「猫町文庫」第4集の原稿ファイルがメール添付で来始めて、けれども、大きくあてにしていたり、必ず載せたい人でこれから送ってくれる人もいる。とは言え、お尻のことを思うと、来たものから割り付けをしていかねばならないかもしれない。
アドビ社のインデザインというソフトは雑誌等を編集するのにとても便利だが、マスターするのに大変だ。ようやく5割かた理解して私一人で編集作業を始めたのだが、年に数回じゃなかなか上達しない。このソフトを使える人が「編集担当」として、あと二人もいるととても助かるのだがといつも思う。しかも、将来の編集後継者になってもらうのに好都合なのだが。とにかく、コスト削減のため、印刷所で印刷・製本・裁断できる直前までにして(版下にして)印刷にまわしている。だから、なんとか賄えている。
雑誌のムード。昔、文学館で展示図録を編集している時にも感じたことだが、自分でかなり「遊んだ」つもりでも、仕上がった印刷物を見ると割合「真面目で」「硬い」ものに仕上がってしまっている。印刷屋が勝手に直すわけではない。編集するものが「遊んで」いるつもりで、実はそうとう自己規制しているのだ。既成の雑誌の体裁・要領にこだわらず、思いきって「遊びたい」と思っても、それはそうたやすいことではない。インデザインにももっと通暁すれば、もっと上品かつ新しく「遊べる」のだろう、と思う。
自分の領分も書かねばならない。
あとは、掲載している作品だ。書く自分たちが納得のできる仕事で、それも、発表するのが自分たちと支援者が身銭を切っているこの場面だから、誰に遠慮もいらない「実験作」「意欲作」であってほしい。
かつ、独りよがりでないもの。周囲が読みたいものであることが最も望ましい。書きたくて書いて、読みたい人に読んでもらえること、これが理想だ。一方的じゃそっぽを向かれる。
さらに欲を言えば、一度読んで読み捨てられるものでなく、資料的に(あるいは学問的に)価値のあるもの、図書館に備えていて、折に触れ参考文献として使えるようなもの、も掲載したいと思っている。資料翻酷、翻訳など載せているのは、そういった気持ちだ。ただの文芸雑誌なら、誰が保管、読み返しするだろうか。
厄介な作業だが、編集という仕事はもともと好きだから、楽しみでもある。できれば、品よく、パワフルに「遊びたい」。体調維持せねば。
「猫町文庫」ここにあり、と言われる日まで、もう少しがんばりたい。