新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2008/10/20 13:01:05|樋口一葉
樋口一葉が五千円札になったのは
 樋口一葉を紙幣の「顔」にしたねらいを財務省のホームページで大臣政務官がこう述べている(十四年八月)。 五千円札の肖像は、数々の名作を世に残し、比類のない美しい文体から高い評価を得ている明治時代の小説家である樋口一葉としました。 次に列挙する人物名を見てほしい。 野口英世福沢諭吉夏目漱石、坪内逍遙、九代目団十郎、新島襄、狩野芳崖、内村鑑三、樋口一葉、森鴎外、正岡子規、菱田春草、西周、梅謙次郎、木村栄、新渡戸稲造、寺田寅彦、岡倉天心 これは昭和二十四年から二十七年にかけて発行された「文化人切手(第一次)」の顔ぶれだ。ゴシックで示した人物が紙幣になっていることに気づくだろう。 切手、紙幣は国立印刷局(旧造幣局)で作成される。財務省の理由付けは前のとおりだろ。けれども、官庁は前例を重んじ、冒険を嫌う世界である。慣れ親しんだ政治家を止めて文化人を採用する方向を決めた際、この「文化人切手」が担当者の念頭に浮かんだことは考えられる。 女性では誰を候補とするかか。平成四年から十七年まで発行された文化人切手(第二次)を含めても与謝野晶子、中村汀女(ていじょ)の二人しかいない。文学者、教育者あるいは女性の自立の提唱者、さらには母親としてのスーパーウーマンぶりから言えば与謝野晶子でもよかったのだ。 けれども、これまた「序列」を重んじる官庁でもある。文化人切手への登場の早い樋口一葉に決まったのは自然の成り行きだった。 ちなみに明治期に神宮皇后が紙幣に刷り込まれたことはある。現行の二千円札の裏面は紫式部だ。実在の女性としては紫式部、一葉の二人だけが紙幣を飾っていることになる。(福岡哲司)







2008/10/20 12:55:23|深沢七郎
本陣の子・深沢七郎
 深沢七郎はデビュー作『楢山節(ならやまぶし)考』のイメージから極貧の農村に生まれ育ったと思われやすい。ところが、彼の生まれたのは甲州街道の石和の中心の市部(いちべ)である。ドイツ渡りの機械を使う山梨県下の印刷業の草分けで、アメリカ車のハドソンでタクシー業も営んでいた。  彼は大正三年生まれの四男坊だが、すぐ上の兄までは甲府の生まれだ。甲府の家は十七世紀までさかのぼることの出来る甲州街道甲府柳町宿の本陣だった。時代により八佐衛門、藤右衛門、庄太郎の名を世襲し、宿駅制度の廃止まで名字帯刀を許されていた。廃止直前の明治四年の本陣藤井屋深沢庄太郎は間数二一、座敷畳数一六七畳半で門構え、玄関付きだった。  甲州街道を利用するのは諏訪高島、伊那高遠(たかとう)、同飯田の三藩とその家中の者である。往来には多くの家臣を率い、大名は本陣、家臣は旅籠に分宿した。門前に関札を建て、定紋入りの幔幕(まんまく)を張りめぐらせた。将軍に献上される宇治茶を運ぶいわゆるお茶壺道中の採茶使の「御宿」にも用いられた。合間には名代の役者や絵師等が逗留(とうりゅう)することもあった。  甲府は天領である。本陣は休泊の役割だけでなく、甲府代官所から旅人の出入りの管理はもとより、甲府柳町宿全体の民政も任されていた。嘉永七年、衰微する宿を活性化させるべく、停止されていた飯盛女の許可について旅籠屋一同から嘆願書が出された。本陣庄太郎も家持惣代、駅年寄、脇本陣と共に奥書して差し出している。慶応元年には長州再征のため将軍家茂が江戸を進発する際の冥加金一五両を上納した記録もある。  七郎によれば、維新後は売り食いで過ごしていたが、やがて家を売り、石和へ引っ込んだという。彼には生涯、生活のために稼ごうという意識はなかった。ギター、文学、農業、……は「道楽」で始めたものがいつしか周囲に意味づけされてしまったとも言える。(福岡哲司)







2008/10/19 20:43:02|本・読書・図書館
全集カムバック
 昭和三十年代後半、高度経済成長と軌を一にしたのか全集ブームというのがあって、各社が日本文学、世界文学、哲学、歴史などのシリーズを続々出し始めた。

 私は高校へ入る段階で、「少年少女」と冠された全集はもう卒業だとばかりに、世界文学全集を取り始めた。
河出書房新社の世界文学全集〈全二五巻〉で、昭和三九年〜四〇年にかけてのことだった。

 そのラインナップはこうである。訳者は煩雑だからいちいち示さない。

1 シェイクスピア ハムレット、オセロー、ロミオとジュリエット他
2 ゲーテ ファウスト、若いウエルテルの悩み
3 スタンダール 赤と黒
4 バルザック 谷間の百合、ウジェニー・グランデ
5 ディケンズ 二都物語、クリスマス・キャロル
6 C・ブロンテ ジェイン・エア
7 E・ブロンテ 嵐が丘、詩
8 ポー 黒猫、アッシャー家の崩壊他
9 フローベール・モーパッサン ボヴァリー夫人、女の一生
10 ドストエーフスキイ 罪と罰
11 トルストイ アンナカレーニナ
12 チェーホフ・イプセン 桜の園、三人姉妹、人形の家、ヘッダーガブラー他
1314 ロマン・ロラン ジャン・クリストフ
15 プルースト 花咲く乙女たちのかげに
16 ヘッセ 郷愁、車輪の下、知と愛
17 ロレンス 息子と恋人
18 モーム 月と六ペンス、雨、赤毛他
19 魯迅 阿Q正伝 狂人日記他
20 パール・バック 大地
2122 ミッチェル 風と共に去りぬ
23 ヘミングウエイ 誰がために鐘は鳴る
2425 ショローホフ 静かなるドン


 通常巻は四八〇円、やや厚いのが「風と共に」で五八〇円、「アンナ・カレーニナ」「ジャン・クリストフ」「大地」「静かなるドン」が六八〇円。

 配本されれば、日も夜もなく没頭し、読み終えれば。翌月の配本を首を長くして待つという有様だった。
配本されてもいい日柄なのに遅れる月があると、本屋に催促したり、自分で取りに行ったありしたこともある。

 その頃は自分でもそんなことは思っても見なかったし、今見れば全集としての選書に問題がなくはないけれど、ああいうかたちの全集は、これだけは読んでおかなければという基準の一つであったように思う。
読み終えて棚が順に埋まってゆく、やがてはずらりと並んだ壮観……。
これは自信ともなったし、鼻持ちならない誇りでもあった。
今、個々に単行本として次々に購入して読むかと言われれば、読み通す自信はない。

 選書としての問題というのは、映画化を意識しすぎているかもしれないという事である。
とは言え、これらを元とした映画を私はほとんど真面目に見ていないし、見る気もしない。
原作の読書で大たくさんで、銀幕の美男美女にはあまり関心はない。

 高校一年生ほどの自分が、これだけの作品群をどれだけ消化できたか怪しい物であるが、とにもかくにも、まるまる二五か月の間というものこの全集に没入できたのである。

 思春期の一時期、こういう気持ちにさせてくれる全集、これが読むべき本ですよと示された本の塊は、今でもあってもいいのでないかと思う。
出版社はこわくてこんな計画にはのりだしそうにもないが、個人が子どもために、孫のために、生徒のために、作ることは不可能ではないのである。







ネット社会の「書くこと」「読むこと」
インターネット利用の“今

 総務省の平成16年度「通信利用動向調査」によれば、インターネットの世帯普及率は平成16年には86.8%になった。
これは5人以上の事業所の81.8%を追い抜いて、従業員数300人以上の企業の98.3%に次ぐ普及率だ。
また、対人口普及率は62.3%(6歳以上)で、世代別に見れば、6歳から12歳の62.8%、つまり小学生の3人に2人がネットを使っていることになる。
13歳から19歳になると使用率は90.7%で、中高生のほとんどが利用している。
Webページ、メール、掲示板、チャット、ブログ……は、今や、小学生から高齢者まで情報取得・交換、自己表現に欠かせないツールとなっている。

一方、警察庁の「平成17年中のサイバー犯罪の検挙及び相談受理状況等について」を見ると、平成17年中の全国の検挙件数は前年比51.9%増加している。
相談受理件数は19.2%増加した。相談の内容を見ると、詐欺・悪質商法が49%で最も多く、ネット・オークション(21%)名誉毀損・誹謗中傷(7%)違法・有害情報(6%)……と続く。
増加が目立つのは不正アクセス・ウィルス(83.6%増)に次いで名誉毀損・誹謗中傷(56.9%増)ネット・オークション(28.9%増)違法・有害情報(27.9%増)……の順である。

文字情報としてのインターネット

インターネット、そこに開設するWebページを例に挙げると、始まってしばらくはコンテンツに写真や動画、音源がふんだんに盛り込まれていた。
アマチュアの作るWebページもこれにならって工夫が凝らされた。ここでは文字情報は視聴覚情報に従属的だった。

 その後、Webページの利用法も光ケーブル、ブロードバンド、ADSL等々が普及して格段にスピードアップした。
情報提示に充てられるサーバーの容量も大きくなってきた。アマチュアに提供されるレンタル・サーバーも同様である。

 こうした環境変化の一方でWebページの在り方に変化が現れてきた。
それはこの環境変化とは一見矛盾する方向のように見えた。
容量の重い画像、動画、GIF、音源などの使用が抑制されるようになってきた。
文字情報が、再び、主役の座を取り戻しているのだ。

「顔」のない人々

 ネットを利用した情報のやりとりの主流が「見せる」「見る」「聞かせる」「聞く」ことから「書く」「書かせる」「読ませる」「読む」ことへ回帰し始めたとも言える。
しかも、膨大で「顔」の見えない人々の「書く」「読む」ことのできるメディアの普及である。

 様々な社会現象や事件をかいま見る時、ネット上のコミュニケーションには、古くて永遠の「書く」「読む」にかかわる課題が露呈しているように思う。
つまり、伝えたいことをいかに簡潔に「書く」かということである。
また、いかに的確に必要な情報を「読む」かということでもある。
「書く」側も、「読む」側もいかにミスリードを減らすかが、ネット上のコミュニケーションの勝負どころである。

 さらに、膨大でかつ「顔」の見えない(直接対面していない)「書き」「読む」人々の存在から生じるコミュニケーションの不都合も感じないわけにはいかない。
すなわち、誤った情報が出回り、人々が容易に振り回されるおそれもあること。
あるいは、意識的にミスリードを誘う情報提示の仕方、親しい者も含む周囲への無気味な悪意・憎悪の垂れ流し。

「書く」「読む」修練を

 ネットを使った文字中心の、従って直接「顔」が見えないコミュニケーションでは、「書く」「読む」にあたって様々な配慮が必要となってくる。

 たとえば、誤解を生むような感情的な言辞を「書く」ことは止める、また、主観的に「読む」ことはしないという点である。
「顔」の見えないコミュニケーションでは、「書く」際に、サディスティックな言辞やロマンチックな表現を使いやすい。
また、「読む」際に、書かれた文字面にむやみに激昂しやすくなる、あるいは過度に感情移入し過ぎることがある。
しかも、取り返しがつかない。
いったんアップされた言辞はネット上から消滅しづらいからだ。面と向かってできないことは、ネット上でもしないのがエチケットでもある。

 対面可能な者同士のネット利用上のトラブルは、感情だけでは済まなくなることもある。
佐世保の不幸な事件は、こういう背景のもとに起こってしまったものだ。
山梨県総合教育センターが、いち早く「児童・生徒をとりまくインターネット社会の問題理解と指導−知ってる?ネット社会の落とし穴」(平成16年7月※)をまとめるに当たって重視したのは、ネットを利用したコミュニケーションの特異性であり、それを保護者、教師は知らねばならないという深刻な認識からだった。

「国語力向上」「文字・活字文化振興」

 インターネットの利便性を、我々はもはや手放すことはできない。
児童・生徒に「使うな」と言うのはアナクロニズムだろう。
しかし、だからといって「書く」「読む」ことの修練は不要だ、もっと気軽に扱っていいとは決して言えない。
ICTのスキル習熟の一方で、きちんと「書く」こと、「読む」ことが出来るための修練は、初等教育の段階からいっそう必要だろう。
この認識はネット環境を提供している教師や保護者にとって欠かせない。
文化審議会の提唱する「国語力」の向上の課題からも、この視点ははずすわけには行かない。

 昨年7月、文字・活字文化振興法が制定された。
思うことは、一つには「文字・活字文化」は紙に印刷されたメディア(本)ばかりではないということである。
ネット上の記述は、児童・生徒から高齢者まで誰にも使いやすい「文字・活字文化」であり、それだけに、膨大で日々増殖している。
また、「振興」の語を、たくさん書こう、たくさん読もうと単純化して捉えていてはいけないだろうということでもある。
「振興」は「文字・活字」をいかに的確、客観的に「書く」「読む」かの修練と両輪として考えられるべきだ、と考える。(月刊「視聴覚教育」二〇〇六・六)







2008/10/19 20:21:33|甲斐の夜ばなし
おいらん淵
 武田信虎・信玄・勝頼三代は金山開発に熱心で、我が国で初めての金貨・甲州金を造り流通させたことでも有名でございます。
この技術は武田家滅亡の後、江戸幕府の施策に引き継がれ、武田遺臣の大久保長安が佐渡の金山などを開発し、金座・銀座を設ける基となったと言われております。

 甲州の金山で一番有名でございましたのが、丹波川の支流黒川の金山でございます。
山間の僻地ですが、俗に黒川千軒などと称され、採掘の鉱夫たちが寝泊まりする家々が軒を連ねていたのでございます。

そうなると、飲食・遊興の施設もできてまいります。
当然の事ながら遊郭などもあって鉱夫たちの過酷な労働の疲れを癒してたいそう繁栄をいたしました。

やがて、武田家が大和村天目山で滅亡の時を迎え、侵入してくる織田信長の軍勢に金山を奪われてなるものかというので、廃鉱ということになりした。

鉱夫たちは諸国に散らばって行きました。
困るのは全盛を誇った黒川の遊郭の花魁(おいらん)たちでございます。
そこで名残の宴と称して、黒川の淵に張り出して床を造って、女ばかりの酒宴だといって花魁たちを集めました。
宴もたけなわという時、櫓を組んで床を支えていた蔦(つた)を一斉に断ち切り、花魁達をひとり残らず黒川の淵へ落とし入れて殺してしまいました。

それからというもの、この絶壁の下の淵をおいらん淵と言いました。

おいらん淵に架かる丸太橋を近郷の若い男衆が通りかかると、足を滑らせて死ぬ事故が多く起きました。
女ならば、それが子どもであっても、ひとりとして落ちる者はなかったと言います。

若衆はやむを得ずこの橋を渡るときには、河原で男性のモノに似た石を見つけて淵に投げ入れたり、一文銭を落として渡れば、花魁たちの怨霊に袖を引かれることはないと言い慣わしたものでございます。

近年、心霊スポットなどと称して、おいらん淵もそうだなどと言われております。
けれども、そんなことを言って恐ろしがるのはおかしなことでございます。
まして、女性までもがそんなことを言うなんて……(甲州市塩山)。