面白かった旅の宿のはなし。
北海道のある市の図書館協会に話に行ったことは既に書いた。
その時、向こうの方の手配で、一泊目を帯広駅前の近代的なビジネスホテルにしてくれた。ここの懐石料理も、街で貝類を肴に酒を飲んだのも美味かったのだが、今日話したいのは二泊目のことだ。
知人が「福岡ならきっと喜ぶだろうから泊めてやってくれ」と選んでいただいたのが「義経里の御所」という一軒建のコテージだった。平泉で憤死したはずの義経(主従)は実は蝦夷地へ逃げていた、という伝説によって設置した、どちらかと言えば研修施設である。
「御所」は中川郡本別町の郊外の本別公園という広大なアウトドア施設に建っている。送ってくれた時はすでに暗かったからどんなロケーションか分からなかった。
知人は毎年のようにここへ講座に来ていて、エゾシカが現れたりするこの「御所」の野趣をいたく気に入っていたようだ。しかし、彼の来訪は例年夏の季節であるらしい。私が呼ばれたのは10月も末、夜の9時の外気温標示は0℃を指していたし、本別の隣は日本一寒いといわれる陸別だった。道路脇の雪は一日中凍ったままだった。
コテージに取り残されて見回すと、本当の一軒家である。箪笥ほどの灯油ストーブは一晩中燃やしておいて結構だと言われた。寝室にあてる部屋も建物の造りもなるほど「御所」のように立派だ。ただし、布団を敷くのは自分である。風呂も家庭用の風呂で、ガスの温水器を点火して湯をためる。キッチンを見まわすと鍋・釜・包丁・まな板・食器類が全部そろっている。なるほどここは研修施設であるようだ。道理で風呂に入りはしたもののタオルはなかった。持参すべきだったようだ。やむを得ないから、「布巾」で用を足して、だだっ広い「御所」の奥座敷に寝そべった。
敷地内には人はほとんどいないのではないかと思われて、物音一つしない。2,3の街灯以外光もない。遠くでキュンキュン獣の鳴く声がしたが、夜更けからキュンキュンの声はすぐ近くになった。なんだかとても心細かったが、いろいろな方の御好意だから珍しく早寝をした。
翌朝目覚めて辺りを歩いてみたら、ここは山沿いの広いキャンプ場の中だった。地図を見ると300メートルで本別町の市街だが、昨夜は何だかずいぶん幽邃なところにきた感があった。
迎えに来てくれた人たちが「エゾシカ見ました?見ました?」と言うから「一晩中近くでキュンキュン鳴いていましたが、姿は見ませんでした」と言っておいた。「来ていたのですね」と」喜んだ。「ヒグマでなくてよかったですヨ」と冗談を言ったら、「時々出ますからね」と言われた。
あっけらかんとして、さすがに北海道だなと大いに気に入った宿だった。ただし次に行くとしたら夏にしたい。