新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/01/11 15:51:01|艶笑譚・世界
双子

双子の赤ん坊が話していた。

「ぽく、ママのおっぱいより、哺乳ビンで飲むミルクの方がいいや」
「どうして?」
「だってさ、哺乳ビンのはタバコ臭くないもん」

※昭和45・6・25 保存版「えろちか」「STUDY IN JOKE」(小早川博)より








2013/01/10 15:18:00|ちょっと昔のこと
デカゴミ
祖父は生家の家業を継ぐのを嫌った。
元は「甲かぶと正宗」というアタマに来そうな酒造業、後に金融業(早いはなしが金貸しだ)だった。
それが嫌なら、師範学校に入れて教員にでもしようと考えたが、試験の朝、同伴する父親の枕金をさらって逃げた。
逃げて、逃げて、樺太まで逃げた。
食いつぶした頃つかまって、「いつたいお前は何をしたいのだ」と聞いたら、「俺は昔から刑事になりたかったのだ」と言った。
警察学校へ入って落ち着いた。

県警の捜査一課には身長の大小の「五味」という刑事がいた。
祖父は「デカゴミ」とあだ名されたようだ。
私と一緒にいるところを、全身モンモンのおアニイさんに、「おぼっちゃんでございますか?」と聞かれて、祖父が「せがれじゃねえわ、孫だわ」と言った。
こういうことがよくあった。

刑事としてはよく勤めたようだった。
退職間際は身体を悪くしていたから、交通課(生活安全?)に転じた。
ある日、祖父は座敷に武家が切腹するような正座をしていて、目の前に手帳と手錠と拳銃を並べていた。
そして、「これから返納しにゆく」と言った。
幼稚園生だった私に黙って手錠をかけた。
最初にして、多分、最後の手錠である。

晩年、樺太まで行った話を聞いたら、「苦労しただ」と言って、ポロっと涙をこぼした。
大酒呑みの祖父だったが、すでにチョコで何杯という程度しか呑めなかった。
私が教員になって初めて配属された学校は、祖父の生家の近くだった。
寝たきりでぼんやりしていた祖父に報告すると、「おおホクノーかあ」と明らかに懐かしそうな顔をした。
「大正からの木造校舎もあるだって」
「馬小屋校舎ずら」
私はうれしかった。







2013/01/10 13:41:58|艶笑譚・日本
小便

セガレが小便をするのを、親父が見て嘆いた。

「あぁぁ、最近の若い奴のはてんで役に立ちそうもないな。俺が若いときなんぞ、ナニを持って小便なんぞしたことはいっぺんもない」

セガレ「とんでもねえ。持たなきゃ顔にかかっちまうよ」

※江戸小咄『仕方噺口拍子』拙訳
※異本ではオチが「鼻に入っちまうよ」となっている。








2013/01/08 10:55:00|民俗・芸能
初詣

盆も正月もなく、月水金とクリニック通いを繰り返す身の上で、空いた日に何でも用事を済ますことになる。
元日から近所の御崎神社に詣で、その足で家の「奥津城」のある愛宕祖霊神社に詣でる。
ま、願うことは体調維持と交通安全が一番だ。
昨年は、まだ、体調回復に自信もなく、愛宕さんの山登りも辛かろうと、詣でることもできずにいた。
今年は、どちらも手ずから破魔矢、お下がりを受けてくる。

5日になって、車の試し乗りの意味も込めて、御嶽の奥の金桜神社(写真上)に詣でる。
私はこのお宮になぜか心ひかれている。
年によって、ずいぶん道路状況が違うが、今年は、凍結も甚だしくなく、初詣の人もすでに減っていてよかった。
今年は水晶玉なんかは買わずに山を下りてきた。
刻限も遅く、甘酒をいただけなかったのは、多少残念だった。

「ネー、ウシ、トラ、ウー、タツ、ミー、ミーって何だっけ」ってCMに笑ったが、
「巳」といえば、他人にはあまり信じてもらえないが、ずいぶん昔、奈良の大神神社(三輪明神)に初めて詣でた際、杉木立の根元に小さな白蛇を見たことを思い出す。
その時は普通に驚いただけだったが、とても僥倖な出来事だった
その後、何べんも大神神社に詣でたが、そういうことは一度もなかった。
大神神社には「巳の神杉」(写真下)というのがあるくらいで、巳は神の使いだそうだ。
「巳さん」には、私は、何度も助けられているのかもしれない。
怖がってはいけないかも。







2013/01/06 10:24:56|艶笑譚・日本
シジミとり
 姉妹でシジミを取りに行った。
 妹が姉の後ろから、水に映ったものを見て、
「お姉ちゃん、あんたの下に怖いものが水に映って見えるから、早く帰ろう」

江戸小咄『蝶夫婦』・拙訳