新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/02/26 10:11:51|艶笑譚・日本
座頭の小便

 座頭が、こともあろうに通りの真ん中で小便をしている。
 酒屋の御用聞きがそれをのぞきこんで、

「それにしてもでかいなぁ」

 座頭、頭を上げてきょろきょろ、

「その火事はどっちの方角で?」

江戸小咄『聞上手』・拙訳

※座頭=盲人の鍼灸師。








2013/02/24 13:14:16|ちょっと昔のこと
「蛾」のこと
S君へ
「猫町文庫」第4集の君宛の再校を封筒に入れながら、
「こんなことをいつもやっているぞ」と妙な手触りで、
考えてみたら、45年ほど前も、僕はおんなじようなことをしていたのをまざまざと回想した。

詩を作っていた君は、西脇順三郎に私淑していて、会えたことがご自慢だったな。
僕は堀辰雄。
彼の読んだものは、翻訳ではあってもすべて読むぞと張り切っていた。
国文科の学生なのにフランスやドイツのものばかり読んでいた。
君だって、経済なんだよな。
A教授の家に集まっては、200字作文を作り、読みあって、「文章修業」と言っていた。
A教授は英文科。

僕らの創刊した雑誌名は「蛾」。
相談して、金子光晴の詩集名にちなんでつけたんだった。
「字のかたちもいいなあ」と言ったのは、君だったか、僕だったか。
あの雑誌はタイプ印刷から活版になった。
金がかかって、5号で終刊した。
印刷屋の小国民社は、気長に支払いを待ってくれたな。
その後も僕は、性懲りもなく、雑誌を作ってはつぶしていた。

君は児童文学の出版社で広報誌を作ったり、編集をやるようになった。
いつかの詩集の出版祝賀会には失礼したが、詩作も、今でもやってはいるようだ。
僕は高校生に国語を説いて過ごして来た。

また、今、「猫町文庫」で再会するとは面白い。
互いに心臓病のキャリアというのも情けないが。
これからも、ゆっくりやろう。
「さんま苦いかしょっぱいか」







2013/02/22 16:58:57|雑誌「猫町文庫」
ベトナム・コーヒーを舐めながら
月・水・金のクリニック通いが済むと、「今週も、なんとか終わった」とほっとする。
腎臓の機能不全だから、ほかに方法はないとはいえ、4時間×3日というのは、果てしなく長い。

ここのカフェでは、カフェ・スワというのが好きだ。
濃さと分量と、コンデンスミルクの甘さと……
どれもいい。
夏には、これを氷に落として呑むのも好きだ。
ミルク・コーヒーぽいが。
ハノイ(ベトナム)では、普通のブレンドコーヒーがあんがい美味くて、取り立てて「スワ」を呑もうという気にはならなかった。
ベトナム・コーヒーと言えば、およそ屋台で呑めるコーヒーかな。

カップに残ったコンデンスミルクを、ブリキのようなサジでなめながら、最後に編集所に到着した「猫町」第4集用の90枚の力作を読ませてもらう。
物語を追い求める物語。
これが泣かせる。

先だっての国民文化祭参加のシナリオといい、今度の小説といい、4集もずいぶん充実した。
そうはいっても、週末には、再校(一部初校)を出さねば。
早く「校了」、広島へのデータ送付としたい。







2013/02/21 13:37:35|アート
エル・グレコ展うれしい!!
もう一度(モノによっては、「もう三度」)観られるとは思わなかった、
グレコの作品たち。

中年過ぎて初めて行ったのがスペインだったのも、二度目に、単身、えっちらおっちら電車でトレドまで行ったのも、実はグレコだ。
高校生の時にキャンバスに油彩で模写したのもグレコだったし、私にとっては、特別な画家である。
もっとも模写した作品は、国立西洋蔵の「十字架のキリスト」だから、観ようと思えば、いつでも観られないことはない。

昇天するかのような大胆なデフォルム、16世紀の作品とは思えない色づかい。
マリアとイエスのあの色!
マドリードのトレド美術館を再訪して佇んだのは「若い騎士」ほかの作品の前だった。
ベラスケスもゴヤもいいけれど、やっぱり私はグレコなのだ。
「無原罪の御宿り」なのだ。
ムリリョの誰も、このクレタ島出身のギリシア人がいたからだろう、と思う。

トレド駅から高台のエル・グレコ美術館やカテドラルまでタクシーでのし「オルダス伯の埋葬」に触れた時の感激は、今でも忘れられない。
サンタ・クルス美術館、日差しをよけたカフェにウズラのトレド煮。

その日一日、写真を撮るのを忘れていたのも、なにも暑さのせいばかりではない。

お天気は良かったが、上野公園の風は猛烈だった。
よく借り出してくれたと思う。
幸せな展覧会見物だった。







季節感
ある人から、
「厄地蔵さんです。
いつぞやの、お祭りの賑やかななかで、
出会ったことがありました。
あのときは、生徒指導の巡回だったでしょうか。

お地蔵さんのお耳に届けたいのは、
「猫町」の、飛んだり、跳ねたり、です。
仕事です。」
というメールをもらって、

「そうだ2月の13日、14日は甲府西郊塩沢寺の厄地蔵祭だ」
と思いだした。
テレビなんかでも「盆地に春を告げる」なんて言っている。
先週も南アルプス市の「十日市」の祭についても、同じことばを使っていたような気がする。
すっかり出不精になって、まして、夜祭りになど出かけなくなったのが、寂しくも詰まらない。

ふと、死んだ祖父が、この時季、何かの枝の先に米の粉の団子をくっつけて神棚あたりに挿していたのを思い出した。
最終的に厄地蔵に納めたのか、家で食べたのか、どちらも記憶がある。

大体「お祭り野郎」と自他共に任じるほど、季節の祭りの好きな祖父だった。
なかでも、甲府盆地の祭の代表大神宮の節分と厄地蔵、五月の正之木祭には、私と三つ違いのおじ〈一人息子)などを自転車の前後にのせて必ず出かけた。
だから、神棚にはたくさんの達磨が並んでいた。
そうかと思えば、娘が多かったせいか、大きな押絵の羽子板も林立していた。
これはなぜか浅草羽子板市あたりで買ってきたものだろう。

写真は2013年のものではありません。