榎並和春さんが自身のブログ(左リンク欄)でイコンを語って、
「それを職業にしている職人が描いたものでもなく、比較的に絵を描くのが得意であった修道僧などが祈りの一つのカタチとして描いたものだ。ゆえに上手であるとか下手であるという価値の範疇ではない。」
と言っているのを観て、カタルーニア美術館を初めて訪ねた時の衝撃と感動とを思い出した。
カタルーニア美術館はバルセロナのモンジュイックの丘。エントランスの前からサグラダ・ファミリアも港湾も、市街地が一望というロケーション。
スペイン北部(ピレネー山脈の麓)の巡礼路に散在するロマネスクの修道院、聖堂がすっかり荒廃し、崩れかかっているのを、せめて壁画、天井画なりと保存したいという意図から建設された。現地にあった状況を再現するために、壁・天井のカーヴを復元し、慎重に剥がした画を貼り込んである。
ここでは「展示」室に入ることが、そのまま聖堂、修道院の祈りの場に入る気持ちになってしまう。だから、こちらが観賞するより先にとても強い視線や囲繞感を覚えて、キリストやマリアにいきなり抱きかかえられる。
「村々の廃墟から剥がしてきて、ここに再現するとは、どういうものだろう?」
と思っていた気分はたちまち吹っ飛んでしまう。たしかに、田沼武能は写真集『カタルニア・ロマニスク』に、壁画を送りだした村人の思いをこう書きうつしている。
「マリア様の壁画が運び出される時には、村中の人が出てマリア様を見送った……この村の人たちにとってマリア様もキリストも美術品ではない、800年来先祖代々受け継がれてきた心の内なる神」だ、と。そして、「村人たちの嘆き悲しみは計り知れないものがあったろう」と結ぶ。
別室の展示室には、バロック、ゴシックの美術・工芸も展示されていたが、どれもびっくりするほど荒々しく素朴な手だった。それを刻み、祈り、日ごと撫でさすった黒光りした艶には祈りの象がそこにはありありとあった。
写真:タウール「全能のキリスト」サン・クリメント教会