新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/11/13 9:31:51|アート
榎並和春展で

榎並和春さんの個展で「どこか遠く」にいるかもしれない住人たちに会ってきた。中世の村のような、住人たち同士のきずなを感じるような温かい感触がした。


土に描かれた壁画や天井画のような色合い、季目が、いつものようにとてもいい。また、またカタルーニア美術館へ行ってみたくなった。


留学してみて榎並さん自身変わったこと、技法・画材の話などとても興味深かった。


年間の制作が100点にもなるのは「日常だから」、普通だと思っているとのこと。いや、すごいことだと思う。


写真の銀座の個展も拝見したいと思う。


榎並和春展 どこか遠く
2012年12月17日(月)ー12月24日(月)
中央区銀座7-11-6
徳島新聞ビル3F
ギャラリー惣








2012/11/11 7:54:23|山梨
盆地からの甲斐駒ケ岳

テレビでウイスキーのCMをやっている。そのメーカーの二大醸造所のうちの一つがある白州尾白川の清流が映る。花崗岩の砂礫を敷いた川底。これはこれでとてもいい。CM映像の背景は南アルプス連峰。主に甲斐駒ケ岳から鳳凰三山あたりが中心だ。


けれども、甲斐駒ケ岳の偉大さという点は、醸造所のある麓の絵では伝わるまい。


まず、山容から言えば、甲斐駒そのものが巨大すぎて、麓では間延びがしてしまって、美しくはあっても、マッターホルンに負けないほどの(と私は思う)壮大さは伝わるまい。巨大な岩塊のような。


これを観賞できるのは、やはり、盆地からの景観だろう。相川べりから眺める夕べ、甲斐駒を含む南アルプスがくっきり見えると、無条件にうれしくなる。


また、とりついてみて初めて分かる単独峰としての厳しさも、麓から見上げていては伝わるまい。稼がねばならない登攀高度の大きさ。七合目の小屋から、また、登り直しのような苦しさ。左右が削れて谷に崖が落ち込んでいる刃渡りやクサリ場のような難所、両駒ケ岳神社からの頂上に至る参道としての山道の神々しさ。もちろん山頂の祠も。あの山は「ついで」や「流行り」では決して登れない。


野呂川林道は例外だが、南アルプス地域は開発されなかったために、不便だが旧態を残していると言える。前衛の山々を除けば、本当に山好きで、鍛えた一部の人にしか登れない。北アルプスのような「銀座」状態はここにないし、中央アルプスのようなケーブルカーもない。


心配なのはリニアのための南アルプス「ぶちぬきトンネル」だ。まさかスバルライン後の富士山のようにはなるまいと思うが。それとカモシカなどによる食害、生態系の異状。あんなに見慣れていたライチョウもお花畑もずいぶん減ったらしい。


駒ケ岳信仰のことを思うと、本当はこちら一帯も「文化遺産」にふさわしいのだが、それは大きな声で言わない方がいい。小説『楢山節考』で子どものできないおけいが「西山へいかせてもれーてーけんど」と願い、湯に入りすぎてノビてしまった場面を思い出しておこう。身ごもったこの子だけが、一家の滅亡後も笛吹川のほとりに生き続ける。


寒い季節になると、甲州の人が「西山」と呼んでいる(そのくせたいして関心のない)南アルプス連峰も盆地からくっきり見える日が多くなる。夕焼けも空の雲もとりわけ美しい季節だ。間もなく岩壁を白いものが彩るだろう。








2012/11/10 8:35:27|本・読書・図書館
大草原の「『ローラ物語』の世界」

新県立図書館が開館するのに伴い、様々な記念行事が行われる。そのうちから、コンサートとパネル展のご紹介。


内容はチラシの通り。『大草原の小さな家』の翻訳10冊でお馴染みの谷口由美子が来て、話し、資料を語る。


谷口さんはお父上が山梨大学の教官だったから、附属小学校の出身。私と同級生である。親の「教育方針」(?)で、私が市立中学に進んだ後も、毎朝、武田通りで附属中学へ通う彼女とすれ違ったのを覚えている。


私も彼女も附属小学校の図書館で、浅川玲子(当時はおねえさん)司書の薫陶をうけて本好きになったのだった。


ある時、ふと「訳:谷口由美子」は彼女ではないかと思いだし、浅川さんに話したところ「そうらしいわね」という反応。当時の附属小には本好きな子どもがわんさかいたらしい。








2012/11/10 8:23:56|アート
色匂ふ5周年記念展覧会
「lace」展 色匂ふ5周年記念 第26回展覧会

会期: 2012年11月30日(金)〜12月5日(水) 12時〜20時(最終日は16時まで)

会場: フラスコ  新宿区神楽坂6-16

参加作家: 伊藤太一 ・ 小西潮

在廊日 伊藤: 会期中毎日
     小西: 11月30日(金)・12月1日(土)・2日(日)・5日(水)







2012/11/10 8:23:25|アート
カタルーニア美術館での体験

榎並和春さんが自身のブログ(左リンク欄)でイコンを語って、


「それを職業にしている職人が描いたものでもなく、比較的に絵を描くのが得意であった修道僧などが祈りの一つのカタチとして描いたものだ。ゆえに上手であるとか下手であるという価値の範疇ではない。」


と言っているのを観て、カタルーニア美術館を初めて訪ねた時の衝撃と感動とを思い出した。


カタルーニア美術館はバルセロナのモンジュイックの丘。エントランスの前からサグラダ・ファミリアも港湾も、市街地が一望というロケーション。


スペイン北部(ピレネー山脈の麓)の巡礼路に散在するロマネスクの修道院、聖堂がすっかり荒廃し、崩れかかっているのを、せめて壁画、天井画なりと保存したいという意図から建設された。現地にあった状況を再現するために、壁・天井のカーヴを復元し、慎重に剥がした画を貼り込んである。


ここでは「展示」室に入ることが、そのまま聖堂、修道院の祈りの場に入る気持ちになってしまう。だから、こちらが観賞するより先にとても強い視線や囲繞感を覚えて、キリストやマリアにいきなり抱きかかえられる。


「村々の廃墟から剥がしてきて、ここに再現するとは、どういうものだろう?」


と思っていた気分はたちまち吹っ飛んでしまう。たしかに、田沼武能は写真集『カタルニア・ロマニスク』に、壁画を送りだした村人の思いをこう書きうつしている。


「マリア様の壁画が運び出される時には、村中の人が出てマリア様を見送った……この村の人たちにとってマリア様もキリストも美術品ではない、800年来先祖代々受け継がれてきた心の内なる神」だ、と。そして、「村人たちの嘆き悲しみは計り知れないものがあったろう」と結ぶ。


別室の展示室には、バロック、ゴシックの美術・工芸も展示されていたが、どれもびっくりするほど荒々しく素朴な手だった。それを刻み、祈り、日ごと撫でさすった黒光りした艶には祈りの象がそこにはありありとあった。


写真:タウール「全能のキリスト」サン・クリメント教会