今週末は親戚の法事と雑誌「猫町文庫」の編集で終わる。
法事は親の代理の意味合いが強い。親が90前後になると、こういう代役もわりにある。
先日「猫町」第4号の内容告知をしたが、偶然にも、、小説3本が高齢者に触れている。社会的にも、それぞれの個々の家庭的にも、高齢者の心身の衰えとそれにどう対応するかの問題は大きな課題だ。遠からぬ先の我が身の問題でもある。
自分の神経がおかしくなる前に、いかに日常を整理し、為すべきことに優先順位をつけておくか……入院中、思い知ったことだったが、常に思い出しておかねばいけない。
宮本武蔵が「我事において後悔せず」と言ったというのを聞いて、以前は、なんて傲慢で嫌な奴だと思ったが、実は、常に己の心身の終末を覚悟していた台詞なのかもしれない。
ものを書くのも、ブログを書くのも、雑誌をやるのも、人との約束も……頭がはっきりしているうちにめどを立てておかねばならなければ、罪作りだ。今本当にはっきりしているのかと念を押されると困るが。
実年齢ではなくて、神経・感性が惚けてしまって、当人がごうも気付いていない、家族も放っておくというような事態がいろんなところにあるように見える。なんか情けなくみじめである。
やがては己もそのように見られるのだろう。どこで自分の中の何から切り捨ててゆくか、気をつけなければ。さもなければ、みっともなさもへっちゃらで通して行くかだが、お他人様に迷惑をかけたり、うざったい思いをなるべくさせたくはない。
写真:扇状地の中腹は地中に水が多い。もう、霜柱が立っている。