新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/11/17 16:44:05|本・読書・図書館
新図書館利用記

新装開店なった県立図書館で利用カードを作りなおし、ある調査に使う資料の目星をつけて来た。


新しい施設にありがちでとても賑わっていて、それも若い世代や女性が多い。この活況は素直にうれしい。よかった。カードを新規に作りたい、作りなおしたいという人も猛烈に多く、大人数でカウンターを臨時に設けて対応している。報道も盛んにしてくれているし、甲府の街の、人のクロスする街角としては、今のところ、成功しているかもしれない。


これから先の課題である。


郷土資料、子ども読書関係等、レファレンスが増えてきたとき、対応できる職員態勢かどうか。施設規模が大きくなった割には、人員がいかにも不足だ。現状維持あるいは年々減員というのは、職員には気の毒だ。一つの事実の裏を取りにしばらく通わねばならないし、司書さん方のお世話にならねばならないが、今のところ、なんだか申し訳なくてそれができにくい。


駐車料金が高い。1時間まで無料というのは、駐車券に証明など必要なのだろうか。黙って駐車、黙って支払いをしたら、2時間程度で750円。ちょっと痛い。交流スペースを講座等で活用するにしても、この駐車料金ではやや厳しい。相変わらず、市民センターなどの方が利用されるのではないか。


また、当初200から300台と言っていたのと比べると駐車可能台数が少ない。さらには、立ち消えになっている「産業情報センター」が再度県の施策として上がってくれば、駐車場問題はやりなおしになるのではないか。


カフェのチキンバジル・サンドはうまかった。コーヒーは普通だった。ただし、カフェ・スペースがフロントと隣接し、フロアに仮設したようで、寄りやすいが落ち着けるという雰囲気はない。持参の飲食物持ち込みOKというのも如何なものか。いただくものはいただくという考えの方がいいと思う。


言って見れば、「人」と主に民間に委託している業務の部門に課題があるということか。








2012/11/17 9:46:41|雑誌「猫町文庫」
「猫町文庫」第4集編集開始

「猫町文庫」第4集の原稿ファイルがメール添付で来始めて、けれども、大きくあてにしていたり、必ず載せたい人でこれから送ってくれる人もいる。とは言え、お尻のことを思うと、来たものから割り付けをしていかねばならないかもしれない。


アドビ社のインデザインというソフトは雑誌等を編集するのにとても便利だが、マスターするのに大変だ。ようやく5割かた理解して私一人で編集作業を始めたのだが、年に数回じゃなかなか上達しない。このソフトを使える人が「編集担当」として、あと二人もいるととても助かるのだがといつも思う。しかも、将来の編集後継者になってもらうのに好都合なのだが。とにかく、コスト削減のため、印刷所で印刷・製本・裁断できる直前までにして(版下にして)印刷にまわしている。だから、なんとか賄えている。


雑誌のムード。昔、文学館で展示図録を編集している時にも感じたことだが、自分でかなり「遊んだ」つもりでも、仕上がった印刷物を見ると割合「真面目で」「硬い」ものに仕上がってしまっている。印刷屋が勝手に直すわけではない。編集するものが「遊んで」いるつもりで、実はそうとう自己規制しているのだ。既成の雑誌の体裁・要領にこだわらず、思いきって「遊びたい」と思っても、それはそうたやすいことではない。インデザインにももっと通暁すれば、もっと上品かつ新しく「遊べる」のだろう、と思う。


自分の領分も書かねばならない。


あとは、掲載している作品だ。書く自分たちが納得のできる仕事で、それも、発表するのが自分たちと支援者が身銭を切っているこの場面だから、誰に遠慮もいらない「実験作」「意欲作」であってほしい。


かつ、独りよがりでないもの。周囲が読みたいものであることが最も望ましい。書きたくて書いて、読みたい人に読んでもらえること、これが理想だ。一方的じゃそっぽを向かれる。


さらに欲を言えば、一度読んで読み捨てられるものでなく、資料的に(あるいは学問的に)価値のあるもの、図書館に備えていて、折に触れ参考文献として使えるようなもの、も掲載したいと思っている。資料翻酷、翻訳など載せているのは、そういった気持ちだ。ただの文芸雑誌なら、誰が保管、読み返しするだろうか。


厄介な作業だが、編集という仕事はもともと好きだから、楽しみでもある。できれば、品よく、パワフルに「遊びたい」。体調維持せねば。


「猫町文庫」ここにあり、と言われる日まで、もう少しがんばりたい。


 








2012/11/16 19:05:23|艶笑譚・日本
鍼(はり)医

医者もご苦労さまという話。



ある娘が癪(しゃく)で胸苦しく、強い差し込みがある。
苦しさがとまらないかと、父親が力一杯に娘をおさえている。



鍼(はり)医がやってきて、鍼を二三本うったところ、だいぶん腹も楽になったから、医者は鍼をくわえたままでぐっと腹を撫で、そのまま下へ撫で下ろすとき、手先にかすかに産毛(うぶげ)のようなのがさわった。
医者は変な気持ちになって、つい出来心で着物の中でそっと娘の手を握ってみたが、娘はいやがりもせず、だまっている。



「こりゃいい娘だ」



と火がついたようにいきり立った自分のモノを握らせたが、まだ、黙っている。




「ああ、どうかして動かしてもらいたいものだ」



と思って色々体を動かしている最中、娘の父親が、



「お医者様、お医者様、私の握っているものが、なんだか、ひどく動くんですが……」

江戸小咄『男女畑』拙訳








2012/11/16 19:02:40|艶笑譚・世界
木こりと熊

木こりの娘が山道を歩いていると、熊とばったり出あった。少女は死にもの狂いでそばの木によじのぽった。



下から見あげていた熊は、着物の裾の間からあるものを見ると、一目散に逃げていった。
というのもその熊は、まだ生まれてこのかた、ロが縦に裂けた怪獣を見たことがなかったからである。

※昭和45・5・1「えろちか」「STUDY IN JOKE」(小早川博)より








2012/11/16 19:01:31|ちょっと昔のこと
祖父の柿の木

祖父は屋敷内に果樹を植えることを好んだ。無花果、ナシ、リンゴ、庭梅、梅、カキ、ブドウ、スモモなどで、どれも三本ずつも植えてあった。その割に、枝の込み具合とか土壌や羅消毒から摘果などを熱心にやるというのではなかった。どちらかと言えば放置である。当然生る見も小粒に固く旨くもないものになってゆく。そうなれば、我々もむしって食べる気もせず、花を楽しむくらいが関の山である。


それでも、祖父は柿についてだけは熱心だった。大きな樹が三本あって、どれも甲州百匁といったような大きな実をつける渋柿だった。家族には「どうして渋ばかりを植えたのかねー」と評判が悪かったが、祖父にはこの柿の生った後の楽しみがあったようである。


この柿を食べるには手間がかかる。一つ一つ焼酎を吹きかけて樽に詰めておいて渋抜きをするのも一つ。しまい湯に朝までつけておくこともやった。皮をむいて竹ざおにぶら下げるいわゆる甲州でいう「枯露柿(干柿)」にするか。さもなければ、梢につけたままで濃い艶のある朱色になるまで放置するかである。このズルズルと吸うように食べられる熟柿が最もうまかったが、モズなどに平らげられるのと競争だった。それに熟柿はたいていが高い梢の先の方だった。


柿は手間がかかるし、それほどの魅力もなくなったりして、秋空に捧げるように柿の木は放置された。たまに枝が折れて孫が落ちたり、病気も出たりするからするから、いつしか柿の木は伐られてしまった。他の実もたいてい忘れられた。


あのつややかな油彩的戸も言える柿の葉の紅葉は、思い出しても、あんなに鮮やかな物はないと思うのである。