学生時代以来、日本の各地は散々歩き回ったものの、海外へ行くことはなかった。関心がなかったわけではないが、学生時代は国内の貧乏旅くらいしか経済的には無理だったのである。それを日本のこともろくに知らないのに、海外をいわゆるバックパッカーとして歩くなんて大して意味がないなどと自分では言っていた。これも負け惜しみである。
勤め始めてみると、金は何とかなりそうだったが連続して休みが取れる時期がなく、海外へという気は起こさなかった。これまで自分なりのストイックで求道的な「旅」をしてきた者が、旅行社のツアーなどというものに乗っかって娯楽的な「旅行」などすることは堕落だと思うような気持ちも何処かにあった。何時の日か海外を自分なりに「旅」することも出来るときが来るだろうと思っていた。だから、当然、パスポートとか外国の金とか手に入れたこともなかった。
四十代の半ばになって、これまで自分が三日連続した夏休みもとらず、胃潰瘍を作り、痛風を起こし、血圧を二百まで上げて仕事をしてきたのは何だったのかと思うような仕事上の環境が発生した。私は今年の夏はしっかり連続十日の休みを取ろうと決めていた。それどころか、以後、自分は退職まで仕事のために私生活を犠牲になんかしないぞと心に決するところがあった。
私は初めて十年もののパスポートというものを取得し、さて、何処に行こうかと考え始めた。レジャー、娯楽としての「旅行」は嫌だと詰まらない意地があるものだからなかなか方面が決まらない。山や海、滝や川……自然景観それ自体を楽しむ習性も、自分には乏しかった。暮らしや人間というような部分にのみ興味があった。ハワイだのグアムなどとんでもなかった。歴史的、宗教的、民族的に複雑な、重層的と言えるような意味のある地域がいいと漠然と考えていた。色々考えた末にトルコかスペインと考え、歌劇『カルメン』が大好きだったからスペインにした。
宿も移動手段も全て自分でやる個人旅行が最も望ましかったが、自信がなかった。小さな旅行社の、宿も移動手段も確保してあるが現地では基本的に自由行動中心というプランを選んだ。マジョルカ島というリゾート地(と思っていた)のようなところが入っているのが少々気に入らなかったが、他には空きがなかった。
この時以来、私は海外の旅がずいぶん気に入ったのである。なかでもスペインは老後住みたいと思うほどになって、旅行後、スペイン語を習い始めたし、翌年もまた、スペインへ行った。トランジット含めて十九時間近い飛行機を乗り継いで。
マジョルカ島はリゾート地で自分には似合わないと思っていたのが、陽光もサイズも見物すべきものも食べ物も人も、ひどく楽しんだのはおかしいほどだった。
以後、国内の旅は仕事で出張するついでになり、殆ど毎年、海外へ出かけて行った。それでも、毎年、十日ほども出かける時間や費用は厳しかったので、勤めている間はアジアのいわゆる「近隣諸国」にしておこうと考えていた。マレーシア・シンガポール、香港、台湾、韓国、タイ、ベトナム等々だ。
そうして、十年もののパスポートを使いきろうという頃、体調を壊し、一回4時間の人工透析を週3度受けねばならぬ障害者手帳を持つ身の上となり、基本的には2泊以上の旅は不可能の身の上になった。私の海外旅行体験は十年で終わり、アジア以外はスペインしか知らないで終わりになりそうである。
けれども、私は、今、それほどフラストレーションを感じてはいない。海外でもセットツアーでも、「旅行」ではなく自分なりの「旅」をするのだと意地を張ってきたお陰で、私はおそらく余人の何倍も旅先を楽しんできたからだ。今に至るも語れる「旅」の成果や失敗も数多いし眺めるべき写真もある。文学や美術と結びつく回想の中で私の「旅」は無尽蔵だ。行けなかった土地を残念がる気持ちも殆どない。天人花の咲き誇るパティオでヒターノ娘との燃えるような危険な恋も想像上は自由自在である。
現実の「旅」は一日でも二日でも時空の許される範囲で歩き回ることができるだろう。これは自宅の傍らの川に沿ってどこまでも遡っていった時の「放浪」の最も原初的なかたちに、私は再び戻るだけだ。
写真:セゴビアの市の子らと