北海道のある支庁の公共図書館協会で話をしたことがある。楽しい経験もしたが、それは別にして、講演の中身である。ここの協会では、山梨で司書をやり、山梨県内の某市立図書館(当時)を創ったという人の話を聞いたのだが、どうも納得がいかなかった。そこで、1年後、呼ばれることになったのだ。元司書は、
「利益を産まない図書館は、指定管理制度の下に入らなければ、未来はない」
と強調して帰ったという。この人は、「『安かろう良かろう』の図書館を創る」と言って、日本初の指定管理による町立図書館を山梨に創った人である。
私は、席上、
「社会的インフラであり、利用に公平性が保たれねばならない公共図書館は、公設公営でなければならない。コストと天秤にかけられない」
という趣旨で、話をした。
ちょうど、山梨でも、民間の資金で県立図書館を建設してもらい、指定管理制度による運営をしてもらうと唱えた県知事が、基本設計直前になって落選し、図書館建設は白紙に戻ったところだった。新しい知事は、県立図書館の「公設公営」を公約していた。いや、前知事以外の立候補者4名が、同旨の公約だった。
講演の最後を、
「私がこういう講演をして、もしも山梨の県立図書館が指定管理の施設となったら笑ってください」
と結んだ。会場からは笑いが漏れたが、私は冗談のつもりではなく、その時点でもかなりの危機感があったのだ。全国の市町村立の公共図書館は雪崩をうったように「指定管理制度」の下に再編成されつつあった。ないしは「民間委託」だ。都道府県立も、岩手県立をはじめ、次第にこの制度になって来ることが懸念された。前掲の元司書は、改築された岩手県立で、図書館流通センターという「図書館屋」に雇われて、指定管理者を請け負った(当時)。
今は指定管理制度のメリットもデメリットも広く認識されている。けれども、殆どすべての自治体で税収の落ち込んでいる状況下、デメリットが認識されていても、なおかつ、見栄も外聞もなくこの制度を導入しているのが実情だ。もちろん人減らし、資料費の抑制と並行だ。東日本の震災で破砕されつくした市町村立図書館はいまだに復旧できてはいない。職も住まいも充当できていないのに、何の図書館か、何の読書かと。「非常時」には常に言われることである。図書館を「読書施設」「趣味施設」と考えていると、福祉や教育、文化、芸術同様、財政悪化の折には「ひと」も「金」も切り捨てられる。
東北の各県立図書館が、傘下の地域住民、あるいは被災民の図書館利用の支援を十分にできているかと言えば、ノーである。子どもたちからシニアに至るまで、本を読ませてあげたい。十分な調べ物をさせてあげたい。企業活動や行政体の復旧に必要な十分んな情報提供もしなければならない。良心的な都道府県立図書館なら、敗戦後に戻って図書館バスを定期運行しなければならぬところまで事態は戻っている。図書館活動が劣化しているのだ。
ましてや、契約で成り立っている指定管理制度の図書館は、震災のような想定外の(契約以外の)状況では、自館の復旧に必死で、他館の支援までできない。国立→都道府県立→市町村立と支援しなければならないはずなのに。
山梨県立図書館建設過程の「新しい県立図書館を考える会」で、私は、「市町村立図書館に対する『県立』としての役割はどうなのか?」を何度かたずねたことがある。大規模災害などの影響を恐れ、市町村立図書館への県立図書館の責務のようなことを意識していたからだ。答えはいつも「市町村立との関係はこれまでと同様です」というばかりだった。
自然災害の後ばかりではない、図書館活動は図書館相互のネットワークで成り立っている。県立が偉いのではない。役割である。県立が要となってネットワークをどう維持するか。また、市町村図書館をどうバックアップしていくかの機能。県図書館と市町村図書館との、すりかえではない本当の「役割分担」と「連携」の協議が、今こそ必要だろう。
山梨県立図書館が再スタートした。「県立」としての本領発揮をこれから注視したい。