「日本古書通信」1000号記念号中の記事で故三好行雄先生(初代山梨県立文学館長)を思い出した。川島幸希氏の「芥川龍之介の『鼻』の完成原稿について」(その2)を見たからだ。
山梨の文学館は、芥川龍之介の幼少年期から没後までの資料の所蔵では日本一である。芥川を母親代わりに育ててくれた伯母の保存がよかったせいである。特に小説の草稿類は多く、資料集として写真版で公開したものもある。これらの資料群が三茶書房店主(先代)の管理になり、昭和の終わりに山梨に来た。文学館創設の大きな理由の一つだ。
文学館創設準備をしている時、アドバイザーの一人に中堅の芥川文学研究者がいた。その学者が三好先生にこういう内容のことを言ったのである。
「これから芥川の草稿を思う存分見られて、お仕事(論文書き)がさぞ進むことでしょう」
とても羨ましそうであった。三好先生は、心外そうに、
「私は自分が優先的に芥川の草稿をひっくり返してみようなんて思いませんね。それに、もはや、作品論をそういうところ(研究手法ととれた)まで戻したくありませんんから」
ソフトだが、きっぱりとした口調だった。その時点で先生が到達している研究の立脚点の違い、視ているステージを明確に知った。
夏目漱石の小説『明暗』の草稿の束は、書きかけた草稿にペン先からインクを飛ばしているような反故断片たちだった。古書店からこれを所蔵しないかという薦めもあって、無益だと思ったが念のため三好先生にお聞きした。
「あまり意味がないでしょう、これはねえ。展示資料としてもよくないし」
とのことだった。その通りだと思った。その後もこの反故の塊は、まとまったり、ばらされたりして市場に時々顔を出した。今はどうなっているのか分からない。
「僕はね、生涯の最後に詩集を一冊持てればと夢想しているんですよ」
悪戯っぽい目つきで、こうも言われた。