新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/12/05 7:43:10|艶笑譚・日本
棺桶

 ある家のおかみさんが、亭主が他国へ出かけた留守に急死した。
 長屋中で寄り集まって、寺へ運んで、湯灌をして元の桶に入れた。
 「頭を剃ろう」と言って桶を覗き込んだ坊さんが、



「こりゃ、与太郎の女房ではないだろう。このホトケさんにゃ首がないが、これを見なさい、胸毛があるんだから、男だ。なんしろわからない話だ」



 と言うから、長屋の衆が覗き込んでみると、なるほど首がない。



「変だな。湯灌をするまであった首がどこへ行ったんだ。しかも、この胸毛」



と大騒ぎになった。
 大家を呼んだところ、



「いやいや、心配はいらない、首はあるから」
「どこにあります?」
「ひっくり返してみなさい。こりゃ、さかさまに入れたんじゃろう」

※江戸小咄『口取肴』・拙訳
※湯灌=棺桶に入れる際、湯でホトケを清める。落語を好きな人なら知っているが、当時の棺桶はまさに「桶」。そこに座らせて納める。








2012/12/04 9:34:54|艶笑譚・世界
ある人妻のふざけた、しかし露骨な返事

 わたくしはここに、或る人妻のいささかきわどい言葉を書きとめておかなければならたいと思った。これは友人の或るイスパニア人から聞いた話である。



すでに老衰の境にはいった或る男が、後家さんを娶ったが、最初の晩に、結婚の義務を果たしていると、妻の〈家〉が思っていたよりも大きいことに気づいた。



「妻よ」



と彼はいった。



「お前の羊小屋はわしの羊の数に対して実に広すぎるよ」



妻はやり返した。



「それはあなたのせいだわ! だってあたしの亡くなった夫は(神よ、あの人のたましいに憐れみを垂れたまえ!)羊小屋一ぱいの羊を持っていたばかりか、はいりきれないで羊たちが戸口にひしめいていたこともしばしばだったんですもの」



才気にあふれた魅力ある返事なるかな。

昭和26・1/ホッジョ・大塚幸男訳「風流道化譚」(鹿鳴社)








2012/12/04 9:33:43|甲府
企画展「甲斐の金山と越後佐渡の金銀山」と大久保長安

山梨県立博物館の企画展「黄金の日々・甲斐の金山と越後佐渡の金銀山」が会期末なのであわてて駆けつけた。


大久保石見守長安も必ず登場しているだろうという期待もあった。このブログでも既にふれたが、彼は作家深沢七郎の実家の「過去帳」に「先祖初代」としてその名が書きこまれている。猿楽師の倅で、武田勝頼滅亡後に徳川氏にスカウトされ佐渡奉行、大老を勤めた。


見たところ、金銀山の開発、管理運営に限らず、徳川幕府初期、いや、徳川時代全般をつうじても、幕府行政の中で大久保ほど仕事をした人間はいないだろう。だから初代の大老なのだが、死んだ直後、墓を暴かれて裁判にかけられ全面否定、一族もろとも歴史から抹殺されてしまう。幕閣の内紛か、幕府の秘密を知りすぎたのか、個人的な蓄財をしすぎたのか、失脚の原因は謎だ。


彼が甲州街道の甲斐府中柳町本陣深沢七郎の実家だ)の「先祖初代」である意味も、作家深沢七郎の資質とのかかわりもまだ説明されていない。事実として裏付けられるものは見つけられないかもしれない。


けれども、七郎の小説の作品論をしっかり書くことで抽象できるものがあるかもしれない、と私は勢い込んでいる。とは言え、トシや病のせいで既に相当頭の悪くなった私は、作品論作成にかなり苦労している。


今回展示を観て知りえた事の一つ。大久保長安が佐渡その他の金銀山代官所に武田浪人を多数「再就職」させていることだ。佐渡では出身身元の分かっている187名のうち33名が旧武田浪人で、出身者のうちの最大勢力である。


彼は、また、各地の金銀山の人、技術、運営のネットワーク、相互乗り入れを調節して、幕府財政の基盤である金銀を安定供給させた。


彼は様々な職名を持っているから、幕府体制の中にどれほどの甲州人を潜り込ませたか想像もできない。これまた、山本周五郎の『山彦乙女』ではないけれど、大きな勢力だったのではないかとも思える。一部の人たちには大変な脅威だったのではないか。抹殺もこのへんから考えられるかも。どこやらの社会主義国家と似ていなくもない。


長安の墓の一つは甲府尊大寺に作られた。尊大寺ははじめ武田の現金弊稲荷のところにあり、その後、今の城東の地に移っている。そこの長安の卵塔の日付(命日)も不思議なことのひとつである。








2012/12/03 13:26:49|アート
五色譜・展2012

甲府市山宮町1838−3
рO55−252−2443
ギャラリー・シュオン
2012年12月1日−7日


山梨大学教育学部美術科出身の植松茂美、榎並和春、岡田昭夫、竹下みさお、深沢弘昭の5氏の展覧会を観てきた。


それぞれ個性があり、思いやりのある優しい画風で好感が持てた。この方々の作品なら、また、拝見したいと思った。


これまで知らなかったが、画廊のオーナー(七沢氏)夫人は元山梨大学職員、観覧者もそこのOBで教員が多いようで、久しぶりの思い出話をしてくる。K号館だのL号館だの、もう亡くなった先生たち、たとえば国語学の鈴木和彦先生、中世文学の西尾光一先生、歌謡史の志田延義先生とか、大学のボヤとか、機動隊導入とか、先生たちに酒を飲ませてもらったバー銀月なんかの話でたいそう懐かしかった。歳月も経ぬるものかな。


あそこの国文のゼミ中心の少人数教育と「近代文庫」で先生たちや先輩たちにゴシゴシやられたのが、すべての始まりで、おかげ様だと年々痛感する。


シュオン様、美味しい葛餅〈小豆もゆずも大変結構でした)とお茶、ごちそうさまでした。








2012/12/02 9:50:32|文学
県民文化祭表彰式

標記の集いがあって久しぶりに参加してきた。同じく選考委員の水木亮さんと一緒にセレモニーに参列し、入賞者の皆さんと歓談してきた。


この文化祭は年齢の高い人が多いが、今年の私たちのエッセイ部門の一番の賞の受賞は若い方だった。作品は既に山梨日日新聞に掲載されたからお読みの方もいると思う。


どのジャンルの応募者も意欲的で感心する。エッセイ以外にも、他のジャンルにも、胸を衝かれる作品、微笑ましい作品も数々ある。読んでいただけるといいのではないかと思う。購入すると1500円だそうだが、図書館でも読める。


県生涯学習文化課内 やまなし県民文化祭実行委員会
電話055−223−1797


来年一年間を通じて本県で行われる国民文化祭のパンフレットも見た。色々気になっていたが、とうとうここまで来た。なんとか乗り切ってほしい。小正月あたりの民俗芸能で、個人的に訪れてみたい催しもいくつかあった。


それにしても、過日徳島の国民文化祭の舞台を一瞬TVで観た。阿波踊りと文楽人形。これだけでもなるほど歴史と伝統が見事だと思わせられた。我が山梨で来県者、観覧者に「なるほど」と唸らせられる場面があるだろうか。


表紙:井上公雄「Gパン」