新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/12/20 11:11:17|艶笑譚・日本
天狗

 鞍馬(くらま)山の天狗(てんぐ)が盆の灯籠(とうろう)見物に山を下りてきた。
 ほうぼう歩いて、遊女屋の前で格子(こうし)に首を突っこんで、中をのぞいた。

遊女「あれっ、そこはトイレじゃないよ」

※江戸小咄『福の紙』拙訳
※天狗の鼻は?








御所に泊る
面白かった旅の宿のはなし。
北海道のある市の図書館協会に話に行ったことは既に書いた。
その時、向こうの方の手配で、一泊目を帯広駅前の近代的なビジネスホテルにしてくれた。ここの懐石料理も、街で貝類を肴に酒を飲んだのも美味かったのだが、今日話したいのは二泊目のことだ。

知人が「福岡ならきっと喜ぶだろうから泊めてやってくれ」と選んでいただいたのが「義経里の御所」という一軒建のコテージだった。平泉で憤死したはずの義経(主従)は実は蝦夷地へ逃げていた、という伝説によって設置した、どちらかと言えば研修施設である。
「御所」は中川郡本別町の郊外の本別公園という広大なアウトドア施設に建っている。送ってくれた時はすでに暗かったからどんなロケーションか分からなかった。

知人は毎年のようにここへ講座に来ていて、エゾシカが現れたりするこの「御所」の野趣をいたく気に入っていたようだ。しかし、彼の来訪は例年夏の季節であるらしい。私が呼ばれたのは10月も末、夜の9時の外気温標示は0℃を指していたし、本別の隣は日本一寒いといわれる陸別だった。道路脇の雪は一日中凍ったままだった。

コテージに取り残されて見回すと、本当の一軒家である。箪笥ほどの灯油ストーブは一晩中燃やしておいて結構だと言われた。寝室にあてる部屋も建物の造りもなるほど「御所」のように立派だ。ただし、布団を敷くのは自分である。風呂も家庭用の風呂で、ガスの温水器を点火して湯をためる。キッチンを見まわすと鍋・釜・包丁・まな板・食器類が全部そろっている。なるほどここは研修施設であるようだ。道理で風呂に入りはしたもののタオルはなかった。持参すべきだったようだ。やむを得ないから、「布巾」で用を足して、だだっ広い「御所」の奥座敷に寝そべった。

敷地内には人はほとんどいないのではないかと思われて、物音一つしない。2,3の街灯以外光もない。遠くでキュンキュン獣の鳴く声がしたが、夜更けからキュンキュンの声はすぐ近くになった。なんだかとても心細かったが、いろいろな方の御好意だから珍しく早寝をした。

翌朝目覚めて辺りを歩いてみたら、ここは山沿いの広いキャンプ場の中だった。地図を見ると300メートルで本別町の市街だが、昨夜は何だかずいぶん幽邃なところにきた感があった。

迎えに来てくれた人たちが「エゾシカ見ました?見ました?」と言うから「一晩中近くでキュンキュン鳴いていましたが、姿は見ませんでした」と言っておいた。「来ていたのですね」と」喜んだ。「ヒグマでなくてよかったですヨ」と冗談を言ったら、「時々出ますからね」と言われた。

あっけらかんとして、さすがに北海道だなと大いに気に入った宿だった。ただし次に行くとしたら夏にしたい。







2012/12/19 14:29:14|甲府
県民の愛唱歌
甲府駅を降りると山梨交通の方からか、東柳屋の方からか、いつも拡声器から賑やかな音楽が流れていた。一日中繰り返していた。
ときには「やかましいな」「ダサいな」という感じではあったが、何もなくなった(人通りも減った)今から見ると、あの騒々しさも懐かしい。
ぼろ電の終わりの頃だろうか。

覚えている初期には「富める山梨」を盛んに謳歌するような元気のいい歌だった。天野久知事の頃だろう。
「富める山梨 希望のアカネ 富士も燃え立つ……」と言うような歌詞があった。
その時代の「富める」象徴の自動車専用道路・トンネルにはもはや致命的な欠陥が見つかり、犠牲者さえ出ている。野呂川からは魚影もなくなった。

次に覚えているのは、この土地の山紫水明を称える歌である。
「グリングリングリン」というリフレーンが耳に着いた。これも日柄一日大音量で流れていた。緑がシンボルカラーの田辺国男知事の時代なのだろう。
文化施設を続々と作ったこの時代の勢いも遠い過去のことだ。
バブルの末期だったろう。

この時代が過ぎて、私は、県の一施設で事務用の書式をグリーンで印刷するアイディアを出したが、上司から「グリーンは終わったのだ、これからはブルーだ」となじられた。
ブルーも何代も昔のことになってしまった。今も昔も阿呆な組織である。

ほかにも昔は体育祭とかなんとか、歌をこしらえてはむやみに児童に歌わせ、児童自身も喜んで高歌放吟していた。
山梨国体あたりで無理をして燃え尽きて、以後はこういうことが減ったような気がする。

先日、テレビで今年の国民文化祭のフィナーレを放送していた。徳島だ。ステージは阿波踊りと浄瑠璃人形だった。これだけでも立派な文化だと改めて感心した。
来年の山梨での国民文化祭では、何が全国に誇れるだろうか。民俗芸能ぐらいしか気がつかない。

かつての公共工事が崩壊し(崩壊しかけ)、リニアが赤石山脈をぶちぬき、中部横断道も進むだろうという昨今、甲府の駅前・町中にはどんな歌が流れるだろうか。児童はどんな歌を甲高い声でがなりたてるだろうか。
地域にこれだけアイデンティティもなけりゃ、県政の政策課題もぼんやりと過ぎてゆくと、老若男女口をそろえて唄うような愛唱歌もほしいところである。








2012/12/19 14:28:58|艶笑譚・世界
梅のアルコール漬

 医者は綿密に診察してから、気のどくそうに言った。

「神父さま、まことにお気のどくですが、どうもご病状から考えて、玉を抜かなければならないと思います」

老司祭は落ちつきはらって答えた。

「ようござんすとも、わしはもう老齢じゃし、それに、身につけていても一生つかわんものじゃから、ご自宙にお抜きください」

そして、

「神のみ心の達成せられますよう」

と祈りのことばをつぶやいた。

 手術はぶじに終わった。
退院のとき、医者は梅つぶほどの玉をふたつ、アルコールに漬けたのを、司祭の前においた。
「これをいかがいたしましょう」

 一生の間、それで神のおとがめをわずらわしてきた、罪の思い出ふかい玉、司祭はそれを自分の部屋へ持ちかえって、朝な夕なに悔悟のたよりにしたいと思って、もらって帰った。
そして、ときおり戸棚から出しては、過ぎし四十年のひそかな情痴をしのぶのだった。

 ある日、例によって、そうした瞑想にふけっていると、急病人に聖油をさずけてほしいという呼びだしを受けた。
そこで、アルコール瓶を戸棚へしまうのを忘れて、あたふたと出ていった。そのあとへ、家政婦のマルグリットが掃除にはいってきて、例の玉を見つけた。

「あの欲ばりぽうずめ、梅のアルコール漬をこしらえて、あたしにないしょで食べるんだわ、けちんぽったらありゃしない」

家政婦はこうつぶやきながら、二つの玉をペロリと食べてしまった。

 司祭は帰ってきてみると、瓶(びん)が空になっている。

「マルグリット、この瓶のなかのもの、どうした」

「はい、神父さん、何十年いっしょに寝てきた仲なのに、隠し食いはひどいだよ。腹いせに、私がいただいちやったよ。もっとどっかに隠してあるんじゃないかね」

田辺貞之助『フランス小話集』(高文社)
 








2012/12/18 14:06:00|文学
暮れだが……
暮れでやや気が引けたが、文芸誌「猫町文庫」第4集の初校ゲラを執筆者に送る。
原稿でまだ一部未到着の部分もあるが、いつまでも引き延ばしていられない。
他人ごとじゃない。私だって、掲載を予定した深沢七郎「甲州子守唄」論の原稿がもうちょっとかかりそうだ。

しかし、宅急便会社のメール便は80円、90円なのに、日本郵便は高いな。エクスパックとかいう封筒は350円だ。かつては200円台のがあったが廃止されたのだろうか。
簡保など金融部門を手放した(分割した)日本郵便は営利に奔りすぎているのではないか。葉書、封書以外は早晩取り扱わなくなると見た。

トンネルのせいばかりではなが、車を壊して古びた代車以外のアシはないし、歯の治療で心臓の医者に脅かされるし、ものは美味しくないし、寒いしで、出歩くこともできず、相当へこんでいる。

1月の新年会のメール来る。一廻り下の同じ干支の教え子たちだ。もう30年以上続いている。去年は病後のため珍しく欠席。今年は(今回は)参加したいと思っている。

写真:豪徳寺(東京世田谷)