。
児童・生徒に「使うな」と言うのはアナクロニズムだろう。
しかし、だからといって「書く」「読む」ことの修練は不要だ、もっと気軽に扱っていいとは決して言えない。
ICTのスキル習熟の一方で、きちんと「書く」こと、「読む」ことが出来るための修練は、初等教育の段階からいっそう必要だろう。
この認識はネット環境を提供している教師や保護者にとって欠かせない。
文化審議会の提唱する「国語力」の向上の課題からも、この視点ははずすわけには行かない。
昨年7月、文字・活字文化振興法が制定された。
思うことは、一つには「文字・活字文化」は紙に印刷されたメディア(本)ばかりではないということである。
ネット上の記述は、児童・生徒から高齢者まで誰にも使いやすい「文字・活字文化」であり、それだけに、膨大で日々増殖している。
また、「振興」の語を、たくさん書こう、たくさん読もうと単純化して捉えていてはいけないだろうということでもある。
「振興」は「文字・活字」をいかに的確、客観的に「書く」「読む」かの修練と両輪として考えられるべきだ、と考える。(月刊「視聴覚教育」二〇〇六・六)