わたくしの一友人が人々のたくさんいる席で話したことである。
彼の知っている或るフィレソツェ人が非常にきれいな細君を持っていた。
この細君にはその尻を追っかけ廻す多くの男たちがいて、中の或る者たちは、大てい夜、習慣に従って松明(たいまつ)をともし、彼女の家の前の路上で、彼らのいわゆるセレナアデを彼女のために奏した。
夫はなかなかの道化者であったので、ある晩、ラッパの音に眼をさますと、ペッドからぬけ出して、妻と一しょに窓べに来た。
わいわい騒ぎながらふざけ廻っている一団を見て、彼は強い声を張り上げると、
「ちょっと、こっちの方を見てみろ」
と叫んだ。
この言葉に、すべての人の眼が彼の方に注がれた、すると彼はその身に具わったすばらしく大きなプリヤプを窓のそとに見せびらかしながら、一団の連中に向ってこういったものである。
「もうこれからはしつっこくつけ廻しても無駄だということが君たちにも分っただろう。外ならぬ亭主のこの俺が、家内を満足させるためには、君たちの中の誰一人持たない立派なものを持っていることが明らかになったからだ。従って、もうこれからはセレナアデを奏するなどといううるさい事はやめてもらえることと信ずる」
とこういったものである。
このふざけた言葉は、果して、男ちの甲斐なき求愛を終息させた。
昭和26・1/ホッジョ・大塚幸男訳「風流道化譚」(鹿鳴社)