新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/10/14 8:18:34|アート
安野光雅『旅の絵本』X

バーズアイなんて気取らなくてもいいが、高所恐怖症なのに、鳥瞰的な視点で見た絵が好きである。児童書などでもパノラマ的な描き方をしているとワクワクする。西村茂雄の『広島の原爆』『ぼくたちの地図旅行』などは好物だ。


安野光雅の「絵本」も一つにはそんな観点から関心を持っているが、原画を観たことはない。で、春仙美術館の企画展を観た。副題の示すとおり、テーマが多岐にわたり、やや、物足りない。


それでも、スペインの風光をいくつか見たのは、懐かしかった。ショップにあった『旅の絵本』Xは特に「スペイン特集」で気になったので手に入れる。表紙からして古都トレドの鳥瞰図である。憧れて憧れて、エル・グレコを尋ねて行って、「空山人を見ず、ただ人語の響くを聴くのみ」的なひっそりした、猛烈に暑かった、ラビリンス(迷路)のようなこの街の昼下がりを思い出す。よせばいいのに、リヤドロ陶器のドン・キホーテ像にいたく感動して買い込んでしまって、旅中てこずったものだ。


安野氏の風景は、どれも「写生」ではない。あくまで時空を超えた新たな「構成」である。だからカダケスの海浜にぐにゃりとしたダリの時計を垂らしてみたり、ガウディのグエル公園のタイル建築を持ってきたりする。丹念な真面目な仕事ぶりには感心する。ノスタルジーが基調だし、氏の人気のもとだと思う。


撮りためた旅写真を絵にしてみようかと、最近、また、しきりと考える。








2012/10/14 8:14:43|本・読書・図書館
図書館に「にぎわい」「交流」は第一義ではない

JR甲府駅北口に新県立図書館がオープンする(11月11日午後)。記念行事もある。私も一時は職務とし、建て替えを待ち望んでいた一人だから、ここまでこぎつけたことは素直にうれしいし、大いに活用したい。


だが、一方で、図書館の将来のことを考えた時、気がかりなことがあるので、この際、触れておきたい。大方はこれまでも私自身各方面で主張してきたことの繰り返しだ。地元新聞社(放送局)も、県民にとっての図書館とか、教育と図書館とかの課題を検討もせず、手もなく県の発表したプリントに従ってコンセプトを並べているので、すこしばかり「まった」と言いたいのである。図書館の良識的なユーザーも司書も感じていることなのに、そこからの発言が取り上げられることはとても少ない。


一つには、図書館に「にぎわいを創出する」という。図書館は読書、調べ物をするところだから、むしろ「静謐」こそ望ましい。図書館利用者の発案・運営で、館内の交流スペースを使って催しをするのは結構だ。が、館事態が「にぎわい」を演出しようとやっきになってはいけない。


「交流」やら「情報発信」も施設としては「結果として」起こってもいい作用だ。


県立図書館は何よりも市町村立図書館、また、学校図書館を超えた資料(図書など)の充実が望まれる。それを提供・活用してもらうための司書、郷土史担当といった専門職員も大事になる。また、県立で済まない資料請求は、県立図書館が「窓口」となって関連機関、国立国会図書館、大学図書館とネットワークでつながらなければならない。


「にぎわい」「交流」ばかり強調すると、将来にわたり、専門職員や正規職員の抑制(減員)につながりはしないか。また、入館人数とコストを見比べ「金食い虫」だと言われかねない。


山中氏のノーベル賞受賞で多少ムードが変わればいいが、目の前の役に立たないように見える、進展が極めて遅い基礎科学への手当の大事さが、また、唱えらている。図書館や美術館、ホール、体育施設等の社会教育施設もこの「基礎科学」と同じようなものだ。これらを市民、県民のインフラとして充実し、「ひと」「もの」「金」をかけてゆけば、長い時間の中で、芽を吹き、花を咲かせるかもしれない。つまりはその地域の文化性、教育力、学習力が浸透していけばのはなしだが。


新館長は県民の「読書」振興を強調する。これは実に古風な図書館感だ。子ども読書情報センターの設置は、山梨の図書館の目玉となるだろう。しかし、これもひとすじなわではいかない。本をたくさん読んでほしいと強調することは、読まれる資料(本)を優先的に所蔵するということだ。十年たっても利用があるかどうかわからぬものをなぜ収蔵するのか、そんな余裕はないはずだし無駄だろう。こういう議論も起きてくる。そこに立ちふさがるのが知的なものの殆どない県議、行政官、御用大学教授らだ。前述した「地域の文化性、教育力、学習力」ともかかわる。利用が当面なくても、県立として備えるべき資料は備えることが重要だ。読書振興を強調することが、資料収蔵予算の抑制につながってはいけない。


子ども読書活動推進。幼年期、小学校低中学年の子どもたちは、読書に関して比較的に「面倒をみてもらっている」。いい本を、聴かせてもらったり、見たりしている。ボランティアや保護者の協力もある。


問題は、本を読まなくなってしまう小学校高学年、本好きと本嫌いが両極化してしまう中学生、高校生の段階の読書指導だ。つまり、絵や音声中心の「本の鑑賞」から、ストーリーや想像力、文字中心の「読書」に次第に高めるアドバイス(教育)を、大人はできなければならない。センターもここに作用すべきだと考える。大人とは司書やボランティア、保護者、そして、教員である。


私の思うことが、全て杞憂に帰すればこれにこしたことはない。


読者諸氏よ 図書館の交流スペースを大いに予約して活用しようではないか。文化的、学術的、郷土的な利用であれば一番望ましい。そして、図書館に「こういう資料を提供してほしい」と大いに頼もうではないか。








2012/10/12 19:22:57|ことばグルメ
「おごっさん」

食事が済んで「ごちそうさま」と店に声をかける率は、甲州人は高いような気がする。町場、殊に都会では、その割合は低いと思う。東京あたりでこれをやると、一瞬周りに「?!」というのが漂う。


親で「給食費を払っているのだから、子どもには『いただきます、ごちそうさま』と言わせたくない。言う必要はない」という屁理屈をこねる人も、甲州辺りでは少ない気がする。


私は、「勘定をするのでレジに来てほしい」と呼ぶような気持で「おごっさん」と声をかける。たいていが「ありがとうございました」と返事がある。お互い悪い気はしない。美味いまずい、高い安いは別として、これは古今東西普遍的なマナーだと思う。これができないから、古今東西、日本人が傲慢だ、金にものを言わせるような態度をとるとかつては捉えられてきた。いまや、これはお隣の国の専売特許になっているような気がするが。


町場の人は「ごちそうさん」も言わないから、店の方でも「食わせてやる」みたいな態度になるのではないかと思ったりする。意地の張りくらべだ。老舗、高級店ほど「ごちそうさま」と言った方が、こちらも客として卑屈にならず、矜持を保てるというものだ。


ところで、甲州弁の「おごっさん」には二通りの意味がある。甲州人なら誰でも知っているが。一つは「ごちそうさま。美味かったよ」だ。もう一つは「もうけっこう、こりごりだ」だ。文字で書いても「おごっさん」には変わらないが、音に出すと多少変わってくる。前者は、歯切れよく、明るく発音する。後者は、口ごもる感じで、聞こえるか聞こえないか、いや、聞えよがしにぼそぼそ言う。「もう、せーせーだ」という気配をたっぷりと。「あいつは、おごっさんだ」と言われたら、もう仲間外れだ。


「おごっさん」は、深沢七郎の小説の登場人物の整理吹回しやこそこそした、そのくせのぶい田舎もん(庶民)の世界である。


田舎もんにも(田舎もんだから)おそろしいところがあるが、よく考えたら、「もう、結構です」にも背中合わせのニュアンスのあることに気がついた。


写真:無花果








2012/10/11 17:32:55|文学
「猫町文庫」第4集編集準備始まる

文芸誌「猫町文庫」第4集の編集準備をはじめた。先日、水木亮・三神弘・私の編集同人3人で簡単な打ち合わせをした。


編集は原稿をお願いしたり、選んだりする段階から始まる。


編集同人会で幅広い世代への呼び掛けの必要性があるとの意見も出た。高校芸術文化祭などでも話したり、雑誌をあげようかとも考える。


作品を応募したい人がいたら、規定により送ってほしい。規定については、次にご連絡をいただければ差し上げる。


詩・短歌・俳句・川柳等の韻文、短詩型作品は扱っていない。小説、エッセイ、評論などの散文作品。中高生、大学生からシニアまで、表現する世代は問わない。甲府で編集するが、全国いや海外からでも応募はどこからでも構わない。


同人誌として在るのではなく、「文芸誌」として、作品中心に選んで掲載してゆきたいと思っている。掲載の可否は編集同人で検討させていただきます。


「猫町文庫」の既刊分が若干残っています。関心あればご連絡を。送料不要、誌代のみ、後払いでお送りします。


◎お問い合わせ、応募、ご注文◎
〒400-0007甲府市美咲2-15-30
猫町文庫編集所(担当:福岡)
fax 055-253-7708
Email:fuku@nns.ne.jp
携帯:090-1991-5976


 


 








2012/10/09 6:51:01|樋口一葉
一葉両親ゆかりの滝本院

先週、先々週のTVの季節ネタで滝本院(甲州市塩山)があちらこちらで取り上げられた。ブログへ上げるにしても二番煎じになってしまうし、と考えてしまった。


とは言え、TVはマンジュシャゲの群落、私は樋口一葉の両親とのかかわりでこの寺の印象が深いから、挙げておきたくなるのだ。


母あやめの実家古屋家の菩提寺は眼下の滝見山法正寺。浄土真宗西本願寺派。本寺が勝沼の等々山(とどろきさん)万福寺で、こちらは父大吉の樋口家の菩提寺である。


滝本院に上がれば眺望がとてもいい。塩の山の甲州市から差出の磯の山梨市、その先の笛吹市までが視野に入る。そこには、先程の両家の菩提寺は元より、生家(址)、両家の親類(幼い夏子・一葉が着て賢く遊んだという言い伝えのある芦沢家も)、縁族、真下専之丞のような恩人の成果、野尻理作等の知人宅の全てが含まれている。私は以前よりここから眼下を眺めるのがとても気に入っていた。最後の勤務先がその景色の中に含まれるとは、思いもよらなかった。


さらに安政4年(1857)、4月6日、大吉と4歳の姉さん女房のあやめは、この滝本院の足元すなわち法正寺の門前を勝沼の岩崎に急ぎ、そこから赤尾を抜けて藤之木の宿場に着いたのである。1日目の行程は6里足らずだが、翌日からはあやめは身重の体を抱えつつ、御坂旧道を登ってゆかねばならない。あやめは江戸に出て二度目の5月(この年は5月が2回あった)に女の子藤を産む。勘違いする人が多いから強調しておくと、この御坂道は天下茶屋の前の道ではないし、トンネルを抜ける国道でもない。藤之木で国道がカーブするあたり(蕎麦やモロコシの店が立つ)を木立に分け入ってゆく狭い坂道である。


夫婦が江戸に出て三カ月、大吉が郷里の父親宛ての「大吉日記」(通称「駆け落ち日記」)とわび状を託したのは、たまたま東京小金井に出ていた滝本院の泉海和尚だった。この人も二人のロマンスの目撃者だった可能性はある。


おかげさまで拙著『樋口一葉を歩く・山梨編」は好評で、甲州市の慈雲寺、台東区一葉記念館などでよく手にしてもらい、残部がごくわずかだ。一葉記念館ではボランティアさんの学習用にも使ってもらっている。増刷しようか迷っている。すれば、改訂第三版になる。