新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/01/05 14:36:00|本・読書・図書館
踊り場の知恵
教育委員会や総合教育センターにいると、自分の属する校種(高等学校)というものを越える業務も出てくる。
その結果、小学校や中学校の研究会に呼ばれることもある。
単独校もあれば、研究ブロック毎のもある。
テーマも国語教育から読書教育、言語活動、総合的な学習の時間、郷土の文学まで幅広い。
なかには「学齢が進むにつれて、児童生徒の発表・応答の声が小さくなるのをどうするか?」とか、きわめて具体的かつ難しいテーマもある。
リタイア後の今に至るも、人の口利きでたまにはある。

そんな事情で今月末に呼ばれている校内研のレジュメの準備をしている。
気兼ねなのか、テーマがあいまいで、つまり幅広くて、やや困っている。
難しくても、「宿題」は明確な方がいい。
しかも90分ほどの持ち時間だという。
プリント10枚ほど用意しておけば、間に会うだろうと思う。

レジュメの内容は、
第1部 なぜ学校図書館か?
第2部 読書の意味
第3部 調べる力を育てる
第4部 全校体制づくり
としているが、やはり、学校図書館を十分に活用してほしいというテーマを主軸にしたい。
これこそが子どもが一生涯自ら学べる力を育てることだ。
学習も詰込みばかりじゃ、もはや通用しないよ、と。
そのためには先生方も図書館を使ってくださいよ。
要するに本を読んでくださいよ、と言いたい。

なんだか自信満々のようだが、実は、講座・講演をすると、いつも後味が悪い。
「口舌の徒」のように思われているが、実は口が下手なのは自分でもよくわかっている。
だからこそ、ほんとうは、孤独裡に文字を読んだり、書きつけたり、消したりする方が好もしいのだ。
いつでも言わずもがなのことを言った、言わねばならないことを言わなかった、と慙愧に堪えない。
「踊り場の知恵」L'esprit d'escalier というやつだ。
レジュメが多いのも、ひとつは教員だった悪習と口が下手だという自覚とそれゆえの不安からだ。

それなのに、同業者や同業を目指す者には、伝えておきたい気持ちや中身があるといまだに思っているから、始末が悪い。







2013/01/04 17:22:57|艶笑譚・世界
父の愛

ペドロは、デリカテッセンの店を経営していた。
ある夜、娘の部屋から、あやしい気配がする。
その娘は、もうかなりの年齢(とし)なのに、まだ結婚していないのだ。
ペドロは、鍵穴(かぎあな)からのぞいた。
娘は、サラミソーセージを使って、息をあえがせているさいちゅうだった。
次の日、その娘のサラミは、売場のすみになにげなくぶらさげられていた。
客が、そのサラミを指して言った。
「そのサラミ、いくら?」
「これは、売りものじゃないんで」
ペドロは答えた。
「あっしの義理の息子なんでさあ」

植松黎訳『ポケット・ジョークS−愛を楽しむ』(平成元年・角川書店)








年賀状
市会議員になるつもりはないけれど、年賀状の多さはマックスになっていて、片付けるのが多少億劫になる。
社会人の現役前半は一つ一つの職場に長くいた。
後半は行政が多く、短い周期で多くの職場に異動せざるを得なかった。
これがいただき、送る賀状の増えた理由だろう。

とは言え、若い友人の子どもさんやらが、気付いたらずいぶん大きく成長していてビックリするような楽しみもある。
政権交代の為に超多忙になっている官僚の友人もある。
都会のビジネスからUターンしてオーガニック農業を始める友人もいる。
多くの賀状に震災の痛みが反映している。

だから、簡単に「虚礼廃止」ということもできない。
ある時、親父が、どう思ったのか、暮れのうちに「虚礼廃止」の葉書を出して一二年は賀状が減ったが、やがては元の木阿弥になっているのを見た。
その親父も80を過ぎたころから同じ人に2通も3通も出すようになり、やがて来信の多くが誰だか分からないようになった。
かつては年毎の住所録を作って整理していたが、幾通りも作っているうちに、自分でも訳がわからなくなったようだ。
90の頃から、来た賀状にもなんら反応がなくなった。
放っておけないから、いただいた賀状には私が代理で賀状をお返しすることにした。
誰が誰だか、私には殆ど分からない。
こうなると、寂しいことに、賀状の意味も怪しい。

自分もやがてはそうなるのだろう。
パソコンで自動的に宛名は打ち出せるものの、誰が誰やら分からなくなる、という日が来るのだろうか。
そういう時にはブログへの取り組みもどういう気持ちでやっているのか分からないから、これで賀状を代替できるかどうか分からない。
年とって行くに従い、生活はシンプルにしてゆきたいのだが。

画像:アルハンブラ宮殿の装飾レリーフ(グラナダ≒ザクロ)







2013/01/01 10:30:01|本・読書・図書館
佳き年へ、また、斉藤繁「世界十大小説への招待」

新しい年の訪れをお祝い申し上げます。

様々な矛盾が一挙に噴き出した感のあるここ数年。
これに地震・津波、原発事故が加わり、いまだに解決途上です。
今年から(こそ)復興の目に見える進展を見せてほしい。
また、バブル以来の社会矛盾からの脱却、進路かえにも本気になってほしい。
政権交代と共にさらにひどい逆行は許さない。

自身も二度目の大病から退院して1年と4カ月。
療養中の「自分には、もはや先がないのだろうか」と不安だった「初心」を忘れてはなるまい。
体調維持とささやかな仕事に誠実に取り組もう。

高齢の方のことばでいたく共感したものがある。
「大事なことはキョウヨウとキョウイクです」
キョウヨウとは「今日の用」、キョウイクとは「今日行く」ところだそうだ。無理やりではなく、「今日の用」とそのために「今日行く」ところを持ちつつ。

新年早々すばらしいいただき本の紹介ができることがうれしい。
昔からの教員仲間で友人だった斉藤繁氏の「世界十大小説への招待」(2013.1.23、文藝春秋企画出版部、2000円)である。
手にして先ず「やったなー」と讃嘆、「序」を読んで全般に共感、近頃の成果だと喜んだ。
曰く「小説を読み通すのはけっこうシンドイ」、(小説案内・入門書)は「読んでみようという気になかなかさせてもらえれない」、「純文学」と「通俗作品」を区別すること自体時代遅れとする意見もあるが、「その点で私は保守派である〈略)ウソッパチである(略)司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と森鴎外の『渋江抽斎』とでは次元が全く違うのである」……。

講義や講演で、また、紹介できる優れた「読書おすすめ本」でもある。

何「十大小説」として何を上げているかだって?
それをここでいきなりばらしては営業妨害だ。
作家名だけ挙げるから、作品名は推察してもらいたい。
気になる人は、正解を書店店頭で見てほしい。
スタンダール、メルヴィル、ディケンズ、トルストイ、ドストエフスキー、バルザック、ブロンテ、フォークナー、カフカ、島崎藤村。
選書についても「批判の嵐などものともしない。(略)私が他人にすすめるのは」これしかないと言いきっていて、私は大きく拍手した。








2012/12/27 7:35:25|艶笑譚・日本
親父

 親父が息子の若い嫁にチョッカイをだしてしようがない。
 嫁の身としては舅(しゅうと)に逆らうわけにもいかず困っている。
 そんな親父が嫁のおっぱいを吸っているところを息子に見つけられてしまった。
「なんですか、お父さん、そんなことして恥ずかしくないんですか」
「なにいってるんだ。お前なんかおれの女房のおっぱいを三年間も吸ってたくせしやがって」

※昭和45・6・25 保存版「えろちか」「STUDY IN JOKE」(小早川博)より

これも落語にあるな。先先代の三遊亭金馬なんかの艶笑譚に殆ど同じ語りが出てくる。
金馬のバヤイ、嫁がお舅さんの髪を直してやっている時の悪戯だった。