新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/12/13 16:29:05|艶笑譚・日本
ある人腰元を寵愛(ちょうあい)せらるる事

 ある所に、もとはなんとかいう武士だが、落ちぶれ果てて町家住まいをしている者がいた。



ある日、縁側近いところに腰元を呼んで、昼間からいたしているところへ、一人のそそっかしい男が、いきなりがさがさと戸を開けて、



「御免下さい。お見舞いに伺いました」



と言ったから、例の武士、驚きながらもあわてぬ顔で、



「これを見ろ。こんなに落ちぶれ果てては、ナニをしている」



と言われたので、かの男、



「私にお下げください。私がいたして上げましょう」



と言った。

江戸小咄『当世手打笑』拙訳








2012/12/11 11:22:23|出版「猫町文庫」
プリント大好き

雑誌「猫町文庫」を編集したり、出版社猫町文庫の刊行物を作ったりする時は、前にもふれたがアドビ社の「インデザインCS」というソフトを使う。導入して10年以上も経つだろうか、ページ物を編集するには極めて便利で、出版・編集に携わる人は大規模な会社から個人仕事の人まで殆どの人がこのソフトを使っているようだ。


導入した時はずいぶん高価で30万円以上もした。が、教育職にいる人間には割引をするという制度を利用して三分の一で購入できた。ところが、部分的なグレードアップの度に12万、10万という金がかかるので困っていた。これを使っている編集のセミプロから「いちいちグレードアップの提案に応じていたらやってられませんよ。やる必要もない」と言われて安心した。


現行の「インデザイン」はDTPはもとより電子書籍編集にも、使えるソースも多様化して便利になっているようだが、これに手を出す勇気も余裕もない。(写真)


とは言え、現職で勤めていた末期は人並みに多忙で、印刷物編集に集中する時間もなくて放っておいた。実は、このソフトは使いこなすにはかなり厄介なソフトで分厚いマニュアルをひっくり返しながらマスターするのが大変だ、という理由もあった。


「禍転じて」ではないが、突然退職して、体調が戻りつつあったころ、件のセミプロ編集者から「ソフト使わなければもったいないですよ」と言われて、ぼつぼつやり始めたのだ。あいつが編集している雑誌以上の内容と思想のものを作ってやる、編集同人と協働してやればできる、という気持ちもあった。


ウインドウズの「ホームページ・ビルダー」でもそうだったが、悪戦苦闘、夜昼なく、ものすごい時間をかけて、勘違いに遠回りしつつ、ようやくなんとか操作法を習得した。まさに60の手習いである。とは言え、使えている機能は半分くらいなものだろう。バンディングされている「フォトショップ」や「イラストレーター」なんて、まださっぱりである。


とは言え、これでシコシコページ編集したりしていると、自分がいかにプリントや印刷物をこしらえるのが好きか実感する。


教職にあった頃もプリントをつくるのが大好きだった。教科はもちろん学級通信、文集、新聞、課題……嬉々としてせっせと作った。生徒や事務室には迷惑な話である。


謄写版から始まって、ボールペン原紙、オフセット印刷機、リソグラフと印刷方法も替った。原紙を作るのも謄写版原紙切り、手書きオフセット、和文タイプ、ワードプロセッサー、パソコン、インデザインと変遷した。ああ、どれほど機器に経費を費やしたことだろう!


結局、プリント作業が好きなのである。自己顕示ではないと思う。1枚のものが複数に増殖して人の手に渡ってゆく、これがうれしいのである。だから、版画を造ることも、観ることも、写真もそうだ。そうそうハンコも好きだ。


年内に印刷所にデータを送りたかったが、執筆者の都合もあって、無理なようだ。年明けになりそうだ。とは言え、雑誌「猫町文庫」第4集の全体像は、間もなく見えてくる。初校が始まる。厄介なことを言ってくるワカランジンもいるだろうが、なるべく付き合いたい。








2012/12/10 13:44:07|スペイン
スペイン・ラブ

ビゼーのオペラ「カルメン」を気にいってオペラ好きになり、これぞという演目・演者のDVDやCDをぼちぼち買っては聴いている。


「カルメン」を好きになって、自分はスペインに昔から興味があったのだと気付いた。


ローマ時代の遺跡から残り、イスラムとカトリックはもちろん、ユダヤ教まで含めた宗教のるつぼ。欧州大陸系、地中海系、アフリカ北岸系と人種的にもるつぼだ。白い人も黒い人も茶色い人もいる。きれいな女の子が多い(若いうちは)。第一次大戦に無縁で、従って1920年代の世界恐慌にも無縁で、第二次世界大戦時には軍人フランコの独裁政権でこれまた戦争とは無縁。ナチスのゲルニカ空爆以外には。内戦の方が大きな課題で、詩人ロル科を殺したのもフランコの一統だ。映画はいまだに大きな娯楽だし、そのテーマが暴力DVと近親相姦が大半。いろんな意味で、スペインの重層性というか屈折に、私は興味をひかれたのだ。


考えてみたら、スペインはピレネー山脈の彼方に孤立している時には安泰で、EUなどグループに属したら経済的な危機が露呈してしまう。昔も今も「帝国」の事大主義かね。ギリシャ・イタリアもね。


周囲に呆れられながらも、スペインに通うこと3回。現地語も英語をちゃんぽんすれば日常会話にはなんとか困らない程度になった。カタルニア語はまだだが。堀田善衛ではないが、定年後は多くのヨーロッパ人のように、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼して、できればアンダルシアあたりにしばらく移住してみたい、盆地育ちの自分にはあの「フライパン」にも耐えられるだろうとさえ内心思っていた。


今や1週間の旅行さえ困難になったが、あの日差しと人々の情熱的な(というかしつこい)気質、山海の食品のうまさ、それにグラナドスやファリャなんかがそのごく一部をアレンジしているが、各地におびただしくある舞曲のリズム……こういうものへの偏愛は今も止まない。


HD内の旅写真を観ながらスケッチブックにいたずら描きをしてみたり、グラナドスなんかのCDを聴き、DVDを観、相変わらず愛読書W・アービングの『アルハンブラ物語』を味読し、しばらく作らなくなったパエジャとトルティージャを、また作ってみようかなどと、現実の旅に出られない代わりに陰謀を企てている。


写真上:アルハンブラ宮殿で
下:グラナダのアルバイシンのタブラオで


 








2012/12/09 10:00:38|山梨
アルバムを追加しました 赤沢宿

秋もそれほど深まらない頃、赤沢宿を訪れてみた時のアルバム。谷あいの入りくんだくらいじめじめした道をくねくねと分け入ってゆくと突然開ける。「豁然として開朗なり」という陶淵明の「桃花源記」を思い出した。


昔からこのぽっかりと光の中に出るようなこのイントロが、漢文の勉強の中でも大のお気に入りだった。


晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業と爲せり,
  溪に縁ひて行き, 路の遠近を忘る,
  忽ち 桃花の林に逢ふ。
  岸を夾みて數百歩, 中に雜樹無し。
  芳草鮮美として,落英 繽紛たり。
  漁人甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
  林 水源に盡き, 便ち一山を得。
  山に小口有り。 髣髴として光有るが若し。
  便ち船を舎てて口從り入る。

初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
  復た行くこと數十歩, 豁然として開焉B
  土地平曠として, 屋舍儼然たり, 良田美池桑竹の屬有り。
  阡陌交も通じ, 鷄犬相ひ聞ゆ。
  其の中に往來して種作するもの, 男女の衣著, 悉く外人の如し,
  黄髮 髫を垂るも, 並に怡然として自ら樂しむ。


遠く近くから「鶏犬」の鳴き声が聞こえている。村人は皆古風ななりで「怡然として自ら樂し」んでいる。幸せな小天地。

漁人を見て, 乃ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。
  具に之に答ふれば, 便ち要(むか)へて家に還へる。
  酒を設け 鷄を殺して 食を作る。
  村中此の人有るを聞き, 咸な來りて問ひ訊ぬ。
  自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避れ,
  妻子邑人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは焉を出ず。
  遂ひに外人と間隔つ。 今は是れ何れの世なるかを問ふ,
  乃ち漢有るを知らず, 無論魏晉をや。
  此の人一一 爲に具に聞かるる所を言へば, 皆歎す。
  餘人各の復た延ゐて其の家に至り, 皆出でて酒食す。
  停ること數日にして, 辭去す。
  此の中の人語りて云く:外人の爲に道ふに足らざる也と。


この里で安穏と超然と暮らしていた村人は「今は是れ何れの世なるか」もしらない。

既に出で, 其の船を得, 便ち 向の路に扶りて, 處處に之を誌す。
  郡下に及び, 太守に詣り, 此の如く説く。
  太守即ち人を遣りて其の往けるところに隨ひて,
  向に誌せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて復たとは路を得ず。
  南陽の劉子驥, 高尚の士也。
  之を聞き欣然として往くを規つ。
  未だ果たせずして, 尋で病に終る。 後遂に津を問ふ者無し。


ここは蛇足のようにも思えるが、リアリズムを出すためには必要なのかもしれない。かまびすしい、「選挙」猿芝居がくり拡げられている現在、「秦時に乱を避れ」たくなるのは自分だけか? 選挙後も恐ろしい。


さあ今日もAdobe inDesign CSと格闘して「猫町文庫」第4集の編集だ。次第にカタチになってゆく誌面を観るのは楽しい。が、前号、前々号に比べると、作品が断然少ない。発送、持ち運びにはいいが、余りさびしいのもどうか。あと未到着の3,4編に期待したい。編集している私が埋め草を書くにも限度がある。グラビアぺ字を増やすのも抑制が要る。グラビアと言っても色気のあるもの等はなんらない。


甲州の隠れ宿・赤沢宿(早川町)


他の旅行アルバムも見てもらえるとありがたい。




 








2012/12/09 10:00:10|艶笑譚・世界
夫のものをちっぽけだと思っていた若妻のこと

 非常に美貌の青年である或る若い貴族が、高名なフィレンッェの貴族で、その同時代人のあいだに卓越したネレオ・ディ・パッツィの娘を娶(めと)っていた。
 数日ののち、若妻はしきたりに従って里がえりをしたが、普通一般の花掾に見かけるほどの陽気で満ち足りた様子はなかった。
 それどころか悩ましげな、物思わしげな様子で、眼を伏せていた。
 母親は彼女を部屋の片隅につれて行って、



「どうだえ、お前が望んでいたとおり、みんな首尾よく運んだかえ?」
「それどころじゃないわ!」



と若妻は涙に暮れながら答えた。



「だってお母様がわたくしの夫に選んで下さった方は男ではありませんもの。……あの方には男の男たるゆえんの物が欠けているのよ。あの方は結婚に必要なものを持っていらっしゃらないのよ、ええ、持っていらつしゃらないのも同然なのよ」



 悲しみに沈んだ母親は、このことを父親に告げた。
 宴会に招かれていた親戚や女たちのあいだに事は少しずつ洩れていったので、家じゅうがこの気の毒な娘の身の上に対する歎きと歎息とで一ぱいになった。
 可哀そうに、娘さんは結婚したのではなく、いけにえにささげられたのだ、と人はいうのであった。



 最後に、今度は新郎がやって来た。
 宴会は新郎を主賓として開かれることになっていたのである。
 見ると、すべての人々が浮かぬ顔をし、狼狽した顔つきをしている。
 奇妙なこともあればあるものと驚いた新郎は、その原因を訊ねた、けれどもこのすべての人の悲しみの由って来るところを思いきって声高にいう者は誰もない。
 するうちに、親戚の一人で他よりも勇敢なのが、花嫁さんの話によると、あなたは男の資格を欠いていらっしゃるということですが、と、こう思いきっていってのけた。



「ああ、それっきしのことであなた方は悲観していらっしゃるのですか」



と若者はにやりとしていった。



「よろしい、それならお答えいたしますがね、そんなことでしたら宴会の座が永く白けることはありませんよ、今にその非難に対しては立派に申しひらきをいたしましょう」



 男も女もみんなが食卓について、食事がはじまったかと思うと、花婿はふいに起ちあがって、こういった。



「ご親戚の皆さん、私に対して向けられた告発をよろしくおさばき下さるように」



 そういうや否や、当時はやりの短い胴衣の下から、証拠物件の数数を引き出すと見る間に、それを食卓の上に長々と誇示してみせ、あっとぱかりに感嘆した一座の人々に、



「果たしてこれが軽蔑に値する代物であるかどうかをいってくれ」



と願った。



 夫人連が心の中で、自分たちの主人もあれぐらいの物を持っていてほしいものだと考えていたとすれば、主人連は主人連で、この若者はおれたちの先生だわいと心に認めていた。
 そこでみんなは満場一致、花嫁の非を難じた。



「なぜわたくしをお咎め遊ぱすの? なぜわたくしを馬鹿になさるの?」



と花嫁はやり返した。



「わたくしの家のロバは、畜生にすぎないのに、こんな長いのを持っていますのよ」



といって彼女は腕をのぱしてみせた。



「だのに主人は人間のくせに、その半分の長さのも持っていないのですもの」



 うぶな娘は、あの点でも人聞はけだものにまさっているはずだと思いこんでいたのであった。

※昭和26・1/ホッジョ・大塚幸男訳「風流道化譚」(鹿鳴社)