新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/09/11 9:08:03|MY FAVORITE THINGS
まねき猫発祥の地

東京は世田谷豪徳寺。


彦根の殿様(井伊さま)だが、白い招き猫によって危険から救われたという。彦根のお城周辺でも聴かされた故事だが、今回は東京の井伊家菩提寺豪徳寺へ行ってみた。


顔つきがこせついてもいず、欲張りそうでもなく、のんびりしたいい猫だ。次の雑誌の号の表紙にしようかしら。


井伊家と言えば武田遺臣をスカウトして再就職させてくれ、「井伊の赤ぞなえ」とその勇猛さを恐れられた。だから、山梨の人間にまんざら無縁でもない。








2012/09/01 7:48:24|アート
榎並和春個展を観てきた
榎並さんの恒例の個展をみせてもらってきた。

宗教色と言うのか、ますます沈潜していて、祈りとか願いとか、鎮魂という言葉を想起させる作品たちだ。

以前の巡遊楽師とその背景の生活をイメージさせたような、フォークロアな感じとは異なってきた。

去年の3月11日はだれにも深いトラウマを残しているのだな、と思う。

復興もだけれど、鎮魂こそ不可欠なのではないか、とも。

 

私も自分の直後の病臥のこともあいまって、「無常観」が芽生えたものな。

 

落ち着いたいい個展だ。

こうふのまちの芸術祭2012・連動企画
榎並和春個展
「日々礼賛・番外編」                       
   




    Barslow バールスロー
 2012 8/18(土)〜9/20(木) 
〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1‐19‐21
TEL/FAX 055-226-8625
peace@bar-slow.com
   営業時間  
火〜金   12:00〜22:00(L.O.21:00)
土、日、祝日 12:00〜18:00(L.O.17:30)定休日 月曜日

はる 4070







2012/08/30 8:05:29|アート
オランダ・フランドルの絵

改装なった都美術館にマウリッツハイス美術館展を観る。


混雑を覚悟していたが、東京人が町を出るころだからか、ツタンカーメンが近所であったからか、おもったより混んでいない。とはいえ、いつものとおり肩越しの観賞である。入り口の御挨拶から丁寧に読んだり、音声ガイドを聴き終わるまで佇む人がいて、次第に好もしい位置取りで観賞できるのも、いつものことだ。


フェルメールが今回の売り物だが、レンブラント、ライスダール、ルーベンス、父ブリューゲルなど私自身関心のあるものがよく整理されていた。ボッスもスペインの植民地化の影響も含めて、私はいったいにフランドルの絵が好きである。今回のも風景よし、生物よし、風俗画、また、よしという品ぞろえ。


この頃痛感するのは、西洋絵画を楽しむには、宗教的なテーマの理解が欠かせないが、膨大に残されている肖像絵画も楽しめないと楽しんだことにはならないと思う。


たまには、うまい飯でも食べて帰るか。








2012/08/21 9:34:07|MY FAVORITE THINGS
コンサートは死んだ

生誕80年、没後30年というので、「異才の」カナダ人ピアニストグレン・グールドがあちらこちらで特集される。


御他聞に漏れず、私も漬かりっぱなしだった。まず「トルコ行進行進曲付き」のピアノ塾の子どものような、聴き手を小馬鹿にしたような演奏に度肝を抜かれた。聴いているうちにとんでもない演奏技術があるのだと気付く。


FMで2時間×4日間、楽章単位でいえばデビュー作のバッハから晩年の(と言っても50歳だが)のバッハまで7,80演奏も聴いただろうか。挙句、ぞっこん魅了されてしまった。


テンポも強弱も関係ない。作曲家の意図、曲想、演奏者の理解を最も忠実に表現できるのはスタジオの録音作業だ、結果、「コンサートは死んだ」と言って、30代にはステージから消えた。


まことに潔癖な完璧主義者である。


これは絵画でも文学でもある程度言えることかもしれない。


吉田秀和氏は「簡単に天才なんて言ってしまってはいけない。愛好者個々が呼称を定めるべき」とのたまう。呼び方を決める気はないが、しばらくバッハなどに使っていたいと思った。


漱石の「草枕」のファンだったともいう。言及している文献はないか?








2012/08/14 8:25:59|山梨
スイッチバックのあったとこ

JR中央本線の日野春駅。


ここにはかつてはスイッチバックという珍しいシステムがあって、坂道を列車が昇るために、一回戻ってから横Z型に喘ぐように登って行ったものだった。


この貯水塔一式はそのころからあって、私が教員になった初日、この駅に降り立った40年以上も前にもあって、今も使われていないのにここにある。左のタンクは、なんと木製の樽である。貯水塔はここを通る時何時も目につくし、気になる。好きなのである。


無駄無用のものだから撤去してしまえという考えを持たないでほしい。いつか絵にしてやろうともくろんでいる。