新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/01/20 15:38:17|グルメ
漬物到来
ひいきの京漬物が着いた。
麩屋町通りの大藤
千枚漬けを考案した漬物屋だというばかりでなく、どの漬物を食っても、塩味、酸味、辛味の品がいいので一番愛好している。
漬物も季節もので、一年中食べられるわけではない。
その時季にしか食べられないものを、メシのあてに食う。







Webを過信するな
若い人の節操のないウエブ使用が云々される。
大学のレポートをコピー&ペーストでこしらえてしまう等々。
これも読書力というか情報リテラシーを小中高と学ばせてこなかった弊害(罪作り)かとも思える。
問題は、PISAと比較して読解力が低い、高くなったというレベルの話ではないのである。
ものが読めない、書けない、聞けない、話せない、もはや日常力の問題なのである。

しかし、ウエブの伝搬力の妄信については、実のところ、世代の高い人、私と近い世代ほど甚だしいように思える。
あたかも、かつてコンピュータ万能を主張した人たちの姿と重複するような気さえする。
催しの告知を数十人から数百人規模のSNS(ソーシャル・ネット・ワークサービス)でやって事足れりという傾向が割にある。
効果が薄いというのだ。
当然だろう。
SNSを補完するアナログの口コミ、人間関係が狭く、淡いのを、看過しているような気がする。

若い世代は、むしろ、SNSが自己増殖するはずがないという限界を自覚している。
言いかえれば、それが仲間内のコミュニケーションである限界を承知で遊び感覚で使っている。
さもなければ、自己満足的に(あるいは自己顕示的に)ね。
あるいは連絡、写真配布など限られた用途で楽しんでいる。

現在のウエブ状況は、皮肉だが、極めて「非世界的」な、私的なものになっている。
これは技術的にはワールド・ワイドなものであっても、発信側が一個人である場合の陥穽なのかもしれない。







2013/01/15 13:02:17|グルメ
変わらぬ味と量・やまびこの蕎麦

国道20号線の笹子トンネルの笹子側の「やまびこ」。
おっかなびっくりトンネルを通り抜け、久しぶりに訪れてみれば、相変わらずのにぎわい。
中央高速のひどい事故以来、また、こちらも客が増えているのかもしれない。
何十年(?)変わらない主とおかみさんとおばさんたち。
相変わらずパワフルで庶民的だが、皆さん確実に歳をとっている。
人のことばかり言えない。

ここのうどんもそばも、かさがすごいので人気だ。
いつか大盛りなんか頼んだら、食べても食べてもヘルメットのように盛り上げたざるのそばが一向に減らなかった。
うどん三本そば六本、ゆっくり食べることとしよう。
アジフライ定食も別注のコロッケも相変わらず美味そうだ。
が、今の腹のキャパシティでは余裕がないので、止めておこう。

なんだかテレビ東京(?)の「孤独のグルメ」の五郎(松重豊演じる)っぽくなってきたぞ。
ただ彼は2,3人分の定食を食べて平然としているぞ。







2013/01/12 15:00:00|文学
芭蕉と素堂
ミュージアム都留に「芭蕉のさと企画展・甲州俳諧展・芭蕉と素堂」を観てきた。
都留文大の国文の近世文学ゼミ(楠元六男教授)の学生のレポート発表のような展示で、展示資料も旧甲州文庫資料以外は複製が多い。
ただ、芭蕉と甲州、芭蕉と紀行、芭蕉と素堂をおさらいするにはよかった。
結構のんびりした気分で一句一句、それを解いた一文一文を久しぶりに楽しんだ。
県立文学館開館時に俳句文学館、天理図書館、綿屋文庫など駆けずり回って、芭蕉や素堂の資料の複製作成を依頼して廻ったことが懐かしい。
そのための庁内での予算づくりも大変だった。
「とくとくの句」「蓑虫説」などとりわけ懐かしい。

それにしても浅はかな一人の司書によって、甲州文庫資料が県立博物館にすべて移管されてしまったのは、なんとしても残念である。
これらの資料を研究者が手にとって閲覧する機会が失われたということだ。
全てガラスケース内で見よ、ということになってしまった。
県民文化として恥ずかしいことだ。
あの時代、図書館は専らビジネス支援のための情報提供をせよ、図書館資料はすべからくデジタル化すべし、そして、運営は指定管理化で行えという激浪に見舞われていた。
その浪に日和を観ていたのは、前記のような一部の司書も例外ではなかった。
新しい県立図書館は前掲の課題ははねのけたものの、「交流施設」であるという愚かな考えと、図書館は「貸本施設」だという浅薄な考えは払拭できなかった。
50年の悔恨である。

それを拒絶するところに、県民の意思を結集できなかった。
これについてはいわゆる「学識のある人」ほど関心が薄かった。
いまだにそうだ。
彼らは貧しい自分の蔵書で勝負しようとしている。
これでは趣味人としてはいいだろうが、「専門」分野で日本的、超日本的なレベルに至るはずもない。

都留の博物館で、以前には気付かなかったことで、ひとつ気になったことがあった。
ロビーに田原の滝の芭蕉句とその碑の説明が掲示されていた。
早春の桂川を芭蕉が詠んだであろう「勢あり氷きえては滝津魚」の佳句である。
それはいいのだが、碑文の揮毫が飯田蛇笏であることには一言も触れていない。
碑陰を見ればすぐわかることだし、博物館が知っていて触れないのなら、マナー違反だと思う。
谷村の蛇笏仲間の霊たちにも申し訳なかろう。
文字が芭蕉真筆だという勘違いが後世に残ってもいけないだろう。

新年度は、また、週一こちらに通うことになる。
トンネルも怖い。







2013/01/11 17:20:00|アート
ラフマニノフ
FMを聴いていてよかったと思うことが時々ある。
ただ2時間、それ以上も、ラジオのそばを離れられなくなる、車なら降りられなくなるということも起きてくるのが都合が悪い。

先日は4日間ラフマニノフ三昧。
1919年の最古の自演の録音から聴けた。
当然電気録音以前だから、集音ボックスにピアノの音を吹き込んだ(ミゾ録音だ)ものをデジタル処理したという代物。
ピアノロールからの再現という音源もある。
これも意外にも再現性が高い。
1920年代後半になると電気録音が始まる。
エジソン社での演奏は、エジソンがテキトーだったから、作品選びを含めて微妙である。

力持ちで一オクターブ半指が届いたというけれど、初期から彼の演奏は繊細なものだ。
けれども、彼が演奏家としてよりも作曲家の側面を優先していたら、そこがアメリカでなかったら、ロシアに居続けられたら……と仮定はあくまで仮定だが、色々ないものねだりをしてしまう。
 最終日の放送で流された「アメリカ国歌」演奏は、彼がきわめてロシア的で、また、お人よしであるがゆえに余計痛々しくて聴いていて辛かった。
映画「七年目の浮気」でリチャードのむずむず感を「ピアノ協奏曲第二番」でパロディ化していたのを思い出して、笑えなかった。

今年は没後70年だという。
その演奏はかなり聴かれるだろう。

さて今日はベルディ「トロヴァト−レ」(全曲)。
パヴァロッティやサザランドといった故人も含めた、1976年ロンドンでの名演奏だ。
いまやCDも廃盤。
ヴェルディは生誕200年という年に当たるという。
顔ぶれを写しておくと、
リチャード・ボニング指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン・オペラ合唱団 ジョーン・サザーランド(S)マリリン・ホーン(Ms)ルチアーノ・パヴァロッティ(T)イングヴァール・ヴィクセル(Br)ニコライ・ギャウロフ(Bs)他